53話:むかしむかし
SIDE.SISTER
SCENE. A long time ago.
九頭龍の巫女。その役目を母、秋雨緋月から継いだのは、遥か昔のこと。子供を産んだのだってうんと昔の話。私は、秋雨月霞。遥か昔より永遠と思しき時を彷徨い続ける《終焉の少女》。幾つ物地獄のような人生を背負い続ける哀れな、世界に選ばれてしまった者。
聖浄の巫女姫などと讃えられたこともある私だけれど、生まれたのは息子だったし、兄も兄の子も男だった。それゆえに、完全に九頭龍の巫女の血統は絶たれてしまった。だから、私は未だに、巫女として九頭龍の気を治めるために儀式を続ける。
儀式、と言っても、至極簡単な儀式よ。白衣……白い着物を着る。これは、清い服であることを表すから白い服なのだ。
そして、禊ぐ。禊とは、自身に穢れがある場合や神への奉納を捧げる前に、川や海の水で身体を清めること。有名な行為は滝行かしら?
私もそれに乗っ取り、白い服を着たまま滝に当たり、身を清める。すると、自然と私の服は水で透ける。それも清き白い服はとても薄く、ただでさえ透けているのに、水で濡れて、身体にピタリと張り付けば、私の体をくっきりと浮き上がらせるには充分だった。
無論のことながら、下着などというものはつけていない。身に着けるのは、白衣のみ。
そして、雪ぎ清めた体で、私は約束の地へと向かう。秋雨の里【茜秋村】の【茜秋神社】の【龍の祭壇】へと。
龍の祭壇は、仰々しい祭壇などではなく、ただの壇。金の装飾も煌びやかな飾りもない、単なる祭壇よ。
いつものように、祭壇に膝をついたわ。そして、祈りを捧げるように手を胸元で絡め合わせる。どちらかというと、これは、西洋のシスターが神へ祈りを捧げるときに胸元の十字架を握り締める様な仕草よ。でも、祈る、ということに相違はなく、かつて、シスターでもあったことがある《終焉の少女》はこの祈り方の方がやりやすい、それだけである。
「おっ、エッロい巫女さんだこと」
不意に儀式の最中に、そんな声が聞こえた。もはや秋雨の地には誰もいない。私が最後の人間である。それゆえに、秋雨の知己が有るもの以外入れぬこの地に誰かがくることなどあり得ぬことであった。
「巫女って神聖な存在でしょ?そんな格好でいいの?」
声音は、どことなく30代くらいの男を髣髴とさせる声であった。私は、その声に振り返った。儀式は9割方終了していたので構わないのよ。
それはローブを着た男だった。ボサボサの髪と無精髭。眠たそうな目。まるでやる気のなさそうな男だった。
「何者?ここには、私達以外は入れないはずよ」
私が睨むと、男は肩を竦めて言う。
「おぉ~、怖い怖い。俺は、廿日雨罪ってんだぁ」
私は、その名前を聞いたとき、ふと、思い出した。近頃、外界で魔法使いと呼ばれる者達がいて、その中でも一線を画する魔法使いがいる、と。
【氷の女王】、【轟炎の魔女】、【罪深の魔法使い】など。希咲雪美、炎魔火ノ音、廿日雨罪など……。その化け物の如き力はその前世代、【夜の女王】、黒夜響花ですら身を引くほどだったとか。
「《罪深の魔法使い》っ」
私の声に、男、雨罪は、「ヒュー」と口笛を吹く。
「知ってんのかい?そりゃ、嬉しい」
雨罪のそんな様子に、私は、疑問に思う。何故この男はこんなところに現れたのか、という。
「《罪深の魔法使い》ともあろう者が何故この地に立ち寄ったのかしら?」
私の言葉に、雨罪は、笑う。
「ハハッ、何でってぇ言われてもなぁ。偶然か、或いは必然か。意味なんてモンを求めるのは間違っちゃいるが……、そうさな……、しいて言うなら、あの馬鹿共も引退気味だから余生をド田舎で過ごそうかと思って辿り着いたってとこかな?」
ド田舎とは失礼な、とは言えないのがこの場所よ。田舎も田舎、秘境も秘境、奥地も奥地。そんな場所にあるのよ。
古来より、龍脈の地は、山に沿って流れるとされ、その龍脈の「気」が噴出す場所、「龍穴」に住む者は繁栄する、とされているの。それゆえに、龍脈が集まる点は山の中。特に山が密集しているところ、となる。四方を山々に囲まれることによって九つの方向へ龍脈が流れていくのよ。それゆえに、山に囲まれた中心地こそ秋雨の里【茜秋村】となるわ。
「それで、ド田舎で暮らすにも、ここには食料はないわよ?水なら山ほど湧き出てくるけれど、山からね。まあ、山を探せば木の実や動物はたくさんいるでしょうね。貴方が言ったように、ここはド田舎なのだから」
龍脈が流れる自然豊かな地。それゆえに、水は湧き出ているし、木の実はよく実っているし、動物達は我が物顔で山を闊歩しているわ。
「そんなら、俺は充分に生きていけるなぁ~。っつーわけで、一緒に住んでもいいか?」
「ぶっ」
私は思わず吹き出した。てか、急に何でそんなことを言い出したのよ?
「家ならいくらでもあるから私の家以外に好きに住めばいいでしょ?」
もはや住人のいない家が幾つもあるはずよ。別に一緒に住む必要はないでしょうに……。雨罪は何を考えているのよ。
「家ってあれかぁ?ボロくて住めたもんじゃねぇよ」
いえ、確かにボロボロでしょうけど。住めないわけではないでしょう?というか、私の住んでいるところも大差ないわよ。
「それに美女と住めるに越したことはねぇし」
一応、雨罪とも大分年の差があると思うのだれど。
「私は数百の齢を超えているわよ?」
「え、ババア?」
直後、雨罪の脳天に私の呪符が飛んだ。そして、そのまま雷を散らす。
「――紫雷を持って万灰と帰す」
呪符の雷は紫色となり、全てを灰にする。
「我が罪は――死なずの罪」
しかし、雨罪は死ななかった。おそらく直前に唱えたのは、彼の《罪深の魔法》であろう。つまり、彼の罪は死なない罪、という風に、自身の罪を上書きして、死ななくなったのであろう。
「――炎鎖を持って万灰と帰す」
炎の鎖が雨罪を縛り焼き続ける。不死であろうと殺され続けるのには弱い。それが多くの不死に通じる対処の仕方。
痛みを感じずとも動けず、痛みを感じればなお動けぬ。即ち、不死身封じ。
不死身、と一概に言っても様々なものがある。
吸血鬼などと呼ばれる種。機械の体を持つ者。龍に呪われた者。神に愛された者。様々な種類には、様々な特徴がある。それらを殺すのは難しいが、無力化するのはさほど難しくない。殺し続ければいいのよ。
「我が罪は――効かずの罪」
しかし、その言葉とともに、私の呪符は掻き消された。どうやら、今度は、呪符が効かなくなったらしいわね。
「ふぅん、どの呪符も効かないのね」
しかし、何も呪符だけが私の攻撃ではないのよ。
踏み込みと同時に、「力」を込めて、瞬間的に加速する。その速度は、瞬間移動とまでは言わないものの充分に常人には視認できない速さよ。
「ッ?!」
突如消えた私をキョロキョロと探そうとする雨罪。だけれど、私は、もうそのときには、雨罪の背後に回っていたわ。
「セイッ」
手のひらに「力」を伝え、雨罪の体に当てると同時に、「力」を解き放つ。「力」は、雨罪の体を伝わり全身に衝撃を与える。
「ごはっ」
ようするに体内から破壊する技よ。爆散するほどの衝撃が全身を襲って、かなりの激痛を感じるはず。
「衝撃を伝える技……明津灘流か?」
雨罪がそう言った。そう、これは、「力」を使うことに長けた明津灘流の古武術よ。
「そうよ、よく知っているわね」
しかし、明津灘は、一部の地域にのみ伝わる流派。秋雨同様、奥地に篭り、表へでることはないはずよ。まあ、尤も、時代が変わればその辺は変わるのかもしれないけれど。
「知り合いに同じ流派の男がいるもんでな。しかし、その程度なら、もっと化け物じみた奴を知ってらぁ」
もっと化け物じみた……?明津灘の技は、充分に化け物だと思うけれど、それ以上ってことかしら?
「それは、一体誰?」
私は思わず問いかけた。秋雨として、そして《終焉の少女》として長い間を過ごした私の使う、この技よりも化け物じみている、なんていうのは、他ならぬ私と同じ《終焉の少女》の様な《魔性》を宿しているに違いないと思ったから。
「ぁあ?んなもん【氷の女王】以外にいやしねぇさ。ありゃ、化けモンってか、異常者だ」
異常者?
「無詠唱一薙ぎで巨大な氷塊を生み出し、ただの拳ですら地を砕く。その速度は目に見えず、その剣は命を刈り取る。
魔術、剣術、武術、忍術、棒術、あらゆる術を習得し、天才とまで言わしめる最強の女、それが【氷の女王】って女さ」
氷の女王……、希咲雪美。彼女は一体……、彼女は、おそらく《魔性》ではない。しかし、それが何かは分からないわ。
「あいつはなぁ~、そう、言っちまえば武神だな。てか、まあ、アンタも充分強いな」
充分強いって上から目線ね……。ウザイわね。
「チッ、そうね。同じ家で住むのは構わないわ。ただし、私を負かすことが出来たら」
「おーけー、りょーかいりょーかい」
こうして、私と雨罪の長い戦いの話が始まったのよ。