44話:紳司の家にて(ミュラー)
俺の家、即ち青葉家である。青葉邸とまで大仰なものではなく、極一般的な二階建て一軒屋。三鷹丘付近には高層マンションもいくつか立っているがそのビルは花月グループであったり南方院財閥であったり、そう言った大企業や財閥、財団の管理するものが多く、そうなると、基本的に高くて一般人には手が出せないものになる。
それが関係有るのかどうかは分からないが、ウチの家は、かれこれ60年以上はここにあるらしい。
特にボロいわけでも真新しいわけでもない平凡な家に、俺は、金髪の髪を風に靡かせるとても平凡な、とは形容しがたい美少女を連れて帰ってきた。おそらく、この時間ならば、姉さんはまだ帰ってきていないだろう。修学旅行の買い物の後、友だちと遊んで過ごすであろうからだ。だとすると、今、家にいるであろう母さん以外に、さしたる障害はない。
「ここがシンジ君ち……」
金髪美少女ファルファム先輩は、どこか感慨深そうに俺の家を見て呟いていた。特に変わりない一軒屋を見て、何に感慨耽っているのかは分からないが、こんなところに立たせっぱなしにするわけにもいかんだろう。
「先輩、どうぞ。狭い家ですが上がってください」
そう言って、俺は、門を開けてファルファム先輩を我が家の領地へ招き入れて、そのまま数歩である玄関のノブに手をかける。
「あ……、うん」
頬を染めて、少し間を空けて頷いた。その可愛らしい顔に、俺は思わずドキンとしてしまった。
「じゃあ」
そう言って、俺は、玄関のドアを開けた。普通の玄関だ。さほど靴が有るわけではないので散らかってもいない、極普通の玄関だった。俺の靴は、今履いているスニーカーと学園に履いていくローファーの2足だけなのでローファーが置いてあるだけだ。他にも姉さんのヒールやハイヒール、パンプス2足、ミュール、夏場は履かないであろうブーツやロングブーツ(ニーハイ)などが端に置かれている。スニーカーも有るのだが、今ないということは、今履いていっているのだろう。その他、母さんのピンヒールなんかも置かれていた。
これ、散らかってないっていえるのか……?そもそも下駄箱があるのに活用しない我が家はどうなってるんだ?
俺は2足ともよく履くからいいが、ヒール系の靴やブーツは滅多に履かないんだから玄関入ってすぐ左側にある下駄箱に入れればいいものを。
「あ~、汚くてすみません」
俺が髪を掻きながら、申し訳なさそうにファルファム先輩に言った。しかし、ファルファム先輩は特に気にした様子はないようだ。
「そ、そんなに散らかってないと思うよ?」
少し言いよどんだ。やはり、少し汚いと思ったのだろうか。それにしては、頬を紅く染めているように思えるが……。う~ん、よく分からん。それが俺の結論だった。
「とりあえず……鍵が開いてたから母さんはいると思うんですけど……」
俺は、そういいながら、とりあえず靴を脱いで、家に上がる。ファルファム先輩も靴を脱ぐのだが……。スカートが短い所為で、足を少し上げたさいにヒラリと中身が見えた。ふむ、眼福だ。
「さて、と、お待たせ、シンジ君」
ちょっと脱ぐのに時間がかかってしまったことを謝っているのだろう。俺は、いい気分になれたので、全く構わなかった。
「あら、紳司君、帰ってきたんですか?」
そんな時、母さんの声が響いた。どうやら、母さんは居間で、何かをしていたらしい。テレビの音は聞こえなかったので、テレビを見ていたわけではないのだろう。
ひょい、と居間のドアから顔を覗かせた母さんは、俺と一緒にいるファルファム先輩を見て、にんまりと笑った。
「あら、あらあら」
どう見てもからかうときの顔だ。俺は、溜息が出そうなところを、かろうじて堪えて、一応、母さんを紹介しておこうとファルファム先輩を居間へ連れて行く。
「ちょっと、紹介するんで、ついてきてください」
俺がそう言うと、ファルファム先輩は素直についてきてくれた。キョロキョロと家中を観察しまくっているが、さして問題はないように思うのでいいだろう。
居間に着くと、母さんは、わくわくした表情で机を挟んで対面する様に座布団を敷いて、3箇所の席のうちの1つに正座で鎮座していた。
この人も、年が年なだけにいい加減にして欲しいんだが……。まあ、いいか。
「えっと、それで?」
机があって座布団が敷いてあるところまではいいのだが、長方形の長机の長い2辺に基本的に2対2で座るものだ。まあ、サイズにもよるが、少なくともウチの机はそうなっている。その1辺の真ん中に、俺の母さんが正座していたのだ。つまり、これは、もう1辺に俺とファルファム先輩で座れ、ということだろう。
まあ、別に、いつもの生徒会の席と大差はないので文句は言わないのだが。
「あ、どうぞ、座ってください。あっ、別に正座じゃなくていいですから」
一応、ファルファム先輩もイギリス人だからな。正座とか、あんまやったことないだろうし。
「あ、うん。大丈夫」
ファルファム先輩は、俺に頷いてから、俺の横に丁寧な作法で正座をした。着ているのが制服でなく着物に見えそうな、それこそ、日本人の動きそのものだっただろう。
「えっと、シンジ君、この人がお姉さん?」
よく聞かれることをファルファム先輩が聞いてきた。見た目が見た目だけに、多くの人は、この母さんを「姉」だと勘違いする。しかし紛うことなき母である。
「あ~、この人が、俺の母さん。青葉紫苑母さんです。暗音姉さんは買い物に行ってて今はいません」
俺の言葉に、ファルファム先輩が、暫しの間、目を見開いて固まっていた。意味が理解できていないようだった。
「え、っえ?お、お母……さん?」
やっと意味が理解できたのか、ファルファム先輩は、母さんを凝視していた。どう見ても20代にしか見えないあたり、秋世と通ずるものがある。
「お、……お若いですね」
ファルファム先輩の口から出たのは、そんなお世辞だった。いや、世辞じゃないのかも知れないが。
「まあ、よく姉弟に間違えられますね……」
俺がそんなふうにいいながら、ファルファム先輩の方を手で示し、母さんにファルファム先輩を紹介する。
「えー、こちら、ミュラー・ディ・ファルファム先輩。生徒会副会長です」
俺の紹介の言葉に、母さんが、少々意外そうな顔をした。どうやら、ファルファム先輩に何か思うところがあるのか……。
「生徒会の副会長ですか」
と思ったら、役職の方だったらしい。というより、生徒会に入っていること、に興味を示したのか。
「わたしは、生徒会長を務めていました。まあ、あの頃はまだ、七峰紫苑でしたが。もう、大分前になるんですね……。懐かしい。
ああ、そう。紳司君も生徒会に入って大分経っているので、もう《古具》については聞いていますよね?」
懐かしそうに昔に思いを耽っていたが、急に、何かを思い出したかのように母さんはそんなことを言った。
「ん?ああ、うん、聞いてるけど。それがどうしたんだ?」
ファルファム先輩に対しての言葉じゃないので敬語ではない。母さんは、暫し、考えてから、不意に呟く。
「《神双の蒼剣》」
それは、《古具》の名前なのだろうか。気がつけば、母さんの手に2振りの剣が現れていた。しかし、おかしい。少なくとも、俺が知るだけでも、全ての《古具》は《「事象」の「姿」》もしくは《「姿」の「事象」》と言った形をしていて読み方も《「――」・「――」》と2単語以上で構成されていた。
なのに「アロンダイト」。単語だった。それにそもそも、アロンダイトは、円卓の騎士のランスロットの持っていた剣とされるが、双剣だった、などという話は全く聞いたことがない。
「これがわたしの力ですよ。元の《古具》の名前は、《神装の魔剣》。それがやがて至った果ての姿。それこそが《神双の蒼剣》です」
姿を、変えた?そして、名前も変わった。そんなこともありえるのか……?
「その様子だと、《解放》のことも知らされていないみたいですね。まあ、あんなリスキーなものを好んで使う人は滅多にいませんけど。
《一時解放》、《全力解放》、《最終解放》。それぞれ、一時的に力を高めるけれどしばらく使えなくなる、一時的にかなり力を高めるけど数日以上使えなくなる、超大な力を得るけれど二度と使えなくなる、とそれぞれ等価交換になっていて、メリット、デメリットのある力です」
例えば、《全力解放》は強くなったとしても数日使えなければ、その間に襲撃されたらダメ。強くなるメリットと数日使えないデメリット。おそらくデメリットの方が大きい。それゆえに使う人がいないのだろう。
「まあ、《古具》や《聖剣》程度で驚いていては、生徒会はやっていけないので、がんばってくださいね」
《古具》や《聖剣》程度で驚いていては、生徒会はやっていけない、だと……。じゃあ、他にもまだまだ、ヤバイものがあるってことか。
「それと、ミュラーさん、でしたね。えーと、これからも紳司君のことをよろしく頼みます。この子もまた、代々の青葉の人間と同じく、なにやら色々と背負ってしまっているようですから。まあ、背負っているものは、どうやら暗音さんの方が大きそうですが」
そんな風に母さんはぼやくのだった。
「では、あとはお若いお二人に任せて、わたしは買い物にでも行くとしましょう」
そう微笑みかけると、そそくさと母さんは出て行ってしまう。気をつかったのだろうか?まあいい。
「とりあえず、居間よりも、俺の部屋の方が楽でいいですよね。俺の部屋へ行きましょうか」
俺は、居間を後にし、自分の部屋へとファルファム先輩を招待したのだった。部屋にファルファム先輩を通すと、「あの、その……、あたし、故郷のアロマとか持ってるんだけど使っていい?」などと聞かれたので、セッティングの間に、俺は「飲み物を取ってきます」と言って、確かあったであろうオレンジジュースを取りに台所の冷蔵庫を目指した。
オレンジジュースを探すこと数分。わりと見つけるのに手間取ってしまったので、ファルファム先輩を待たせてはいけない、と急いで部屋に戻る。
「すみません、探すのに手間ど……」
俺は、喋りかけた言葉の途中を思い出せなくなった。何を言おうとしていたか、などという些細なことよりも、目の前でおきていた出来事を処理することで俺の脳は限界だったのだろう。
――ガンッ
まだ開けていないオレンジジュースの缶が俺の手から零れ落ちた。中身が入っているからか、妙に鈍い音で落下した。しかし、そんなことはどうでも良かった。
「なっ、ななっ」
俺は、思わず叫びそうになるが、必死に堪えた。さて、どうしたらいいものか。俺の脳が判断を迷っている。
さて、処理できていない、目の前の光景、これは一体、何だ?
全裸のファルファム先輩。
ファルファム先輩の裸体。
金髪美女の裸姿。
グラマラスなおっぱい。
結局のところ、どれも同じ意味であった。真っ赤な薔薇の模様が浮かぶ、ファルファム先輩の全裸である。間違えるはずもない。
では、何故、先輩は、俺のベッドの上で全裸で寝転んでいるのだろうか。よくよく見れば、俺の机の上には、脱ぎ散らかされた下着や制服が乗っていた。
「何をしてるんですか?!ファルファム先輩!」
俺の言葉に、ファルファム先輩は、一糸纏っていない身体を隠そうともせずに妖艶な笑みを浮かべて、人差し指を唇にあて、言葉のリズムに合わせて振る。
「ミュ・ラー・先・輩。いちいちファミリーネームで呼ばないで。そんな他人行儀なのは、やなの……」
耳から俺の脳をおかしくするのではないか、と思ってしまうほど甘ったるいファルファム先輩、もといミュラー先輩の声。
俺は、ふらふらと吸い寄せられるように、無意識にミュラー先輩の元へと足を運ぶ。そして、彼女が横たわるベッドへと倒れこみ……
――俺の記憶はそこで途切れている。
ちなみに、後日、恥ずかしがるファルファム先輩、もといミュラー先輩に聞いたところ、「試しにイギリスで売ってた発情効果のあるアロマを持ってたのを思い出してこっそり使ってみちゃった」とのこと。あと、別段、変わったことはなかったらしい。
俺が朝起きたときには、横にミュラー先輩が全裸で横たわっていて相当驚いた。俺もミュラー先輩も熟睡していたらしく、学園には大遅刻したのだが……。