374話:満月の夜に君と あの人ルート 始まりの物語
――身体が、熱い。
まるで、焼けるように熱い。身体を内側から炎で熱せられて、身を焦がすようだ。
――体内の血が暴れ出す。
その痛みにぎゅっと唇をかみ締める。そのとき、唇に鋭い痛みが走る。感覚的に分かった。――牙だ。検視が鋭く尖って、八重歯、と言うには長い。一言で表すと、やはり「牙」としかいえない。
いつの間にか生えていた牙が、唇に刺さっていたのだ。この牙は、俺が成ってしまった存在の特徴でもある。
――吸血鬼。
一般的にそう呼ばれる存在に。この牙は、吸血鬼が人の血を吸うために使う牙だ。この牙を首筋に突き立て、そこから血を吸う。
――ああ、血が欲しい。――血を吸いたい。
人間の三大欲求が「食欲」、「睡眠欲」、「性欲」であるように、吸血鬼には「吸血欲求」が存在する。
そう、俺はもう吸血鬼なのだ。とにかく血が欲しい。そんな気持ちに頭が支配されてしまう。
人を……襲いたい。血が欲しくて理性が保てなくなる。フラフラとする身体を引きずり、覚束ない足取りで人のいる方を目指す。
朦朧とする意識の中、目の前にいる人を、路地の壁へと押し倒す。まったく抵抗できない……いや、抵抗しない。
そして、彼女の首筋に、牙を突きたてた。彼女は穏やかな顔で、血を吸われているというのに、拒否する様子も無く、逆に受け入れているように思えた。
まるで、母親が子供に母乳を与えるかのように、優しく血を吸わせてくれている。
その優しさは、俺の心の奥に染み渡り、欲求が満たされていく。それと同時に、理性が戻っていくのが分かった。
「もう、いいの?」
とても……とても優しくかけられたその声に、俺は小さく頷いた。
そして、俺はこのときより、吸血鬼として生きていくことになったのだった……。
その出会いから4年を経て、俺の周りは急速に動き出した。吸血欲求を刺激する匂いをした立花彩女、なじみのカフェの店員の妹の山岸凪沙、なじみのカフェの店員である山岸沙耶、留学から戻ってきた幼馴染の秋原志弦など、俺の周りには人が集まりだしたのだ。あの人が居なくなってから、俺は、関係を深く築かないと決めていたのに、徐々に外堀を埋められていく。そして、そんな生活の中数か月が過ぎて、もうじき夏休みになろうとしていた。
今日は土曜日。休みだ。ぐっすり寝たおかげで、もう夕方。これから大してすることもないし、いつも通り散歩をするか。どこに行こうか。行かないという手もある。商店街のほうに行けば、暇が潰せるかもしれない。でも、行った事のないところに行ってみたいし、無難に白猫カフェに行くと言う手も。いっそ学園に行ってみてもいいかもな。
そうして、俺は、この休みだというのに学園に行くことを選んだ。まあ、休みだからほとんど人もいないだろうし、良いのかもしれない。それにどこか逸るような予感がしている。何かがあるんじゃないか、何かが起こるんじゃないか、そんな不思議な。
私立鑑冶学園、それが俺の通う学園だ。夕方からゆったりと歩いていたら、いつのまにか夜になっていた。月が俺のことを照らすなか、学校の中に入った。なぜか鍵が締まっていなかったが不用心だな。
いつものベンチのある屋上へと、階段を昇る。その足取りがどこか重く、でも、弾む。何かがある、その運命に導かれるように、俺は、進む。
――ギィイ
ゆっくりと扉が開いて、そして、驚いた。目を見開いて、その姿を見る。茶髪の美女、その姿は初めて会った時から一切変わっていない。吸血鬼の俺が夜で、見間違うはずもないが、それでも信じられずに目をこする。
「――久しぶり。元気だった?」
俺は思わず駆けだした。そして、あの人に跳びっつくように縋った。その体を抱きしめる。会いたかったから、会えないと思っていたから。あの日出て行ってから、もう二度と帰ってこないんじゃないかって何度も思った。だから、その存在を確かめるように、その体を強く強く抱きしめる。
「さぁ、聞かせてちょうだい、わたしがいない間にあったことを。君の家で、ってあ~、もう、わたしの服も何もかも、なくなってるかな?」
あの人の言葉に、懸命に首を横に振る。取ってあるし、部屋もそのままだよ。だから、だから……、もう二度と勝手にいなくならないでほしい。いつか、別れる日が来るのだとしても、勝手にいなくなるのだけは辞めてほしい。
俺が子供の頃、救ってもらった人であり、俺が初めて血を吸った相手でもあるのが、この篠宮雷無さんだ。
「ただいま~、あ~、この家、やっぱりいいわね。互換性っていうか共時性ってやつなんでしょうけど」
相変わらずよくわからないことを言う人だ。まあ、頭がいい人なので俺が理解できないことを言っているだけであって、言っていること自体は正しいんだろう。
「ただいま。それと、お帰りなさい」
俺は、雷無さんに笑いかける。ああ、あの頃の日々が戻ってきたんだ、そんな風に実感できる。
「あ、彰君?その方はどなたなのかしら?」
家の奥から志弦が出てくる。幼馴染の志弦は、海外留学に言って、その後両親もイギリスに行って一緒に暮らしていた。しかし、志弦だけ先に帰ってきて、家が無いのでウチに居候をしている。
「おう、前に話しただろう。前に一緒に住んでた人がいるってさ」
俺の言葉に志弦はハッとする。彼女がこの家に住むことになった際にも、その説明はしていた。だからこそ、雷無さんの部屋をそのままに、新しく部屋を整理して志弦の部屋を作ったのだから。
「彰の彼女?」
雷無さんがそんな風に言う。やめてくれよ、そんな冗談。少なくとも俺は誰とも付き合っていない。ていうか、この体質上、それが難しいのは雷無さんがよく知っているはずだろうに。
「違うよ。こいつは幼馴染の秋原志弦。今は一緒に暮らしてる」
俺の説明に何か思うところがあったのか、雷無さんは少し考えるように唸る。そして、俺に言う。
「でも、暮らしてるってことは、体質のことはもう言っているんでしょう?」
雷無さんはあくまで俺の吸血鬼のこととは言わず、体質と言葉を濁してくれた。それは、まだ話していない可能性も考慮してくれているのだと思う。
「ああ、話してるよ。まあ、バレたっていう方が的確だけど」
「あんた、まさか、吸血衝動にやられて夜這いとかかけたりしてないでしょうね?」
しねぇよ、とそんな風に言葉を返す。懐かしい、あの日々のように。本当に、帰ってきたんだ、とそんな実感がわく。
「はぁ……杞憂ね」
志弦がそんな言葉を漏らしたような気がした。どういう意味だろうか。いや杞憂の意味自体は分かるんだが、何が杞憂だったのか、ということだ。
「ふぅん、志弦ちゃんは、わたしと彰の関係を勘ぐってたのかしら?」
「なっ、そ、そんなわけでは」
何を言っているのだろうかこの2人は。まあ、その辺は正直言ってどうでもいい。今は、この戻ってきた生活が何よりも大切なのだから。
「ですが、まあ、親子のような雰囲気ですね」
「親子、ねぇ……、わたしはいつからそんな母性溢れる聖母的な存在になったのかしらねぇ。そりゃまあ、一児の母だし、彰みたいな母親代わりの例も何件かあるからおかしくはないんだけどさ」
へぇ、雷無さんは一児の母だったのか。それは初耳だ。夫がいるっていのは聞いていたが、そう言った話はあんまりしなかったからな。
「彰のように……ですか?」
「そうよ。綺桐とかケートとか、彰みたいな子はいっぱいいるの」
その話を聞いたとき、俺は、疑問に思うことが出来た。俺のもとを消えた後、雷無さんは何をしていたのか、ということだ。
「もしかして、俺のところから消えたのも、俺よりもピンチな奴がいたから?」
俺の考えに雷無さんは苦笑した。どうやら、俺の考えは外れていたようだ。じゃあ、どうして、と聞こうとして、先に雷無さんが答えた。
「ええ、そうね。そのことは話しておくべきだったわね。どうして、あの日、わたしが彰の前から姿を消さなくてはならなかったのか。それにはわたしの仕事と、そして敵……ではないんだけれど、まあ、商売敵が関わっているのよ」
雷無さんの仕事と商売敵ってどういうことだ。そもそも、俺と一緒に暮らしている間は、一切、仕事らしい仕事をしている様子がなかったけど。
「管理局……まあ、正式名称は省いて、わたしが務めているっていうか協力関係にあるのがそこなんだけど、そこの対魔物特別相談室ってのがわたしの所属になるんだけど、業務内容には子供の保護なんかも含まれるのよ。それが人だろうとなかろうとね。勘違いしないでほしいのは、仕事だから彰を……みんなを保護してるわけじゃないってこと。でも、それでも仕事に変わりないわ」
そこでいったん話を区切る。魔物特別相談室ってのはよくわからないんだが、結局どういうことだろうか。
「んで、まあ、局とは別に保安警務委員会ってのがあって、そこの副リーダーのレヴァッサ・ジル・レヴァーノフってのがいて、まあ、そいつがわたしを狙っている……正確にはわたしと3人の鬼を狙っているって話がレヴィ卿から入ってね。その1人があんたよ、彰。後で知った話だと、【紫氷雷光の吸血鬼】である東雲彰、【金月白刃の鬼神】である夜威綺桐、【九番目の吸血鬼】である夜威啓鳥の3人の鬼を狙っていたって話が分かったわけよ。まあ、啓鳥と出会ってからレヴァッサ本人に聞いた話なんだけど。まあ、狙っていた理由もレヴァッサ自身が吸血鬼になる原因を排除するため、ってはなしだけど、どうあがいても結局は吸血鬼になる未来らしいんだけどね」
【紫氷雷光の吸血鬼】ってなんだよ、俺が吸血して出る特性は氷だ。他の紫と雷と光の要素はどこから来たんだろうか。
「ま、んなわけで、まず、あんたを巻き込まないためにここを離れて【糸使い】をやり過ごしつつ、次の地で綺桐を見っけて、んで、綺桐が終わって次に啓鳥のところに行って、そこで【糸使い】と戦って、それが終わったら、夢見櫓に呼ばれておばあちゃんと戦って、そして、帰ってきたって訳よ」
うん、よくわからない。けど、本当に帰ってきてくれて、よかった。




