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《神》の古具使い  作者: 桃姫
終語編
372/385

372話:夜鬼 前日譚

 雲一つない深夜。星々と月が世界を照らす中、夜道を歩く少年がいた。年の頃はまだ10歳くらいだろうか。こんな時間に出歩いていることがおかしいが、それ以上に、彼の足取りはふらついていて、何かに誘われるように、ハーメルンが呼んでいるかのようにふらふらと歩いていく。


 そしてたどり着いたところにいたのは笛吹ではなく、鬼だった。人の肉を貪り喰らう異形の化けもの。だが、鬼は、目の前の異形だけではなかった。そう、少年も鬼だった。鬼と鬼、同じものであることが直感的に分かるのに、少年の胸中に渦巻くのは恐怖だけだった。


 鬼と血と死体。少年が見るには過激すぎるものだった。血の気が引いた少年を見た鬼が言う。


「ナンダ、オ前モ鬼カ……。一緒ニクウカ?」


 片言の鬼の言葉には狂気のようなものを感じた。少年は思わず後ずさる。鬼は言葉を続けた。


「クワナイナラ、オレガ全部クッチマウゼ」


 人肉を貪る鬼に少年は恐怖で震えあがる。自身が鬼であることを自覚したからこそ、目の前のあれと同じ存在であるということにも恐怖しているのである。


「オ前、鬼ナノニ、鬼ラシクネェナ、殺スか?」


 鬼が人肉を貪るのを止めて少年の方を見た。その目は濁り切っていて何を考えているのか、感情も読めない不気味なものだった。


「ひっ」


 少年はおびえて立ちすくむ。このままだったら殺される、そう少年の頭によぎった。恐怖が少年の頭を支配する。身体が動かない。


「死ネ」


 鬼の拳が少年に迫る。もうダメだと悟った少年は思わず目を瞑った。死を感じ、そしてそれが迫っているのも分かっていた。だから、少年は助からないとそう思ったのだ。


――ゴンッ


 そんな鈍い音が響く。少年は、痛みが……外力が何も与えられないことを不思議に感じ、目を開ける。拳は――少年に届いていなかった。


「ナン、ダ?」


 鬼すらも思わずつぶやいた。それは不思議な現象だった。鬼の鈍重な拳は一本の刀で受け止められていたのだ。


「貴様、ナンダ?」


 月明かりが刀に反射する。淡い月明かりに浮かび上がったのは橙色の鮮やかな和服を着こなした若い女だった。その茶色い髪が揺れる。少年は、その女性の美しさに思わず目を奪われる。


「ちぇっ、遅かったか。でも、一人は救えたみたいね」


 そんな風に軽く言う女。鬼を相手に怖がる様子は微塵もない。むしろ、余裕すらあるほどに見える。異常な存在よりも異常な、ありえない何かとしか形容できない存在。


「ナン、ダ。コイツ。人ジャネェ。鬼デモネェ。ナンナンダ」


 逆に不可思議な存在に鬼の方が怯えているようにも見える。たじろぐ様子を見せる鬼。それに対して女は真剣な目つきで言う。


「消えろ」


 たった一言。その一言と共に、女は刀を振るう。目にも留まらないほどの速さで振りぬかれた刀は、鬼の胴体を真っ二つに斬り裂いた。無残に切られた鬼は、淡い光の粒子となって土へと還る。


「大丈夫だったかしら?」


 女は少年の方へと振り返った。まだ20歳ほどに見える女は、その美貌とは裏腹に、少し雑な口調をしていた。しかし、その砕けた口調が、少年に馴染みやすさを与えている。


「う、うん」


 少年はたどたどしくうなずいた。女の美貌に思わず取り込まれそうになる少年。女は、少年に笑いかけながら言う。


「わたしは……あ~、そうね。なんていえばいいかしら。しいていうなら魔女かしらね」


 苦笑する女。本当なその前に「悪魔でも」と言いたかったのだろうけれど、彼女は流石に言わなかった。


「魔女……?」


 少年は不思議そうに彼女を見た。とても魔女には見えない。少年の思う魔女と言うのは昔ばなしに登場するような不気味な老婆のイメージだからだ。和服の若い女とはともて結びつかないだろう。


「そう、魔女よ。魔法が使えるの。こんな風に」


 人差し指を少年の前に差し出す。女は心の中で《螢火(ほたるび)》と唱えた。すると指先からは淡い光が溢れだす。それは魔法以外の何でもなかった。


「あなた、わたしの弟子にならない?」


 女は少年にそう言った。少年は、キョトンとした様子で、女の言葉を反芻して口にした。


「弟子?」


 少年の反芻に対して、女は笑って頷いた。そして、その意味と意図を説明する。あくまで笑いながら、悪魔的に笑いながら。


「あなたの中の『鬼』の力が年を取るにつれて増大して、制御しきれなくなりつつあるのは、見たらわかったわ。ここに来たのもそのせいでしょうね。そして、制御できなくなればさっきの男と同じように人ではなくなるわ。

 元から人じゃない、というかもしれないけど、人として人と暮らしていれば、それは立派な人よ。わたしだって体内は悪魔みたいなものだしね。

 だから、力を制御したいなら、わたしの弟子になりなさい」


 少年の身長に合わせてかがむ女。その胸元から金の月を模したペンダントが垂れ落ちる。少年は直感した。この人についていくべきだ、と。だから少年は、女に頷いた。


「そう、来るのね。じゃあ、行きましょうか。あなた、名前は?」


 少年に問いかける女。少年は、しばし迷ってから、自分の名前を女に言う。まるで呟くように、自分の名前を言う。


「きどう……、夜威(よるい)綺桐(きどう)


 少年……綺桐の名乗りに、女は運命的なものを感じた。そして、僅かに笑みを浮かべたまま、彼女は言う。


「よろしくね、綺桐。わたしは、……篠宮(しのみや)雷無(らいむ)よ」


 これが綺桐と、後に綺桐が先生と呼び敬う篠宮雷無の出会いだった。







 それから時は流れる。綺桐が14歳になる頃のことだ。綺桐が中学二年の時、雷無と綺桐は一緒に住んでいた。雷無の家……ではなく、多山六角と呼ばれる場所である。四方を山々に囲まれた場所であり、本来の名前は茜秋村(せんしゅうむら)にある【茜秋神社(せんしゅうじんじゃ)】と言う秋雨の聖地である。今や人の住まわない空の神社に仮住まいをしているのだ。


「先生、例の件……終わったよ」


 綺桐は、雷無に言う。神社に住んでいた彼らだが、その生活の跡を徐々に消していた。まるで、此処を出て行くかのように。


「そう。……綺桐、言った通り、来月からはわたしじゃなくて、西野家に居候してもらうわ。もしかしたら養子縁組ってことで通るかもしれないけどね」


 西野とは雷無の親戚の家であり、雷無の夫の親戚の家でもある。雷無と雷無の夫も親戚の関係の為そのようなこともあるのだ。


「銀河のやつもコスモも、それに娘の覇魔ちゃんも名前は変だけどいい子たちだから大丈夫よ」


 そう、綺桐と雷無はもうじき別れることになっていた。師弟のようで親子のようであったこの2人にもいつか別れがある、それはお互いに分かっていたことだ。


「先生、本当に行くんだな」


 綺桐が惜しむように、それでも引き留める気はない様な声音で告げる。雷無は、微笑みながらそれに答えた。


「ええ、そろそろあなたも十分に制御できるでしょうから、次のあなたみたいな子のところに行かないとね」


 そんな風に言う。雷無の仕事ともいえるのは、綺桐のような存在を救うことにある。救えばお金がもらえるし、だからと言って、雷無はそのために綺桐を救ったわけではない。雷無は綺桐を救いたくて救ったし、そこに公的な意思は介入していない。そも、あの時点での局からの命令は、鬼の調査のみだった。それを覆して、調査も兼ねて綺桐を救ったのは、他でもない、雷無の意思でしかないのだ。


 雷無は昔、ある経験をしている。とても優しい女の子、生まれつき炎を宿した彼女は父以外の誰からも嫌われ、そのせいで父を崇拝し、父のどんな命令にも従うような状態になっていた。(おおとり)麗炎(りえん)。父の命令なら、その身を炎に焦がしても全うする少女だった。彼女は雷無との戦いを通して、分かり合える存在との出会いを知り、父の呪縛から解放される。

 雷無は、そんな忌み嫌われてしまったがために始まった哀しい呪縛を作らないために綺桐のような存在を救って回っているのだ。別に鬼専門と言うわけではないが、局のバックアップでそう言う存在を探している関係上、局の意向に左右され、鬼に会う機会が増えているだけである。


「そうか……、それじゃあ、しかたないよな」


 悲し気な瞳の綺桐に、雷無は仕方がないと笑いながら、頭を撫でる。そして、自分の首から月のネックレスを外して綺桐にかける。


「綺桐、これはあなたにあげるわ。そのネックレスはね、昔、麗炎(りえん)に……友達に貰ったものなのよ。その子もあなたみたいな力を制御できない先天性の異能者だったから」


 雷無は双龍の書の片方、黒龍の書によって後天的に第六龍人種になった存在だ。綺桐たちのような生まれついての超常ではない。だからこそ彼女に分かることもあれば、分からないことも当然ある。


「今では、結婚もして……はぁ……そうよねぇ、あの麗炎(りえん)が結婚したのよねぇ。まあ、子供3人いるし、きちんと制御も安定しているのよ。だから、あなたも麗炎(りえん)みたいに、そんな未来を見せてちょうだい。その時まで、このネックレスはあなたに預けるわ」


 そう言って、頭を撫で続ける。内心で「麗炎(りえん)てばわたしよりも2人も多く生んでいるのよねぇ」などとたわいもないことを考えていた。

 そして、2人は別れを迎え、そのまま、2人も道を歩みだす。





「あの、初めまして。俺は夜威綺桐。今日からお世話になります!」

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