368話:ソラと此方とイルメニシア 始まりの物語
星の瞬く深夜のこと、地面が揺れる。地震……ではない。毛におおわれた巨大な身体を持つ男が、何かを攻撃しているのだ。その攻撃をされている何かは、赤みがかった黒髪に、整った顔立ちの少女。そして、攻撃をかわしながら、少女は、男の心臓を何かで貫いた。
まるで星の粉となって天へと消えていく男。これが、毎晩のように続く、彼女の闘いであった。
――天龍寺此方はビッチである
それが少女の名前と周りからの評判だ。そんな噂が流れるようになったのは、いつからか。その噂の流れ始めた当初は、「なら俺もやらせてくれるんじゃね」と思い上がった男たちが迫ったが、今や、メンクイだと評判になってしまっている。男子も女子も此方を遠ざけるようになったのだ。男はさげすまれるのが嫌で、女は妬みから。此方はそれでもいいと思っていた。何せ、彼女は普通ではないからだ。恋愛なんてすることができない、だから、それでいいと思っていた。
授業中に指されることもなく、ただただ、彼女はぼーっと外を見ていた。外では、1つ上の学年の男子生徒たちが長距離走をやらされていた。そんな中に、あまり見たことのない様な姿を見た此方は思った。
(あんな先輩、いたっけ?)
大抵の先輩は一度、此方のことを見に来ているので、大体の顔は覚えたのだが、何故だか、此方は、その男子生徒だけは記憶になかった。
(あ、目が合った)
長距離走を終えた男子生徒が偶然か、此方の方を見て、此方と目が合ったのだった。此方は、その目に引っ掛かりを覚える。
(何だろう……不思議な目よね。何かが渦巻いているような、普通じゃない、そんな目を。見た目は普通なのにね)
そう言ってしばらくその男子生徒を観察していたが、どのみち関係のないことだ。そう割り切って、此方は次の授業の頃には、その男子生徒のことは記憶から外していた。そう外していたのにも関わらず、だ。
放課後、用事があって残っていた此方の前に、その男子生徒が現れた。柔和な笑みを浮かべて、此方の元へとやってくる。それは今まで此方に寄ってきた人間の誰とも違う、強いてあげるなら、おそらく父さんのような、と此方は思った。
「――あ、あのさ、天龍寺。明日、暇だったりする?」
照れて、ハニカムように告げる。此方は訝し気に思ったが、授業中に見ていた人物であることを思いだした。思い出したからと言って此方は特に何も思わなかったが。
「――残念、明日は用事があるんです。御免なさいね、先輩」
媚びるような声で言う此方。いかにも、と言った声で、遊んでいると感じるものだ。大抵、この声を出すと、同じ学校の人間なら、噂が真実だと悟り逃げていく。
「――そっか、じゃあ、明後日は?」
なおも引き下がらない男子生徒に、此方は逆にこの普通の雰囲気が不気味に思えてきた。何があっても「普通」。まるで「普通」を貫き通しているかのようで、それが仮面に思えてならなかったのだ。
「とにかく無理」
そう言いながら、此方は逃げるように去った。本来は、用事があるので去るわけにはいかなかったのだが、それは後日に回すことにして、此方は早々に家へと引き上げる。
天龍寺此方にとっての家とは三鷹丘市にある南方院財閥が保有する高級マンションの上階にある部屋のことだ。此方に両親はいない。その言い方は適当ではなく、正確に言い表すならば、此方の両親は不明なのだ。此方は今、母方の伯母に引き取られているので、その伯母の姓を名乗っている。戸籍上は別の苗字を持っているのだ。だが、此方はそれを名乗る気はないし、今更両親が現れたところで、どうという気もない。むしろこのまま放っておいてくれた方が、此方にとっては気楽と言うものだ、と彼女は言い張るだろう。
「はぁ……ったく、何なのよ、あの先輩は」
妙にしつこく迫ってきた男子生徒の顔を思い浮かべて此方はため息をついた。今まで、此方はこんな気持ちになったことが無かった。だから、どうしようもなく胸が騒ぐこの感覚が不思議でたまらなかった。
「名前も知らないけど……、あんまり関わりたくないわね」
そして、時は満ちていく。夕日は沈んで、夜の時間が訪れ、帳が世界を包む。そして、彼女の時間が始まった。そう、――天龍寺此方の時間は、此処からである。
闇の中、まるで巨大なライオンのような大男が、街を闊歩する。この世界とは半歩ズレた異界……【壊れた輪廻の世界】と呼ばれる世界で暴れまわっていた。
「チッ、今日も派手に暴れているわねぇ」
赤い外套を纏った此方は、とても目立つ。夜でもなお薄緑の【壊れた輪廻の世界】で赤色はあまりにも目立つものだ。赤と緑は補色の関係にある。RGBで言えば、a*の値が高ければ赤だし、低ければ緑なのだから対極に位置すると言えるだろう。そんな目立ったものを着て此方はどうするのか、と言うと、戦うのだ。
いつものこと、それが此方の感想。これまでの人生で、この現象に巻き込まれた回数は、100を越えてから数えていない。
「とっとと倒すわよ」
そう、天龍寺此方は魔法使いである。魔法……それが何かの定義はおいておいて、常識的に考えれば馬鹿々々しいだろう。超常的なことは認知されていないこの世において、そんなものを使えるのは不思議だ。だから、此方は引き取ってくれた伯母にもこの力のことを話していない。
「――【八界、天翔の……ってあれ」
魔法をとなえようとした瞬間に、いつもとは違うという違和感を覚えた。何が違うのか、それが分からなくて、しばし、此方は考えた。そして気づく。いつもなら、まっすぐにこちらに向かってくる相手が、今日は一切、此方を見向きもしないということに。
「うわぁああああああ!え、何コレ!」
そんな声も聞こえてきた。そこで此方はようやく理解に至った。そして、渋い顔をしたのだった。
(誰か巻き込まれたっていうの?今までそんなことは一回もなかったのにッ!)
初めてのことに、少し対応に悩みかけるも、今はとりあえず、一般人を救うことを先決すべきだと此方は気づいた。
「【八界、天翔を駆ける空馬の王、その御力を我が元に】」
となえた瞬間に、此方は、天を駆ける力と凄い脚力を手にする。それはまるで天を駆ける気高き白い馬、……ペガサスの様であった。
「【獄界、地より這い出る黒き炎を彼の敵を焦がせ】」
できるだけ威力を絞って、敵だけを焼き尽くすように狙いすまして、黒い炎を放つ。しかし、此方の攻撃は瞬間的に避けた敵によって外れてしまう。此方の頭に嫌な予感がよぎった。巻き込まれた人間を今の攻撃で殺してしまったのではないか、そんな予感を胸に、空を駆けた。
渦巻く炎、その中心に、その男はいた。まるで、炎が吸い込まれるように彼の口へと消えていく。炎を食べている、そう錯覚しそうだが、此方は気づいた。炎を……魔法を魔法の素である魔素に分解して食べているのだと。普通の人間がそんなことをすれば、魔素の体内流入に、場合によっては拒絶反応を起こして死んでもおかしくはない。自分の魔力ならともかく、他人の魔力の魔素を食べれば十中八九、拒絶反応を起こすはずなのだが、彼はそれが平気だった。
「嘘……」
そして、此方を驚かせたもう1つの要因は、その男が、声をかけてきたあの男子生徒だったからだ。どれだけ縁があるのか、そして、彼がどれだけ普通じゃないのか。それが此方を怯えさせた。
「あー、驚いた。何だったんだろ、今の?」
彼は平然と「普通」にしていた。それが限りなく異質で、普通が普通じゃなかった。おかしい、そう思う。だが、そこで此方はハッとする。今、彼の危機的な状況は、魔法だけではない。襲ってくる男がいるのだ。
「ちょっと、其処の貴方!早く逃げないと獣人に殺されるわよ!」
獣人、獣と人の特性を有する種族。そして、彼らは誇り高き獣魔血盟英雄国団の団員なのである。普通は勝つことができない。逃げろと促すに決まっている。
――グルォオオオオッ!
遅かった。何もかもが遅かった。男子生徒が反応するのも、此方が声をかけるのも、此方が動き出すのも、全て――遅すぎた。
あっけなく、男子生徒の身体は、ライオンのような獣人の爪によって上半身と下半身を裂かれて、上半身は遠くにボトリと落ちた。
「イヤァアアアッ!」
別に大した思い入れのある相手ではない。しかし、此方はその瞬間、まるで全身から何かが噴き出すのではないかと言うような力の流動を感じるほどに、頭が真っ白になった。そして、本当に何かがあふれ出そうになった、その瞬間、それが起こる。
まるで時を巻き戻すかのように、男子生徒の身体が、元に戻ったのだ。魔法なんかよりももっと高度な何かよって、それが起こる。
「え……」
此方はあっけにとられて、何が起こったのかが分からなかった。此方が呆然とするなか、彼は、拳を握るとライオン型の獣人を思いっきり殴りつける。
――ゴゥ!
まるで人間のそれとは思えない音が鳴り響き、巨大な獣人を遥か遠くに吹き飛ばした。ありえない。そも人間が、何の助力も無しに、そんなことが出来るはずがない。
「ったく、何だったんだ?」
そんな風にこともなさげに「普通」なことを呟く彼は「異常」だった。そう、彼は、ただ【普通になりたかった青年】なのだから。
「えっと、それで天龍寺、状況を説明してもらえるか?あっと、俺はソラ。気軽にソラって呼んでくれ」
「ソラ……先輩……?」
これは、2人の物語。ソラと此方が紡ぐ、【常闇の魔城】へと続く物語である。
――さあ、ソラ、貴方は普通を知ることができるのかしらね……。楽しみだわ。わたくしは、ここで……【常闇の魔城】で、貴方の帰還を待っているわ。




