364話:メイドの物語―クラス転移で職業メイド― 始まりの物語
心地いい昼下がり、欠伸でもしたくなるような陽気の中、カッカッとチョークが黒板を撫でる音が響いていたわ。板書する者も、寝ている者も、それ以外の者も、その静寂を壊すようなことはせず、ただひたすらに、自分の全てきことをまっとうする。なんていい空間なのかしら。手に汗握る大冒険も、ひたすらな修行も悪くはないけれど、やはり人間に必要なのは平穏なのかしら。
今にして思えばそんなことを思ったのがいけなかったのよね、と後のあたしは後悔する。そう、圧倒的なフラグ臭しかしないその考えをした瞬間に、床から光が溢れた。無論、普通の教室の床であって、特殊な仕掛けがしてあるはずもない。なのに、こんなことになるってことは……。
眩い光が収まればそこは、森の中だったわ。森、木が3つで森。でも、実際に生えてるのは3本どころじゃなくて、辺りを見回せば木、木、木、木しかないわ。いえ草も土もあるけれど、そう言う意味ではなく。
「ど、どうなってんだこりゃぁ?!」
そう叫びたくなるのも分からなくもないわ。さっきまで教室にいたんだもの。それがいきなり森の中なら当然なのかも知れないわ。皆が慌てて、落ち着きなくうろうろしたり、座り込んだりする中、あたしは、木を調べてみる。
この木……、それにこの気温、日本ではないわね。と言うよりも、あたしの勘が確かなら、ここは、異世界ってやつでしょうね。ああ、こうやって召喚みたいなこともあるのねぇ……。
「な、なあ、なんか、変な音がしねぇか?」
だから、どうしてそうフラグを建てるのよ。凄いわね。でも、確かに、寄ってきているみたい。尤も、モンスターとかエネミーとか動物とか、そう言った類の物ではないわよ。ああ、いえ、動物は該当するかもしれないけど。突き詰めれば人間も動物だし。そう言う意味でなくとも、おそらく馬に乗っているでしょうし。
「落ち着いてください。馬の足音ですが、規則正しい。おそらく、人が乗っているのでしょう。こちらから危害を加えなければ、とりあえずは大丈夫だと思います」
あたしがそう主張する。まあ、盗賊とかの可能性もあるけど、盗賊がこんな森の中でまで馬に乗るとは思えないし。……まあ、あたしの口調が地と違うのは母さんに仕込まれたからよ。
「馬っ?!人?!」
とりあえず、うろうろしてたやつも含めて全員が、動きを止めて、その音が近づいてくるのを待つ。そして、10頭ほどの馬が人を乗せてやってきたわ。先頭の白馬、その後ろに続く馬、それらには同じ旗が掲げてある。あの旗……なるほど、この気候といい、納得だわ。
「おお、ここにいたか。君たちが異世界から召喚された者たちだね」
白馬に乗った騎士がそう言うけど、うちのクラス、36名は、何を言っているか分からないというような顔をしていたわ。ああ、あたしは慣れているから別としても、そう言うことね。それにしても、その白馬の騎士の後ろに座っている女……、あのティアラは確か……。
「どうしたんだい、君たち。早く答えてくれないか?」
なるほど、確かあの国の歴史は……。通りで勝手が分かっていないようね。仕方がない、ちょいと危険になるかもしれないけど、いざとなればどうとでもできるものね。
白馬の前まで言って、跪きながら、皆に聞こえないくらいの声で伝える。
「クルヴァアナ帝国の【白夜】騎士と姫殿下とお見受けします。皆、あなた様方の質問に答えたいところですが、世界が違えば言語異なります。皆、言葉が分かっておりませぬ故、お答えできていないのです。どうか、翻訳魔法をご使用ください」
なんていえば、なんでお前は翻訳魔法を使う前に言葉が分かっているんだよ、ってなるでしょうね。現に第一皇女だか第二皇女だかしらないけど、こっちを見ているもの。しかし、騎士は脳筋なのか、「そうか!」と手を叩くと、部下の魔法使いに指示をする。
「これで、言葉が通じるかな。君たちが異世界から召喚された者たちだね」
うちのクラスメイトは、ざわざわとしてから、皆頷いた。状況が呑み込めたのだろう。はぁ……面倒ねぇ……。しかも、これで、あたしの知ってる世界と一緒ってことが判明したし。しかし、まあ、龍神を介さずに異世界に来たのは初めてだからちょっと不思議な気分ね。両親も一緒じゃないし。
「そうか、ここはクルヴァアナ帝国の近くにある源森だ。すまないが、ちょっとした手違いがあって、召喚される位置が狂ってしまったのだよ。皆を帝城に案内したい、着いて来てくれるか?」
騎士がそう言って、馬を動かそうとした瞬間、皇女がそれを止める。他の馬は進んでいいということでクラスメイトを率いて進んでいく。でもあたしだけは待てとのことだったわ。まあ、あたしのことを問うのでしょうね。
「少し待ってください。貴方、なぜ、貴方は翻訳魔法の使用の前に、こちらの言語を理解し、話すことができたのですか?答えてください、答えなければ、セグヴァートが攻撃を仕掛けますよ」
セグヴァートと言う言葉で前の騎士を見たので、おそらくこの騎士のことでしょうね。何レベくらいかしらねぇ……。見たとこ、60から70レベってところかしら。
ああ、この世界にはレベルと言う概念はあるわ。尤も、ステータス……攻撃とか防御とかすばやさとかそういうのは無くて、職業とレベルが決まっているくらいだけど。
「それだけ、ですか?貴方の眼を見る限り、他にもっと聞きたいことがあるのではないでしょうか。もう一度聞き返しますが、それだけでよいのですか?」
何かたくらんでるっぽいのよね。そんな顔をしてるんだもの。まあ、ほぼ直勘だったけど、図星っぽいわね。
「今は、それだけで構いません。教えてください。それとも答えられない事情でもおありですか?」
へぇ、今は、と来たわね。こう返して来るのも珍しいけど、皇帝の一家なら肝が据わっているのも納得ものかしら。
「そうですか、ならばお答えしましょう。簡単なことで、知っていたから、と言うことだけですよ」
そう、あたしはこの言語を、この国を知っていたから分かった、それだけのことよ。それ以外に答えようがないじゃないの。
「それが答えになっていると思っているんですか?」
いえ、だって、これ以上の答えを持ち合わせていないもの。あたしの態度が気に障るのか、皇女は、そう言った後に、セグヴァートとやらに指示を出したわ。
「もういいです、セグヴァート、おやりなさい」
短気は損気ってやつだと思うけど。まあ、いいけどね。この程度なら、どうとでもなるもの。無論、本気を出さなくとも、ね。
「りょ、了解しました。異界の少女よ、悪く思わないでくれ。姫は少々気が短くてな」
「セグヴァート……、首になりたいんですか?」
まあ、本人の前で言えばそうなるわよね。まあ、仕方がないわ。どうしようかしら。セグヴァートは馬を下りてあたしの前に立つ。その手には剣を握っていた。なるほど、でも、まあ、若いわね。彼我の戦力差理解できていないもの。
「すまんっ」
セグヴァートの一閃。それをあたしは、素手で受け止める。
「何がすまないのでしょうか」
ひょいと剣を取り上げてその辺に捨てる。てか、弱いわね。やっぱり見立て通り60レベくらいでしょう。
「なっ、馬鹿な。チッ」
どこに隠し持っていたのかしら、いえ、違うわね、空間魔法でしまわれていたものかしら、紅の刀身を持つ大剣が出てきたわ。父さんならあれに反応するんでしょうけど、生憎とあたしは剣に興味がないから。
「ハッ!セイァッ!」
それを取り出すとすぐさま間合いを詰めて剣を振るう。なるほど、この剣、スペックは中々のようね。それに特殊な魔法がかかっている類かもしれないし、そうなってくると厄介ね。ちょっと本気を出しましょうか。
「戦闘中に失礼します」
そう断りを入れてから、間合いを取るように少し離れるように飛び跳ねた瞬間にメイド奥義66「身も心もメイドたれ」を使ってメイド姿に変わる。
「メイドですかっ?!」
皇女も驚きの声を上げる。これがあたしの正装。本当の姿と言ってもいいくらいのものよ。
「メイド奥義59『主が為に牙を剥く』」
袖に隠し持っているナイフを取り出して構えを取る。そして、間合いを一瞬で詰めて、ナイフを首元に突き付けるわ。セグヴァートは紅の刀身を持つ剣を手放し、両手を上げる。その実力差が分かったんでしょうね。
「驚いた、あんた、レベルいくつだ。少なくとも、騎士団で一番レベルの高い俺よりも高いと感じた。それも、この感じ、獣王を前にしたときよりもきっと酷い。目の前に巨龍が出てきたときと同じ感じだ。あんた、リミットオーバーだな?」
限界突破ね。ええ、とっくの昔にね。この世界を父さんと母さんと旅してまわったころに100レベなんて突破したわよ。
「あなたの10倍以上、と言ったところでしょうかね」
あたしは肩を竦めてそう言った。流石に冗談を言われたと思ったのか、セグヴァートは、やれやれとでも言いたげな顔をしている。
「食えない人だ。しかし、なんでメイドなんだ?」
「職業がメイドだからですよ。ご覧になりますか?」
名前、レベル、職業は、本人の許可があれば見せることもできる。だからこそ、あたしは、それを皇女とセグヴァートに見せる。
名前:シユリ・アオバ
レベル:892
職業:メイド
2人の動きが固まった。しかし、その後、皇女は、なぜか急に笑い出すわ。頭いかれてんじゃないのかしら。あまりのレベル差にイっちゃった?
「うっふふ、いいですね、最高です!レベル800オーバー!エイトリミットオーバーですか!それももうじきナインリミットに届きそうなくらい!うっふふ、貴方、私に手を貸しなさい。こちらからできる限りのサポートをする代償に、私の皇位継承に手を貸してくださらない?」
天性の皇族故、かしら。レベル差がここまである化け物相手に、提案を持ちかけてくるなんてね。ま、面白そうとも思わないくだらない話だけど。
「第二皇女と言うことは、このままだと第一皇女が継ぐということでいいんでしょうか?」
「ええ、間違いなく。それも、リミットオーバーですからね、普通なら順当にそうなるのが道理でしょう。私は、まだレベル99のリミット。ですから、手を貸してほしいんです」
あまり気乗りはしないけれど、まあ、異世界でちょっとままごとに付き合うのも一興かしら?
「分かりました、少しでしたら手をお貸ししましょう」
こうして、あたし、青葉紳由梨の異世界での生活が始まったわ。これから、どのような日々が待っているのでしょうね?




