333話:第二十三階層・昏き天の地へSIDE.GOD
塔を昇る。そんな中、俺は、最後尾で、前を行く仲間の背中に、どことなく遠い思い出をよみがえらせていた。――サルヴェガーツェ殲滅戦、通称「鯨麒麟殲滅戦」。初代烈火隊も全員ではないが参加をしている。しかし、苛烈に下劣で醜い戦いだった、と後世に称されるほどに、酷くあっさり終わった戦いだった。
サルヴェガーツェとは、危険な紛争世界だった場所に住む、紛争の火種。サルヴェガーツェを分かりやすく言うと、原生生物にして幻聖生物にして元星生物。忌憚惨燚と言う事態に陥った時に絶滅したと言われる生物だ。
ちなみに、【天使の輪】が焼き払ったのはサルヴェガーツェではなく、紛争をしていた現地世民の方である。動物を殺したからではなく人々を殺したからこそ忌み口に出すのも憚られ、惨たらしい燚められたもの、と言う意味でフュヘルンベッザと呼ばれるのだ。
そも、時空間管理局が関わった事件で、このような畏怖の呼ばれ方をするのは忌憚惨燚以外には、そうないことだ。刕淼天明のほかにいくつか程度だろう。
WS-450【天使の輪】。火野海里謹製の武器の中でも異質の存在で、燚炎火の玉、淼氷水の玉、森林木の玉、靁霆雷の玉、垚地土の玉と言う玉が使用されている。火野海里は変わり者として知られているし、隠し要素が大好きだが、この玉のことは公表している。性格を考えると玉のことは明かさないで使わせ続けるタイプのはずなのに、そこがどうにも引っかかっているともいえるんだが。その答えを知るのは、火野海里本人だけだろう。
まあ、【天使の輪】は先生が受け取っただけで会って、業には関係ないから今思い出したのも、きっと偶然だろう。そう、偶然……のはずだ。
そう思いたかった。あの戦いには、あいつも……参加していたから。だから、業が重なってしまっているとは思いたくなかったのだ。その業が橘先生に振りかかるなんてもってのほか。そう思った。
だから、階段を昇り切って、その人物が見えたとき、俺は盛大にため息を吐いた。やってしまった、いや、巻き込んでしまった。そう強く思った。サルヴェガーツェ殲滅戦の主力に、姉さんは参加していない。緊急時の切り札として前線に出ることはなかった。だから、知らないだろう。彼女のことを……。
「立夏?」
橘先生がその名を呼んだ。その瞬間、俺の心臓はドクンと音を立て、頭が真っ白になる。……なぜ、橘先生がコイツの名前を……。
「めい……りん?」
そうして、デュリエットも、また、橘先生の名前を呼んだ。知り合い……、だが、そんなはずは……。おそらく、この場で、彼女のことを知っているのは俺だけのはず……だったんだが、どういうことだ?
「やっぱり、鳴凛。日向神鳴凛じゃないですか!」
リッカ・ベル・テンペスト=デュリエット。サルヴェガーツェの中でも知能を持ち、人となることのできるテンペストの1人。全部で11人のテンペストの中で、リッカの位階序列は3位だった。名前の最後のデュリエットは第三風帝の名であり、位階序列を継ぐと同時に名前の後ろにつく。
「鈴嵐、立夏ちゃん……。どうしてここに?!」
橘先生の知り合いのようだが、名前もきな臭い。リッカと立夏、ベル・テンペストと鈴嵐。どう考えても同一人物だろう。見た目も変化なしだし、気配もサルヴェガーツェのもの。すなわち、転生などではなく、正真正銘、デュリエットだ。
「何、鳴凛、あんた、知り合い?」
姉さんがそう言う風に聞く。そう、姉さんは、テンペストの顔を知らない。だから、相手が分からない。だが、俺は知っている……。
「わ、わたしの幼馴染でぇ……、その……、親友、みたいな?」
幼馴染……。つまり、デュリエットはあの後生きていたのか?だが、他の第一嵐帝も第二炎帝も、第四武帝も、と言うより、全員が死亡したことになっていたはずだ。
「デュリエット、お前……」
俺の言葉に、デュリエットが勢いよくこっちを向いた。その目は、翡翠のように美しい目で、そして、それは、サルヴェガーツェの特有の宝眼だ。
「……ッ、貴方は!あの時の!なぜ、貴方がここにいるんですか?いえ、そもそもここはどこですか?私のことが知れて罠にはめられたのを助けに来た、とかですか?」
実を言うと、俺はテンペストと戦うのは避けていた。一方的な狩りはいくら世界規模の紛争の元とはいえ、可哀想だったからだ。そのことを知っているのは、俺とテンペストとヴァルガリア・デュッセンドだけ。
「いや、そうではないんだが……、ああ、こうも業が重なると嫌な気分だ。橘先生は、俺の所為で親友と拳を交える羽目になるんだからな」
正確には……、いや、その話はいいだろう。それよりも、今この場をどう説明するか、と言うのが大事だろう。
「てか、何、また紳司君の知り合いなの?」
秋世がため息を吐きながら、そう言った瞬間に、デュリエットが振るえる。まるで、化け物でも見たかのように、怯え、後ずさった。
「い、イャッ……イヤアアア!」
まるで、突然怪物が現れたみたいに、……あれは、サルヴェガーツェの本能だろうな。凄い……まさか、嗅ぎとれるとは思っていなかった。
「おい!秋世、シッシ、あっちいってろ。お前がいるとデュリエットが怯えて話にならん」
「え、なんでよ!私なんにもしてないじゃないの!」
秋世はブチ切れだが、仕方がないことだ。本能には逆らえないだろうからな。しかし、まあ、本当に仕方がない……。
「それにしてもデュリエット。お前、あの後、どうやって生き延びてたんだ?」
秋世を遠ざけてデュリエットを落ち着けさせてから、そう問いかける。一番の謎を聞く。その答えをデュリエットは言った。
「剣聖殿が救ってくれたんです。その後は楪殿の元に……。今は、大和と一緒に居ます」
剣聖……まさか、あいつが?!意外過ぎる名前に驚いた。それに東雲楪……、四星剣を持つ彼女に、その筆頭剣儸、東雲大和。東雲流鬼剣術を継ぐに足る資格として「東雲」の姓を楪から受け継いだらしい。旧名は兼次。
「そうか、兼次と一緒なのか……。あいつはまじめだから大丈夫だろう。それよりも、剣聖が助けていたのか……。意外なこともある。いや、意外でもないか……」
しかし、剣聖が助けたのまではよしんば、分かるにしても、東雲楪に渡った経緯が分からないな。剣のつながりか?
「大和の旧名を知っているんですね。それにしても、……本当に、貴方は変わらない。あの頃の、優しさを持ったままです」
優しさ、ねぇ……。言われる分には悪くないが、しかし、あの頃も、今も、あんまり優しいとは自分では思ってないんだけどね。さて、どうしたらいいかな……。
「ねぇ、紳司、結局、こいつは誰?……ううん、何?」
誰と聞いてから何と言い直した姉さんは、どこかで直感的に、人間ではないことを感じ取っていたようだ。一方、デュリエットも姉さんの方を見て、警戒心を抱いているようだ。
「あの時……、敵の後方に、遥か高い山のような……そんな圧倒的な気を放っていた人が居ました。その人の【力場】に似ています……、雰囲気も気配も……。もしやして、貴方が件の武神殿ですか?」
あの戦いでは、姉さんは結局、後ろにいただけだったから参戦していないも同然。だが、現場にいた当事者ではあるのだ。そして、高い感知能力を持つデュリエットなら、その存在のことを感じ取っていてもおかしくはない。
「ん?どの戦いのこと言ってんの?……う~ん」
まあ、姉さんが戦いに赴いた数など数えきれない。姉さん自身がどれのことか判断できないのも仕方ないところがあるだろう。
「サルヴェガーツェ殲滅戦のテンペストだよ」
俺はあくまで簡潔に姉さんにそれだけを伝えた。それだけで、姉さんに十分な情報だったからだ。姉さんは、それですべてを察したんだろうな。
「あ!だから剣聖の名前が出てたのね。しっかし、生き残ってたなんてね。テンペストやサルヴェガーツェはあの子が……、人々は舞子が一掃したはずじゃなかったっけ?」
ここで予想外の名前が出てきて驚いているのがばあちゃんだ。自分の母の名前が意外なところで出て驚いたんだろう。まあ、俺や姉さんは、じいちゃんや父さんの名前がこれまでの人生のいろんな意外なところで出てきて驚いているからお相子だと思う。
「あの……、舞子ってもしかして……!」
ばあちゃんの言葉を遮るようにして、姉さんが口を開く。その前に、デュリエットをチラリと見たのは気を遣ってだろう。
「ええ、そうよ。立原舞子。かつて、時空間統括管理局理事六華直属烈火隊三番隊中隊長を務めていたわね。その当時、とある世界で起こった紛争、その原因を取り除くために行ったのがサルヴェガーツェ殲滅戦。その戦いの生き残りが、この子で、その戦いで多くの人を焼いたのが舞子が使っていた【天使の輪】。今、その【天使の輪】を持っているのは、鳴凛、あんたよね」
姉さんがおおよそのことを説明してくれた。そう、ここへの業はいろんなものが集った故に起こり得るもの。立原の血や実際に戦場にいた者、使われた武器、様々なものがここに集った故のこの業だ。
「これが……立夏ちゃんの過去に関わっていたなんて……」
橘先生は、【天使の輪】を見ていた。
「それよりも、なんで青葉君は、立夏ちゃんのことをデュリエットって呼ぶの?」
おい、それよりもってなんだ、それよりもって。橘先生、相変わらず、よくわからん感性をしているようだ。
「それはですね、鳴凛。私の本名がリッカ・ベル・テンペスト=デュリエットだから。まあ、デュリエットは位階名なんですけど」
え~、遅くなりました。申し訳ありません。




