285話:不穏への予兆
9月に入り、授業が再び始まる前の日、つまり始業式の日。俺は屋上に座り込んでいた。リュインちゃんはいない。X組は始業式にも出なくていいので今日は来ていないのかもしれないが、別に彼女に会うために屋上に来たわけではないので構わない。むしろ。まったりとくつろぐには好都合だろう。下の喧騒が聞こえなくなりつつある。皆、始業式のために、体育館に移動したのだろう。鞄を枕にしながら天を見上げる。秋になり始めたからか、不思議と高く感じる空。まだ微妙に残る暑さが身に染みる。そして、その青空を遮るように何かが俺の視界を覆った。突如現れたそれが何か、しばらく分からなかったが、ヒラヒラと揺れるそれは、……スカートだった。中には黒のパンティー。スラリとのびる脚は、美しいが、俺の知っている高校の知人の誰の物でもなさそうだ。
だが……あれ?あのパンティーには見覚えがあるような気がする。微妙に細部が違うが、ああいったものを俺が好むというのを知って履いているような、そんな……。そう、僕は見たことがある。
「うふふっ、【天兇の魔女】が『我が神』の終焉の地である黙示録の櫓を甦らせると聞いて見に来てみたのですが、まさか、このような場所で、再会できようとは思いませんでした。ねぇ、旦那様」
その美声。天女の如き、その声に、俺はゆっくりと、静かに、そして「まさか」と言う思いを最大限に込めて、その名を口にする。
「初妃……?」
俺の口から出た名前、初妃。浮かぶのは、彼女の母親とは違って柔和な笑みを浮かべて、茶色の髪を風に揺らす少女。そして、漆黒の鎧を身に着け、支配者となった女性。そう、その女性こそ、【魔王】と呼ばれた篠宮初妃である。数多の称号を貰った彼女の称号の1つ【魔王】。最強と名高い、その力は、全てが神よりもたらされたもの。
「正解ですよ。ただし、今は、刃奈と呼ばれていますが。正確に言えば、篠宮刃奈と言う人間の分裂体……え~、刃奈に宿った私と刃奈本人で体が分裂した状態にあるということですね。ですから、刃奈の身体に入った初妃、と言うことには間違いありませんけれど」
言っている意味はよく分からないが、要するに、初妃も初妃で、転生とは別の何かで今、ここに成り立っているらしい。そこでようやく彼女、俺の上にまたがった状態から退く。先ほどまで遮られていた光が飛び込んできて、目が眩む。そして、目が慣れてきたころに、初妃……刃奈が顔をのぞかせる。相変わらず可愛らしく美しい顔立ち。神の子にして神の妻たる彼女。そう僕の妻。
「その制服は……鷹之町第一高校の制服?」
いつまでも彼女の顔に気を取られていても仕方がないので、意識を逸らし、彼女の着る制服について言及した。姉さんの通う鷹之町第二高校と同じように鷹之町市にある高校、鷹之町第一高校。制服のデザインが第二高校と微妙に異なるので分かる。なお色は濃紺で、セーラー服だ。
「ええ、よくお分かりになりましたね」
そう言って、ファッションショーのようにくるりと回って俺に衣装を披露するように見せてきた。その様子にしばし見とれていたが、流石にいつまでも見とれているわけにもいかない。
「俺の姉さんが第二高校に通っているからな」
俺の言葉に、刃奈は、顔を真っ赤にして、興奮したように鼻息を荒くして、顔を手で覆っていた。何か変なことを言っただろうか。特に変なことは言っていないはずなんだがな。
「『僕』と称する我が神も可愛らしくて好きですが、『俺』と称する我が神も勇ましくて素敵ですね」
こいつは……、そういえばこんなやつだった。無駄に文章では厳かになるし、いろいろと気配りのできたやつだったが、少しズレた、いや、おかしなところのあるやつだった。特に俺を妄信しているあたり、おかしい。婚約してからもこの調子だったしなぁ……。ああ、俺との婚約ではなく、初妃の夫である天海君……天海空李との婚約だ。尤も、その頃には、俺の子を身ごもっていたんだがな。篠宮家も天海君も了承済みだったし、てか、篠宮家と言うより■■ちゃんだけど。まあ、当の本人はそのことを知らなかったんだがな……。家系図にもきっちりと書かれていることだろう。
天海君の一件や空麻を育てるのも忙しかったのに、俺にくっついていたのは、信仰心のなせる業だったのか、少し気にもなるが、とにかく、この初妃と言う人物はどこか頭の螺子が外れたやつだったのだ、昔から。
「おっと、それはそうと、我が神よ。鎧も剣も角も……誓約も全てを失ったこの身ですが、『鍵』だけは失いませんでした。貴方様の死に際にも立ち会えずに、夫を2人も先に逝かせてしまった不出来な妻ですが、今一度、貴方様のそばにいることをお許しくださいますか?」
「無論だ」
即答だった。何のためらいも迷いもなく、それが当然とでも言わんばかりに、早く答えた。彼女は僕のものだ、とそう主張する意思が間違いなく俺の中にあった。そして、いつまでも寝そべったまま話すのもあれなので、起き上がりながら、刃奈に問う。
「『鍵』と言ったな。あれを持っているのか」
「ええ、この身に」
なるほど、あれを持っていてくれたのか……。俺は、刃奈の肩に手を置きながら、その言葉を口にする。
「誓いを口に、――解せよ」
黄金の光が刃奈の身体を包む。天と地を乖離し、全ての物を作り上げる……創り造り作る、その力、三神の一柱が授かった万物創造の力「想像の創造」。それによる誓約が発現した証拠である。
「顕現展開、『剣にして鍵』、起動します」
「剣にして鍵」は「聖剣にして聖鍵《空金》」などを筆頭とした剣と鍵を兼ねたものの総称であり、全てのマスターキーにあたる。
「権能の再帰を確認した。それに……」
俺は、空を見上げる。一瞬、チラリと、真っ赤な制服を着た女子生徒がいた様な気がした。ポトリと、夏に場違いな椿の花が落ちてくる。何とも縁起の悪いことだが、不思議と、嫌な気分にはならない。
「この花は……?」
刃奈が疑問の声を上げるも、俺は答えない。そうか、今度は、また、随分と優しそうな身体だことで……。まだ、成り立てほやほやって感じだし、馴染んでないのに結構無茶やるよな……。
「フフッ、何だかんだで、武神も人の親か……」
そう呟きながら、意識を切り替えるように権能を発現させようとして……気づく。発動しない。たぶん、まだ、僕の方も馴染んでいないのだろう。彼女ほど無茶ができる性分じゃないからな。今は、まだ……。
権能……振るうことを許された権利や能力。三神の各柱に与えられたのは、それらを良く体現した力だった。そう、万物創造の力「想像の創造」が個人の責任と過去から来たように、また、彼女らの権能もそれぞれに由来する。永劫の絆を守るもの、自分の子孫とその周りの全ての人々を救いたいと願ったもの、皆の意識が権能として神の座に送られているのだ。
「我が神よ、誰か向かってきています」
刃奈の言葉に、俺は頷いた。分かっていた。その人物の名前も、どうしてくるのかも全て。予想していたのではなくわかっていたのだ。
「刃奈、大丈夫だ」
「ええ、この力、《古具》による移動ですからね」
一件、かみ合っていないように思える会話だが、かみ合っている。《古具》との関連性の問題であるが、刃奈の言い分は十分に納得にたりるものだ。
「しかし、この力は……あの。まさか……あれを使うにたる人物がこの世にいたのですか?!」
「言いたいことは分かる。だがな、使うに足る人物にしか渡らないのが《古具》と言う力だからね」
神が夕暮れに天に帰るのに使った力、夕暮れの夕焼け色、世界を染めるような朱色の中に微かに感じる太陽の眩しさ。それゆえに銀朱。その時に帰る。だからこそ《銀朱の時》。
「あ、こんなところにいたのね、紳司君。生徒会役員がこんなところでサボってるなんて問題なのよ?」
銀朱の光と共に現れた秋世。刃奈は意味深な視線を彼女へと向けていた。それはその力ゆえになのだろう。
「ああ、分かっている。そろそろ行こうと思っていたところだ。行くぞ、刃奈」
「はい、貴方様」
フェンスに手をかけて、屋上から地面へと飛び降りる。(※危険ですので一般の方は真似しないように。)スッと、そのまま地面に降り立った俺と刃奈。すぐに《銀朱の時》で追いかけてきた秋世が激怒する。
「ちょっと、飛び降りるってどういうことよ?!死んだらどうするのよ!てか、何普通に着地してるの?!てか、その子は誰?!」
疑問を捲し立てる秋世。そんな秋世に、刃奈がにこやかに笑って、自己紹介をする。
「本日より、鷹之町第一高校より転校してきました篠宮刃奈です」
「ああ、貴方が転校生……って篠宮?でも真希さんのところは確か第二校の生徒だったはずだし」
ああ、姉さんの友達のはやてのことだな。そことは一応親戚と言うことになるのだろうか。その辺は俺もよくわからないな。天海君の子孫の方だから、俺はほとんど関わっていないし。
「ああ、はやてのことですね。それにその母の真希、父の真琴、槇津、桜太、桜螺、空麻、その血は脈々と流れているんです。
尤も、私同様に桜螺のように優柔不断で、血筋が分岐することもありますがね」
私は分岐したほうの人間です、と笑う刃奈。よく考えてみれば、俺の妻は、静葉も刃奈もどちらも重婚者だな。……あいつは違うが。……?あいつって誰のことを指したんだろうか。
「よくわからないけど、親戚ってことね。まあ、いいわ。それよりも、あの高さから普通に着地どころか、ストンとそのまま降りれるなんて、今度はいったい何がどうなったの?」
その疑問に答えることはない。今は、青葉の……蒼刃の力である剛力が最大限に引き出されている状態にあるから、【蒼刻】を使わなくとも、あの程度造作もないというだけだが、説明も面倒だ。
時間が過ぎる。始業式、翌日からは授業、そうして、みるみるうちに9月も2週目に突入しようとしていた。
さあ、こうして、地獄の塔……夢見の櫓、黙示録の塔、天宮の塔へと挑む全ての人間がこの世界にそろった。その決戦の時は近い。
え~、と言うわけで、恋戦編がこれにて完結、次章が実質最終章である終焉編となります。
課題やらなんやらの関係で週一ペースまで落ちてしまい、申し訳ありませんでした。恋戦編も無駄に長丁場になりましたが、次章である終焉編は、おそらくこれよりも長くなることを想定しています。
それでは、近いうちに次章でお会いしましょう。
――次章予告
――さあ、終焉の時は始まりを告げる。神々の終焉も間もなくだ。
時の進まぬ世界の中、現れる塔。人の業の試練の塔。夢見の櫓。
その本来の姿と共に、現れるのは、過去か未来か、両方か。
――夢と現、どちらでもいいじゃないの。さあ、始めましょう。
そして、その戦いの先に待ち受けるモノ。
――自分の業に打ち勝つのか、それとも敗北し、業を知るのか。
己が業と、女の野望、それらと戦う塔の攻略戦が、今幕を上げる。
《神》の古具使い―終焉編―




