26話:占夏十月の日常
※この文は、ひらがなだけで単調に表現される十月の文を普通調で漢字に直したものです。
SIDE.MAID
わたし、占夏十月は主である不知火覇紋様に、この身を救われたことを大変に理解しているのです。
かつてのわたしは、幼い頃に両親を亡くし、親類である不知火家に引き取られることになりました。親類と言うことを説明するために、わたしの家系を簡単に説明しますと、わたしの母、七香様は、覇紋様の母君、八華様の姉に当たるそうです。
自らの母にすら「様」と言う敬称を用いらせていただいたのは、わたしが、現在、覇紋様に仕えさせていただいている、と言う理由だけではございません。実のところ、わたしは、幼い頃に亡くした両親のことを全く覚えていないのです。それゆえに、わたし個人としては、覇紋様の伯母上と言う認識でしかないため、「様」を付けさせていただいたのです。
さて、話を戻させていただきますが、わたしを不知火家で引き取る際に、いくら親類とはいえ、そう易々と「不知火」の家に一族の者として入ることは流石に無理と言うことでしたので、わたしは、侍女と言う職を与えられたのでした。
ここまでの話ですと、覇紋様に救われた、と言う意味が分からないでしょうから、少々長くなりますが、わたしの略歴を語っていくとしましょう。
もともと、この不知火家には、代々、御付きの家……執事の家とでも言えばいいでしょうか?黒羅家と言う家がありました。
執事長の黒羅俊隆様。メイド長の桜麻由梨果様。正直に言うと、このお二方がわたしの育ての親と言うものでした。
特に、桜麻様には、メイドの極意なる「メイド奥義43」を教わりました。奥義に関しては、この際、わたしの過去とは無関係なので割愛させていただきます。
まあ、桜麻様について、簡略的に説明いたしますと、えーっと、現在で26歳ですので、わたしを引き取られた当初に関して言えば、わたしが3歳のころですので、15年前……、桜麻様も11歳の頃でした、……か?
それからわたしが14歳になるまで、桜麻様に面倒を見てもらい、不知火家のメイドとして過ごしておりました。しかし、その頃、俊隆様の引退と同時に桜麻様も引退をすることになり、わたしもそれを追うように追い出されることになったのです。しかし、わたしは、身寄りの無い、文字通り独り身。そのまま一文無しで放り出されたら、わたしはきっと死んでしまったはずです。
そこへ、わたしに手を差し伸べたのが覇紋様でした。無理をして、わたしを自分の専属の侍女へと招いたのです。わたしは、それ以来、覇紋様の侍女となりました。
しかし、戸籍に関しては、不知火家の手回しで、死亡扱いにされたので、表へ出られない身へとなります。そこも、覇紋様が、気を利かせてくださり、「占夏十月」と言う戸籍を用意してくださり、今のわたしが出来上がったわけです。
…………え?では、昔は十月という名前ではなかったのか、ですか?そうですが?
まあ、今となっては、もはや十月というものです。しかし、前髪で顔を隠しているのは、一応、かつてのわたしとの知り合いと出会っても面倒ですので、と言う理由です。覇紋様は「心配性だな」と笑うのですが、一応、です。
そして、わたしは、覇紋様とともに、鷹之町第二高等学校に入学し、《古代文明研究部》を創立させて、わたしや覇紋様のような《古具》を持つものを集め力をあわせようともしました。
そうして過ごすこと2年。わたしは、3年生になってすぐに新しい戸籍上の誕生日は4月3日なので、普通自動車免許を取得しました。少しメタ的な言い方をすると、すっかりお忘れかもしれませんが、16話にて青葉暗音さんが心の中でおっしゃっているように、この鷹之町第二高等学校では「免許取得オーケー」となっています。
わたしとしては、覇紋様を送り迎えできるように、なるべく早く運転免許を取得しておきたかったので絶好の機会でした。
そうして、いつもの一日が始まります。
朝、4時と言うのがわたしの起床時間となっています。わたしは、横ですやすやと裸で寝ている覇紋様を起こさぬように、音を立てずにベッドから抜け出すと、いそいそと下着を身に着けます。散乱したティッシュやわたしと覇紋様の下着を片して、ベッドの横の備え付けのテーブルの上に、覇紋様の下着一式をたたんで置きましょう。そうしないと、覇紋様が着替えを探して余計に部屋が散らかってしまいますので。
覇紋様は、不知火家の次期当主として才覚を顕し、文武両道と家の中で噂されるほどに優秀です。成績においては、鷹之町第二高等学校の学年総合順位(1、2年次)で連続1位を収めています。ついでに言うならば、わたしは2位で追う形となっていますが、これに関しては、非常に言いにくい問題があるのです。
さて、言いにくい問題と言いましたが、わたしは、不知火家の……もとい、覇紋様の侍女を務めています。それゆえに、低い成績を取るわけにはいきません。学年主席か、少なくとも次席である必要があります。
しかし、わたしと覇紋様は、同学年であり、次期当主の覇紋様よりも高い順位を取ると、主より目立つとは何事だ、とお叱りを受けるために、常に、次席しか取ることができないのです。
おや、また話が逸れてしまいましたね。話を戻しますと、え~、と何でしたか?ああ、そうでした、覇紋様は運動能力も軍を抜いておられて、基本的に大会などには参加されませんが、出場したら上位入選は確実だと思われます。それが例え、どんな競技であったとしてもです。
まあ、そんな覇紋様にも弱点はある、と言う話をしたかったのですが……。幼少期より侍女に世話をされて育った覇紋様は、身の周りのことがあまり得意ではないのです。服をタンスから出そうにもタンスの場所が分からない、外で物を買うことがないので値段のことを考えない、などのことは日常茶飯事です。現当主は、不知火を継ぐにはそのような細かいことを気にしていてはいけない、と、むしろ、覇紋様の今の状況をうれしく思っている節すらあるようでして……。
わたしは、手早く制服……この場合の制服は、普通に鷹之町第二高等学校の制服……を着て、厨房へ向かいます。実のところ、わたしには、この職場での制服と言っても過言ではないメイド服があるのですが、学校へ行く前にそれを着るのは非効率的だ、と覇紋様がおっしゃられたので、それ以来、学校の制服で朝を過ごすことにしました。
一応、調理中はエプロンをして、簡単に朝食の調理をします。調理、と言ってもほとんどはシェフが行っているのですが……。
わたしも料理が出来ないわけではありません。むしろ、得意と言っても過言ではありませんが。桜麻様に習った「メイド奥義43」の中には料理も含まれておりますので。
そうして、朝食をわたしが先に取り、食堂へ運び、お召し上がりになられている覇紋様の後ろで待機します。無論、食事中のサポートもわたしの仕事ですので箸やナイフ、フォーク、スプーンを落とされたときの対応や、こぼし物への対応、食後に口の周りをナプキンで軽く拭くことなどをするためです。
朝食の時間が終われば、通学です。学校側に特別な許可を貰い、車での通学を可能にしているため、覇紋様は、わたしの運転するリムジンで通学します。
ところで、リムジンは普通免許で運転できるのか、と、思ったことがありませんか?通常の車体よりも長く、普通車両とは表現しにくいので、普通免許では運転できない、と思う人がいても無理はありません。しかし、リムジンは、普通免許で運転できるのです。
少し豆知識のような物を言わせて貰いますと、大型車両の基準は、車両重量が8t以上か、最大積載量が5t以上か、定員数が11人以上のどれかに該当する車両です。リムジンでも、この基準を下回っていれば、普通車両に定義されます。
例えば、バスを買い取り、改装して、定員数が10人までのキャンピングカーにしたなら、おおよそ普通免許で運転が出来るのと同じ理由だと思ってくだされば分かりやすいかと……。
なお、リムジンは、通常の車の車体を半分に切って接ぎ延ばししたものと、元から長く設計されたものですね。まあ、これは関係ないのですが……。
さて、そのようなリムジンですが、正直に言いますと、道幅が狭く曲がり道や交差点の多い日本の道路では向かない車だといえます。例えば、北海道などなら別なのでしょうが、埼玉県から千葉県へと、ほぼ毎日運転するわたしとしては、あまり楽とはいえません。
え?埼玉からってどういう意味か、ですか?
不知火家の本邸は、埼玉県の東京都寄りに位置していまして、そこから千葉県の鷹之町市の三鷹丘市との市境に程近い場所にあります鷹之町第二高等学校に通っています。
今言ったような立地条件から、不知火家の人間は、千葉県の鷹之町第二高等学校や三鷹丘学園よりも、東京都にある響乃学園の方に通うことの方が多かったのです。尤も、響乃は全寮制のため、家から通うケースは稀らしいですが。中には、特殊な家なため学園にほとんどいけず、いけるときだけに学園に通う生徒も数名いたらしいですが。
さて、リムジンで不知火家を出たのが5時。学校までは、約1時間30分から2時間程度。混雑具合にもよりますが、5時くらいはまだ空いています。しかし、6時過ぎ、7時に近づくにつれ交通量がぐ~んと増えます。
「十月、今日も部活をするとして、今日は何をすべきだと思う?」
覇紋様は、リムジンでの移動中にわたしに話しかけてきます。わたしは、暫し考えてから、意見を提示します。
「しゅうがくりょこう(修学旅行について説明するのがよいかと思います)」
わたしの単調な答えに、覇紋様は大きく頷きました。なお()の中身は、地の文同様、普通調で漢字に直したものです。
「なるほど。それはいい考えだな。私もそろそろ説明をしておいたほうがいい頃だと思っていたからな」
覇紋様がそうわたしを褒めてくださります。
「京都では、奴等が動いているからな……」
覇紋様のおっしゃる通り、京都では、《古具》使いに敵対する家や組織が多くあります。特に……、市原家。市原家とは、京都の司中八家に古くから名を連ねる退魔の名門であり、あの立原とも縁ある家です。
市原家では、代々、退魔師一族として、《退魔》の《古具》使いを多く排出してきたのですが……、現在、市原結音と市原裕音、分家の市瀬亞月の三名が最も新しい《古具》使いだとされてはいますが、結音、亞月の2名は死亡。裕音も現在は、三鷹丘に来ていますが、本家とは縁切れ状態だという話を覇紋様より聞いています。
その市原家の中でも現当主の長男、長女、三女が《人工古具》と呼ばれるものを用いて京都に来る《古具》使いを軒並み倒しているらしいです。何でも、《古具》が無くとも当主になれることを証明するためだとか。
その他の家も、「《古具》使いの子は《古具》使いになりやすい」と言う迷信を信じてか、《古具》使いを捕らえ、家に監禁することもあるとか……。
そのため、昨年のわたしと覇紋様も襲撃を受けましたが、何とか回避しました。覇紋様やわたしの《古具》は迎撃や反撃などに向かないので、わたしが予知し、とにかく接触を控える方向に動きました。
今年は、あの2人ですが、おそらくどちらも攻撃系の《古具》でしょう。わたしのように後手にいながら先手を取るなどと言う妙な作を使う必要も無く、撃退か、それとも、仕掛けるかもしれません。
なぜなら、彼女、青葉暗音の《古具》は……。
そんなことを考えているうちに鷹之町第二高等学校に着きました。