211話:鳴凛
俺たちは、とうとう、もう1人の【里神楽】……【魔刀・里神楽】の元へとたどり着いたのだった。その精霊は、静かに俺たちの方を振り向く。その瞬間、俺の時は止まる。俺の横にいるサト子と元が同一だったとは思えないほどに違う容姿をしていたからだ。
いや、違うな。確かに、彼女たちは、元は一緒だったのだろう、それは、顔だちからもなんとなく分かる。しかし、決定的に違う様子がある。
サト子が10歳くらいの子供ならば、彼女は、22歳くらいの女性だったのだ。それも、まるで純白で無垢なサト子と対になる、漆黒で不純な笑みを浮かべた妖艶にして、まるでサキュバスのような女だった。
大きな目は、ニヤリと細められ、その艶美で真っ赤な唇は笑みを浮かべ、髪とは反対の雪のような白い肌……されど、その白い頬は、紅潮を見せていた。
大きな胸に、柔細い体。女性らしさを追求した結果のような美女に、思わず、止まってしまわざるを得なかったのだ。
そして、その表情は、さながら、待ちわびた瞬間が訪れたかのような恍惚と歓喜と希望に満ちたものだった。
悲しき魔力の奔流が和らぎ、静寂の時が訪れる。俺の時は動き出す。そして、彼女へ静かに歩み寄る。
「待たせちまったな、【里神楽】」
女性は、少し、涙を浮かべるが、どうにか堪えたようだ。人前で泣きたくないのだろう。そういうところもサト子とは逆と言うことか。
「本当に、遅いわよぅ……」
サト子と全然違う口調で、されど、彼女と似た、少し女性っぽさと甘さの増した妖艶な声で、そういった。
「ずっと……、ずっと……。ずっと、待っていたのよ?」
それは、サト子が俺のことに気付いた時と同じ言葉だった。口調は違うがな。やはり、分裂しようと、サト子と彼女は、元は同じ存在なんだろう、と改めて実感したのだ。
「ああ、本当に、遅れてすまない」
そういって、彼女の頭に、手を置いた。すると予想通りに、俺の手から魔力が彼女へと流れ込む。
――ブワッ!
サト子と同じように、体から何かが吹き上がるように、不思議な魔力が溢れだしていた。これは、おそらく龍を殺す力なのだろう。龍殺し……ドラゴン・キラー、ドラゴン・スレイヤー、辰祓。様々な呼び名がある力だ。俺のばあちゃん……美園ばあちゃんの家系である立原家に関係する能力でもある。
ん……もしかして、橘先生を鞘に選んだのって、それが原因だったりするのだろうか。橘も、立原の縁者である。ありえない話ではない。いや、でも実家的に言えば日向神の家だよな。
「あ、あれ、青葉君?!」
その時、ふと、よくわからない方向から声をかけられた。その声の主は橘先生だろう、てか、こんなテンションで、ここにいるメンバーで俺のことをそう呼ぶのは橘先生だけだからだ。
「ああ、橘先生、無事でしたか」
俺は、声の方向を振りむいた。そこには裸の橘先生と、マー子、ヒー子、ヒイロがいた。ああ、あくまで裸なのはあくまで橘先生だけだ。
「服はどうしたんですか、橘先生。まあ、どうせ【精霊神界】に来た時点で全裸だったんでしょうけど」
俺の言葉に、橘先生はマー子の後ろに隠れた。なぜマー子を盾にしたか、と言うと、おそらく、マー子が一番身長的に壁になるからだろう。いや、どれも一緒くらいなんだがな。
「さて、と、カグラ……あー、お前の名前な。カグラ、橘先生を解放してくれ。俺が、お前を……お前たちを完成させてやるからさ」
俺の言葉に、カグラが、頷いた。しかし、橘先生には、これをどう説明するか悩みどころだよな。【精霊神界】ってのは、いわば、別世界でもあり、仮想世界でもあり、結界の中でもあり、う~ん、なんて表現すりゃいいのか分からん。
「ええ、分かってるわ。そもそも、彼女を鞘にしたのも、ない龍殺しの力を得るためだったし、その力が手に入った以上、鞘になってもらう必要ないからね」
カグラはそう言うと、手をかざす。橘先生の姿が、まるで泡のように掻き消えた。どうやら、解放したらしいな。さて、と、俺は、俺で、この後に、橘先生に説明をしたら、【神刀・里神楽】……今は、【魔刀・里神楽】か、この刀を打ち仕上げなくてはならない。
「じゃあ、俺も、お前たちを仕上げるために、ここを去ろう。もし、完成したら、その暁に、俺とお前たちは一つになる。
できるよな、マー子」
俺は、マー子に問いかけた。刃主一体。俺と【王刀・火喰】の関係のように、【魔刀・里神楽】も、俺と一つにできるはずだ。
「御館様が、それを望むのなら」
マー子がそういった。つまり、できるということだ。元来、鍛冶師とは、刀を打ち、できた刀を他人に託す者。あまり、鍛冶師本人が刀を占領するのはよくないと思うが、人に託せるような刀でもないからな。
例えば、【時雨落とし】。例えば、【神刀・桜砕】。例えば、【王刀・火喰】。これらは、俺が打ちながらも、他人に託されていたものだ。しかし、【神刀・桜砕】を除き、全てに、俺にしか使えないギミックが組まれている。それがあるがゆえに、他人に託すべきではないのだろうが。まあ、俺にしか使えないというが、解放できるものには解放できる力であり、実際に、嘘か真か【血塗れの月】は、【時雨落とし】の能力を使用したと言われているしな。
ああ、【神刀・桜砕】を除外しているのは、もともと、静葉のために打った刀だから、俺専用のギミックを組まずに、静葉に合わせた刀にしたからだ。
「1つに……?」
「わたしたちと信司様が……?」
少し驚いた様子の彼女たちを見ながら、俺は、【精霊神界】を去る。さあ、早く完成させてやらないとな。
【精霊神界】から出て、最初に目に入ったのは、とても綺麗な顔だった。ぼやけて誰か分からなかったが、焦点があって、由梨香だと分かった。びっくりしたが、どうやら、由梨香に膝枕されていたようだ。
「由梨香、橘先生は?」
俺は、ゆっくりと体を起こしながら由梨香に問いかける。由梨香は、正座のまま、少し体をずらし、俺が起きるのに邪魔にならないようにしながら言う。
「先ほど、目を覚まされたので、シャワー室に。足元には、これが落ちておりました」
それは、打ちかけの【魔刀・里神楽】だった。俺は、それを優しく拾い上げて、握りしめる。
「あ、あのぉ……、も、申し訳ないんですがぁ……、着替えをいただけませんかぁ?」
シャワー室の方から、か細い橘先生の声が聞こえてきた。そうか、そりゃ着替えもないよな。宿直室だから、誰かの着替えくらいありそうなものだが……。
「はい、ただいまお持ちします」
そういって、由梨香は立ち上がる。何か着替えがあるのかな、と思ったその瞬間、由梨香が自分の服に手をかけて脱ぎ始めた!
俺は、その様子をじっくりと見入ってしまう。ストンと落ちるスーツのスカート。パンストの奥に黒く透けて見える純白のパンツ。パサァと脱ぎまとめられたスーツの上着。そして、続いて、中に来ていたシャツを脱ぎ、白いブラジャーがあらわになる。端にピンクとオレンジの花の刺繍が入っているような簡素なデザイン。
その綺麗な姿に思わず唾を飲み込んだ。そして、パンストに手をかけて……、一瞬、気が付いたら、由梨香はメイド服になっていた?!
え、待て、瞬きすらしてないのに、いつの間に着替えたんだ?これがスーパーメイドの弟子の実力ってやつか……。
「紳司様、あの下の……素肌は、またいずれ、きちんとした機会に、貴方に捧げるときにでも晒しましょう」
にっこりとほほ笑み、スーツをシャワー室前に運んでいく由梨香からは、一切冗談だという雰囲気は感じられない。つまり、本気で言っていた、と言うことだろう。やれやれ、由梨香も相変わらずだな。
「紳司様、しばし、シャワー室の方を見ないようにしていてください」
「ああ、分かってる」
由梨香がシャワー室の前に着くなり、そう声をかけてきたので、即座に応じた。ここには脱衣所、などと言うものはないので、シャワーを浴びるときは、シャワー室の中で脱ぐこともできるだろうが、シャワーを浴びた後は、床も濡れているので、中で着替えるのは難しい。もし、服を落としたら、びしゃびしゃになるからな。たかが、一日の泊まり込みに、そう何着も持ってこないだろう。
「た、助かりますぅ」
橘先生が由梨香にお礼を言いながら着替え終わったのだろう。こっちへやってくる気配がある。
「紳司様、もう振り向かれても結構です」
由梨香の言葉を聞いて、振り向いた。タオルを頭に巻いて水気を抜いている橘先生がいた。すっぴんだな……まあ、いつもそうだけど。
学園の教員には、化粧をする人としない人がいる。例えば、美術の小林先生は化粧まみれだし、数学の本木先生もそうだ。一方で、由梨香や秋世、橘先生なんかは、化粧をしていない。まあ、若いって言うのもあるし、化粧が負けるからな。それでも、最低限、メイクをしている様子もまれにあるが。それでもナチュラルメイクだ。
「スーツ、助かりましたぁ、桜麻先生。……でも、なんでメイド服なのぉ?し、紳司様って?」
まあ、そりゃ、そうなるわな。俺も、メイド服はないと思う。まあ、しかし、どっから出したんだろうか。と言うより、メイド服を持っていたのなら、そのメイド服を橘先生に貸せばよかったんではなかろうか。由梨香は挙動が本物っぽすぎるが、橘先生なら辛うじて、着るものが無くて仕方なくどこかから拝借してきたコスプレ用メイド服を着ていますって感じのアピールができるからな。
まあ、尤も、コスプレ用のメイド服と本物のメイド服は材質が違いすぎて、見比べれば一目瞭然。てか、コスプレ用の安物だと、生地が薄かったりテカテカしたりしてるなど雑なものが多いからな。いや、興味のない一般人からすれば変わらないか。
「橘先生には色々説明しないといけませんからね。少し、長い話になりますけれど、ここで、話をしましょう」
本当は、一刻も早く【魔刀・里神楽】を完成させたいところだけれど、今は、先に、橘先生に全てを話して、納得させるのが優先だ。後々の面倒を少しでも減らしたいからな。
「う、うん、いいけど……」
橘先生は、いまいち状況が呑み込めない、と言う顔で、キョトンとしていた。さて、どんなふうに説明したものか。




