202話:考査
龍神の部屋から出て、しばらくの時間が流れた。俺、青葉紳司は、休日だというのにも関わらず、職員室の前で待機するという面倒事を体験していた。なぜそんなことになったか、と言うと、昨日から始まった定期考査……期末考査が原因だ。テスト一週間前からは、生徒は職員室の立ち入りが禁止になる。そのため、職員室の前でことを済ませるのだが、一々職員室の前で長時間話すのも面倒だ。そのせいで生徒会への提出書類が大量に滞っていて、休日、しかもテスト期間真っ最中だというのに、俺は職員室の前で、由梨香が教師陣から生徒会宛ての書類をかき集めている間、待機することになったのだ。
待機……と言っても、そんな長時間にはならないだろう、などと思っていた俺が馬鹿だった。もう20分にもなる。耳を澄ますと、昨日のテストの採点で忙しいから待っていてくれ、と言う教師の声が時折聞こえる。
うちの学園はテスト科目も生徒の人数も多いために、教師陣はその分忙しくなる。それでも俺が回収を待っているのは、緊急案件が5件もあるからだ。本来、滞っていると言っても、重要なものは全てテスト前に処理してあった。それなのに、緊急の案件が5つ、すぐに捌かなければ、業者や期限などの関係で、大変なことになると、言うからそれと同時に、滞ってる分も取りに来たんだ。
会長は髪がピンクの状態なので職員室に入りづらい、ミュラー先輩はどれが重要な書類か分からない、静巴は本日不在、秋世は他の教師陣と同じく忙しい、と言うことで俺がこうして由梨香を使って回収しているというわけだ。
「あれ、青葉君……?」
職員室にやってきたのは、橘鳴凛先生(24歳独身)だ。ふむ、相変わらず美人だな……。そういえば、この間、実家に帰るって由梨香が聞いたって言ってたけど、なんで実家に帰ってたんだろうか。
「おはようございます、橘先生。今は、生徒会への書類を、ゆ……桜麻先生が持ってくるというので待機中なんですよ」
俺は、そういって、笑った。すると、橘先生は、俺の顔をジッと見つめて、どこか首をひねっている。何だろうか。まあ、いい、ちょうどいい機会だし、なんで実家に戻ったのか聞いてみよう。
「そういえば、偶然聞いた話なんですけど、橘先生、この間、ご実家に戻られていたそうですね。久しぶり……かどうかは知りませんが、どうでしたご実家は?」
それとなく、まずは実家の話題を出させてみよう。そうすれば会話のうちに聞き出せるだろうし。俺の言葉に、橘先生は、「どこでそれを……?」と言う顔をしていた。
「うん、帰ってましたよぉ?九州までは遠くて、……ううん、行きはよかったけど、帰りが……」
何かを思い出して、遠くを見るような目をする橘先生。いったい、実家からの帰りに何があったんだろう。それも気になるが……。
「そういえば、青葉君。少し、お話、良いかな?」
え、予想外にも向こうから話を振ってきた。別に時間はあるから話をしても問題はないので応じることにした。
「ええ、構いませんよ」
俺の反応にホッとした様子の橘先生。そんなに話がしたかったのか。俺は、職員室の壁に寄りかかりながら、橘先生の話を待つ。
「じゃ、じゃあ、聞くけど」
なんか、口調が急にフレンドリーだな。子供っぽいってーか、親しみやすいってーか、まあ、これがみんなから頼られているゆえんなのだろう。俺たちに近い立場で接すことのできる雰囲気が人気になる要因だ。
「立原舞子さんって、知ってる?」
立原、舞子……さん?どこかで聞いたような気がするが、立原と言えば美薗ばあちゃんの実家のことだよな。えっと、ばあちゃんの関係者で、そんな感じの名前の人が……、ああ、曽ばあちゃんか。
「ええ、曾祖母の名前が立原舞子、と言いますけど」
まあ、あの人も一般人ではないのだろう。何せ、曾ばあちゃんのくせして、若い見た目だからな。【力場】を直接感じればハッキリするだろうが、きっと見た目通りの年齢じゃないタイプの人間だ。ちなみに曽じいちゃんは、もう亡くなっているらしい。
「曾祖母……?えと、わたしの実家と関係のある立原舞子さんって言う人なんだけど……」
ああ、そうか、橘、立原の関係にあるとは聞いたけど、無関係だと思っていたら、関係がある方だったのか。この間実家に戻った時に会ったってところか?
「たぶん、その立原舞子で間違いないと思いますよ。立原家の実質権力者の立原舞子さん。でも、なぜ、急にそんなことを……?」
橘先生は、俺の言葉に、少し困惑気味に、それでもしっかりと何かを思い出すように答えてくれた。
「この間、実家に帰ると、舞子さんが来ててぇ……。それで舞子さんが『三鷹丘学園高等部の青葉紳司と言う生徒を知っていますか?』って聞いてきたから」
極限まで似てない物まねで舞子さんのセリフを言う橘先生。この辺が愛らしいところだろう。しかし、舞子曽ばあちゃんね……。
「もう、散々だったよぉ?親からは、物騒なものを押し付けられたし。御神楽、だったかな」
独り言のようにぼそりと呟いた言葉は、俺の耳にしっかりと届いていた。御神楽、……神楽は本来の意味ならば、神をその身に降ろした巫女が穢れを祓う歌や舞を披露することを指す。宮中で行われるものを御神楽と呼ぶ。だから「物騒なもの」などと言う言葉は使わないのだ。歌や舞のどこに物騒な要素があるというのか、いや、ないだろう。だからこそ、俺は奇異に感じ、そして、俺の刀に結びつけることができたのだ。
「【幼刀・御神楽】……!」
無限に成長を続ける刀、【幼刀・御神楽】。前世の俺、六花信司が打った刀だ。
「え、……青葉君、今、なんで……」
橘先生は、俺がなぜ、【幼刀・御神楽】の名前を知っているのかが分からずにそれについて言及しようと声を出そうとした……
――ガラッ
ところで、職員室のドアが開き、中からプリントの束を抱えた由梨香が出てきたのだ。流石に、由梨香の前では自重したのか、それとも、ただ、【幼刀・御神楽】のことを他人に知られたくなかったからか、橘先生はそのまま何も言わなかった。
「し……青葉く……ん、資料を回収してきました。これを、生徒会長の方に届けておいてください」
紳司様と呼ぼうとして、橘先生がいるのを見てとっさに青葉君と呼ぼうとしたけど主を君付けするのに抵抗があったから言いよどんだようだ。
「ああ、助かりました。…………、桜麻先生、肩に糸くずがついてますよ」
そういって、数刻の逡巡ののちに、俺は、そんなことを言って、由梨香の肩に手をかけ、耳元で囁く。
「ご苦労。由梨香」
むろん、由梨香の肩に糸くずなどついていない。スーパーメイドの弟子である由梨香は、体に埃やゴミが付かないように気を付けてるだろうしな。それと、ご苦労様が、上の者が下の者に遣う言葉なのも知っていて使っている。
「はい、ありがとうございます」
はたから見れば、肩についた糸くずを取ってもらって礼を言う図になる、と言うわけだ。しかし、それにしても、橘先生が【幼刀・御神楽】を……ね。
『信兄ぃ、回収しといた方がいいと思うぜィ?』
ヒー子がそんな風に囁くが、俺としては、もう少し事情……裏の話、つまるところ立原舞子曾ばあちゃんの姦計に嵌っているのではないかって思ってならないんだよな……。
それに、【幼刀・御神楽】があるのなら、打かけのあの刀もあるのかもしれない。まあ、今の俺には、アルデンテ・クロムヘルトの用意した鍛冶場があるのだ。あの打かけの刀を、完成させることができるかもしれない。
『サト子をよみがえらせられるかもしれませんもの』
マー子がそう言った。サト子……。会ったこともない、刀の精だ。だが、その名前は、前もって付けていた。御神楽と対になる、その名前を。
『主よ、いい加減、名前を呼んでやったらどうかえ?あの名はヨー子も知らぬ、こちら3精と主1人のみ』
ああ、そうだな。いい加減、本来の名前を、完成したらつけるはずの、その名を読んでやろう。
「【神刀・里神楽】」
御神楽が宮中の舞なら、民間の舞こそが里神楽。そして、その能力は、……、龍喰らいにして、神格保持。
有名な里神楽に「八雲神詠」と言うものがある。どんな話か、と言うのは単純に言えば、スサノオが八岐大蛇を退治する話。つまり、天羽々斬の話と同じなのだ。
そこから得た能力は、神の持ち物である、と言うことと、八岐大蛇と言う蛇とも龍ともされるものを斬ったことだ。
「いつか……絶対に……」
絶対に完成させるんだ。俺は、あいつを絶対に……。
――待ってるよ
え……、不意に聞こえた幻聴に、思わず呆然と立ち尽くし、由梨香から受け取ったプリントを全て床に撒いてしまった。




