02話:蒼紅の少女
俺は、のんびりと歩いていた。俺の家から三鷹丘学園まで徒歩で数分の距離にある。特に変哲のない住宅街を通れば、学園だ。
そう、普段は何の変哲もない、ただの……ただの住宅街なんだよな……。
「うぅ……」
そう、行き倒れなんていない、単なる住宅街なんだ。うん、まあ、ウチの学園の制服だから、この近くに住んでいて、ただ、転んでいるだけなのだろう。きっとそうだ。そうに違いない。
さっきから1分近く動かないけど、きっと転んでいるだけなのだ。いまどき、行き倒れなんてあるはずないのだから。
「ああ……その、何だ?何やってんだ?」
一応、俺は、行き倒れている女子に声をかけてみる。地面に顔を伏せ、ケツを突き出した形で突っ伏しているから、パンツが見えそうなのと、顔が見えない。あと、いくら舗装されているとは言え、流石に地面は汚い。
「みゅぅ……」
返事がない、ただの行き倒れのようだ。いや、かろうじて返事らしきものは聞こえたが、何を言っているか分からん。
「ったく、何なんだよ」
俺は、仕方なく女子生徒をお姫様抱っこしてやる。突っ伏してる様子から割りと小柄だと思ったが、そうでもなかった。まあ、重い。けど女子にしては軽いほうだろう。
「うぉっ」
そして、俺は思わず落っことしそうになった。なぜなら、その子が異様に可愛かったからだ。茶髪の……そう、まるで眠り姫だった。なんて気障なことを考えられる余裕はなく、人一人を運ぶってのは割りときつい。
俺は、女子生徒を抱えながら、学園へと足を進めるのだった。
三鷹丘学園。広大な敷地、と言うほどでもないが、普通の学校と比べたら広い。創立何年だったかは忘れたけれど、随分経つんじゃなかったか?
高等部の生徒は600人程度。まあ、高等部って言っても、初等部や中等部があるわけじゃなくて、付属小学校や付属中学校がいくつか近隣に点在してる程度だ。
この学園は、日本の財界を担う生徒が多数卒業していて、信頼性が高く、支援も多く貰っている。
この学園にいたことで有名なのは、天龍寺家や立原家、南方院家などで、他に有名な花月家や不知火家は、どちらかと言うと、響乃学園に在籍することが多いらしい。
そんなことが言われていて、さらに、海外からの留学生なども多く、国際色豊かな学園としても有名だ。
俺も実際、その国際色豊かって言うのに惹かれた部分があるんだが。っつっても国際的なことが好きなわけではなく、金髪美女って何かいいじゃん、って理由だ。
姉さんは、別の学校に通っている。ウチの学園は、姉さん曰く「堅苦しい」だそうだ。これでも随分と緩いほうなんだが……。
「さて、と、保健室に着いたか」
保健室のドアをノックなしに開ける。基本的にここの保健室は、誰もいない。一応、いる日といない日があるのだが、いる日でも保健室にいることは少ない。仕事しろ。
「大丈夫か?」
俺が呼びかけても女子は、「……」と何も言わない。それどころか、目すら開かない。やはり気を失っているようだ。
「お腹が……、空きました」
やっと返事をしたと思ったら、これか……。仕方ないな。
「ほらよ、パンだ」
3時間目の休み時間に食おうと昨日買ってたパンだったんだが……。まあ、しかたないな。
「……!」
バッと俺からパンを奪い取り、むっしゃむっしゃと食べていく。そのとき、俺は、ふと彼女の顔を見て、……動きを止めた。
彼女の、瞳に、目を奪われた。
彼女は、茶髪だった。なのに、それとは全く違って似つかわしくない、まるで紅玉……いや、それよりももっと深い深紅の左瞳。まるで吸い込まれるような、鮮やかな蒼空の……、そして、深い深い蒼海の蒼色の右瞳。
紅と蒼……、昨日の夢を思い起こす色合いの目をした彼女に、俺は、惹かれた。
「ありがとうございました。……どうかしましたか?」
彼女は、俺に問いかけた。俺は、慌てて答えを返す。
「いや、なんでもないさ」
そう、なんでもない。ただの気のせいに違いない。そう、この目だって、カラーコンタクトに決まってる。
「ああ、この目、ですか?生まれつき、こうなんですよ」
生まれつき……?生まれつき瞳の色がこうなのか?珍しいな。オッドアイってやつか。はじめて見たが。
「へぇ、そうなのか。……綺麗だな」
なんていうか、普通の目と違うって言うか、深みのある瞳。輝いて見えるって言うか、なんて言えばいいんだろうな。
「え……、っ」
ん?なんか真っ赤になってる。どうかしたんだろうか?俺何か変なこと言ったっけ?
「だ、大胆ですね……。出会ってすぐに告白されたのは初めてです」
告白……?
「き、綺麗だな、だなんて……。殿方に言われるのは初めてです」
ああ、なるほど、そういうことか。どこのお嬢様だ、この子。日常会話でここまで噛み合わないのも珍しいな。父さんと母さんが羨ましいぜ。
「いや、瞳が、綺麗だって意味だったんだが……」
俺が訂正すると、彼女は、「まあ!」と声を上げた。
「『瞳が綺麗』とは、『君の瞳は、君の心を表した様に透き通っていて綺麗だね』の略称ですか?」
……何を言っているんだ?俺の理解を超えた先にいるらしいな、こいつ。俺は、一体、どう返事をすればいいんだ?
「いや、違うが」
とりあえず普通に言ってみる。すると彼女はきょとんとした顔をして、少し考えるように首を傾げる。
「う~ん、秋世はそう言っていたんですけど……」
友達か誰かだろうか?まあいい、その秋世さんとやら、あんたは、この子に何を吹き込んだんだ!そしてどうにかしてくれ!
「そう言えば、お名前、聞いてませんでしたね?」
何の脈絡もなく、急に彼女はそんなことを言い出した。唐突過ぎて、驚いた。
「名前を聞く前に自分が名乗るべきだろ?」
一応、定型文のように返してみたが、一体、この女子生徒は何なんだろうか?
「あ、はい、そうですね。わたし、花月静巴です。花と月で花月、静かな巴と書いて静巴です」
そう柔和に微笑んだ彼女……静巴は、妖艶で、俺は思わず見とれてしまった。暫しの沈黙。静巴が何かを待っているように見える。
俺は、俺の名乗りを待っていることに気づいて、慌てて名乗る。
「青葉紳司だ。青色の葉っぱ、紳士の紳に司るで青葉紳司だ」
その名乗りを聞いた静巴は、にっこりと笑った。
「そうですか、青葉君ですか……。今後とも、よろしくお願いしますね」
俺の微笑みかける静巴は、まるで、天女のように美しい笑みを浮かべていたのだった。
俺は、ホームルームが始まるまでの間、保健室にいた。しかし、ホームルームの予鈴が鳴ったので、流石に教室に向かうことにした。
「おっす」
教室に入ると、俺は、いつもの面々に挨拶をする。すると、いつもの面々の一人、田中が俺の顔を見るなり言った。
「うっす、イケメン。遅刻寸前とは珍しいでねぇの」
イケメンって一体いつの時代だよ。もう死語だろ。使ってる奴見ねぇよ。
「別に……。特に何もなかったが、まあ、父さんも帰ってきてたし……」
嘘はついていない。父さんと話していたせいで僅かにでも遅れたのは事実である。
「ふぅん?まあ、いいけどよ~。それよりも耳寄りな情報があるんだぜ!」
田中の耳寄りな情報ってのは、あんまりいい情報だったためしがないんだが……。まあ、一応、聞いてやるか。
「へぇ、どんな?」
俺の聞きたそうな言葉に、田中は、にやりと笑って言う。
「なんと、ウチのクラスの担任変更と編入生だ!」
…………。うん、眉唾だな。担任変更とか、一体どういう事態だよ。普通に考えて、教師が問題を起こさない限り、そんなことにはならんだろ。
「何だよ、その顔!信じてねぇな!」
田中は激怒した。いや、激怒はしてないが。走れ田中ではないので、特に友の為に田中が走ることはない。
何の話だ?
「いや、マジだって。しかも美人教師らしいんだよ!」
田中が叫ぶ。やめろよ、周りから変な目で見られるだろ。お前と同類にされたくないんだよ。
「知らん。美人かどうかに興味はない」
ぶっちゃけ、担任が美人かどうかは、あまり関係ない。基本的に担当科目とホームルームでしか顔を合わせないんだから。
「何だよ、ったく。ホントは興味あるくせに」
田中がボヤいた俺は、そんな田中を放置して、席に着いた。別に教師に興味はない。というより、新しい教師が来るとは思えない。
そもそも、新しい教師って何だ?
まあ、しかし、このとき、田中の言っていたことは正しかったのだ。本当に、この後、新しい担任教師と編入生が現れたのだから。