182話:メイドと訓練項目
一面の雪景色、銀世界は何度見ても圧倒されるな。そんな銀世界の中に1人佇む女性がいた。なぜか、別れた時に来ていた教師としての職業に着ているスーツではなく、ヴィクトリアンメイド服を着ていた。
ヴィクトリアンというのは、イギリスのヴィクトリア女王が統治していた1837~1901年までの間にあった芸術品などを指すときに「ヴィクトリアン風」などとして使う言葉であり、また、その頃の服などの装飾品は長く夫の喪に服した女王の影響で清楚、というよりシンプルなデザインが多い。
所謂、本来のメイド服と呼ばれるものであり、萌え文化、オタク文化と呼ばれるものが到来してから流行りだした露出の多い派手なフリル調の「フレンチメイド服」とは別のものである。
では、フレンチメイド服はフランスのメイド服なのか、と言うとそれは誤解だ。そもそも、英語の発祥はイギリスで、このフレンチというのも英語なのだが、この「フレンチ」という言葉を英語の発祥元のイギリスでは「フランスの」という意味以外に使っているといわれている。
よく聞く話だが、イギリスとフランスは仲が悪い、という話があった。元々のイギリスの成り立ちとフランスの関係、そして、イギリスの成長と第二次世界大戦を経てのイギリスとフランスの関係による不仲、など諸説はあるが、そんなことが言われていた。
そういった理由からイギリスでは「フレンチ」を「下品な」などの意味で使うことがあったそうな。その名残が、フレンチキスであったり、フレンチレター(言葉を選んだ末のルビだ)であったり、フレンチメイド服であったり、フレンチランジェリーであったりするのだ。
尤も諸説ある話なので、本当に、これが言葉の由来とも限らないし、こういう話がある程度の余談だと思ってくれれば構わない。
……俺は、なぜ、こんなにもメイド服に関して語ってしまっているのだろうか。いや、そもそも話がメイド服から逸れに逸れまくっている。まあ、こんな話はおいておいて、話を元に戻すと、なぜか由梨香がヴィクトリアンメイド服を着ていたのだ。いや、まあ、メイドなんだけどさ。
そもそも、あんなメイド服を用意する時間なんてなかったはずだし、この部屋にあんなものがあるとは思えなかった。つまり、由梨香は、メイド服をどこからともなく出したことになる。……これがメイド奥義というやつか……。
シュピードは何を生み出し、何を教えているんだ。え、てか、メイド服ってそんなに重要なものか。いや、メイドだからメイド服ってのは分かるが、別に、メイド服じゃなくても奉仕はできるだろ?
と、言っても聞かないのがシュピードなので由梨香もおそらくその意思を受け継いでしまっているに違いない。まあ、スーツ姿はいかにもできる女って感じだったが、メイド服になると清楚さと物腰の柔らかさが相まって、いかにも尽くしてくれそうな女に見えるんだよな、不思議。
「紳司様、お帰りなさいませ」
萌え系の店、所謂メイド喫茶などに類する場所での「お帰りなさいませ~♡」とは違い、恭しく頭を下げ丁寧に俺を迎える。こんな対応をされると、本当にどこかのお偉いさんになった気分だな……。
「ああ、ただいま、由梨香」
あ、でも、こうやって言葉を返す分には新婚っぽい雰囲気もあるよな。ふむ、由梨香と新婚ってのはなぁ……。なんだか、とってもいい気がしてしまうのは、誘惑に流されてしまう俺が悪いのだろうか。それとも誘惑してくる由梨香が悪いのだろうか。いや、由梨香に責任転嫁するのはダメだろ。
「シャワー、ベッド、ともに準備はできておりますが……」
ああ、これはあれか。「ご飯にしますか、お風呂にしますか、それとも……」ってやつだな。ご飯がなくて睡眠になってるけど。
「ん、ご飯は?」
素朴な疑問をぶつけてみる。すると、由梨香は、頬を染めた。なんでだよ、ごく普通の質問をしただけじゃないか。
「にょ、女体盛りをご所望とは、紳司様は、なかなかに大胆でございますね」
「違ぇよ?!」
俺は大声でツッコんだ。何の脈絡もなく、急に変なことを言い出す由梨香に、俺は流石に驚きに驚いてしまったのだ。
「いえ、ですが、夜伽の前のシャワーと夜伽のためのベッドの準備ができている、と言った後にそう聞くと、そのような発想しかできませんでしたが、もしかして『ご飯』にも何か特別な意味がお有りだったのでしょうか。無知な自分をお許しください」
……。由梨香の言葉に、俺はしばらく何も言えなかった。え、なんて言った?
夜伽のため、とか聞こえたんだけど、きっと俺の気のせいだよな。うん、きっと、気のせい……
「あ、あの、もしかして、紳司様は自分との夜伽が嫌なのですか?」
気のせいじゃなかった?!マジで夜伽って言ってるし。前にも紫炎に言われたことがあったが、え、由梨香もなのか?
「じ、自分は、その初めてですが、師から手解きは受けているので、だ、大丈夫だと思いますよ?」
シュピードぉおおお!テメェ、何嬉しいこと教え込んでんだ……じゃない、何変なこと教え込んでんだよぉおお!
てか、初めてって言ってたよな。前の旦那とはそんなことをしなかったってことか。つまり……生娘ってことですか?
そりゃ、深い関係になる前に別れたとは聞いていたが、マジか……。え、てか、なんで、こんな話になってんだよ。
「なんで、急に夜伽なんて話になってんだよ」
俺の疑問の声に、由梨香が首を傾げて、いかにもきょとんとした様子で俺に言葉を返してきた。
「いえ、トレーニングのメニューに夜のトレーニングも組み込んでみましたので……」
なんでそんなものを組み込んでんだよ。いや、うれしいけどな。うれしいけど、シャワー一緒に浴びたときに、今は考えてないって言ったじゃん。その話を聞いてたろ?
「いえ、紳司様の言い分は理解していますが、夜の方も特訓をしておかないといざというときに、と思いまして。そして、あわよくば、自分も子供を……と、考えておりました。ちゃっかり、でき婚狙いです」
今はできちゃった結婚はなんとなく非難っぽいから授かり婚とか、おめでた婚とか言うんだぞ。てか、それどころじゃなく、狙っていたのか……。それを俺にバラしちゃダメだろう。
「って、からかってるだろ?」
俺の言葉に由梨香が、苦笑を浮かべていた。あれ、からかってたんじゃなかったのか。まあ、いい、とにかく俺は、由梨香を叱る。
「ったく、俺だって男なんだからさ、そんなことを言われたら、本気になっちまうだろ?」
その言葉に、由梨香はニマニマしていた。なんだよ、変な笑みを浮かべるなよ……。もう、あ、それよりもトレーニングのプランとか公開しろよ。
「それで、トレーニングのメニューはできたのか?」
俺は由梨香に問いかける。由梨香は、急に真面目な顔に切り替えて、メニュー表をどこからともなく……いや、メイド服のスカートの内側からなんだが、なんでそんなところにしまってたんだよ。
「こちらになります」
メニューを見てみる。
起床、6時。紳司様の都合に合わせて1時間から2時間の前後がありと考えています。
早朝ランニング、6時半。起床時刻に合わせて時間は変化します。最初の2日程度は、紳司様の体力を測るために30分間走を数度亘って繰り返し、その後は、適当な時間を決めてその間の目標周回数を都度決めていく方法を取ります。
基礎体力トレーニング、10時。基本的に、朝食などの時間を考えて基礎体力トレーニングは10時からを理想にしますが、起床時間次第では短縮される可能性はあります。トレーニング内容は、腹筋、背筋、腕立て伏せ、スクワット、バービージャンプ、開脚ジャンプを繰り返すサーキットトレーニングの予定です。全項目10~30回ずつ、回数は適宜決めていくので初日は10回から。
ランニング、14時。早朝ランニングと同じことをやる予定ですので、そちらのほうに対応して決めていきます。
《古具》トレーニング、18時。《古具》に関する基本的なトレーニングを行う予定です。換装速度強化、素振りなどを考えています。
戦闘訓練、21時。15分から30分程度、自分の《古具》をかけた状態での模擬戦闘、もしくは《古具》を使った自分と紳司様の模擬戦闘です。一日の成長度を実感するいい機会であり、それと同時に自分の戦闘力と紳司様の実践力を上げるうえで重要になると思いますので、この項目を入れました。
夜のトレーニング、23時。汗の飛び散る激しい運動を布団の上で。自分と紳司様の仲をより一層親密にするためのものですので拒否権はありません。
なお、夜のトレーニング以外の項目は、超回復理論に基づく休息を1日、もしくは2日とることにします。
というのが、トレーニングのメニュー表に書かれていたことである。いろいろとツッコミどころがあるが、結局夜のトレーニングはあるのか。しかも拒否権はないって書かれてるし。
だが、それ以外のトレーニングは中々に考えられていると思う。超回復というのは、筋肉が疲れて回復するときに元に戻る以上に強くなるっていう理論のことで、超回復する期間は3日から4日と言われている。つまり、1日使って疲れた筋肉は次の日に元戻り、その次の日にさらに強くなる。しかし、放置しすぎると衰えるので、うまいタイミングを開けて運動を繰り返すことで強くなるのだ。それが筋力トレーニングの仕組みでもある。
この場合、1日に2日分くらいに筋力を使っているので1日で急激に戻るので間隔は1日毎でもいいと思う。
「夜のトレーニングはともかく、後はいいんじゃないか。まあ、由梨香にメニューは任せたんだし、これで構わないさ」
ああ、構わない、なお、夜のトレーニングは除く、という結論だな。
『てか、信兄ぃ、別に夜のトレーニングも満更じゃないんだからうけりゃいいんじゃねェ?』
なんてヒー子が言うが、確かに満更ではないが、俺も学生なものでな。いろいろと危険が伴う賭けはしたくないんだよ。
『主よ、夜は耳を塞いで待機すればええんかえ?』
いつの間にか俺が夜のトレーニングを受ける方向で勝手に話が進んでる?!
「では、明日からこの項目でしばらくやることにしましょう」
由梨香の明るい言葉に、俺は微妙な気分で頷いたのだった。はたしてこれでよかったのだろうか……。