139話:神と彼女
――神が正義であるなんて、誰が決めたの……?
――そう、神が正義であるとは限らない。だから、わたしは……
……SIDE.God Slayer
神とは、何か。そんなものは、わたしには分からない。飛行機に乗っていると、暇だから考える時間はたっぷりあるけれど、きっと、答えはでないでしょうね。
例えば、イエス・キリスト。彼は、神と一体であり、精霊とも一体であるとされる。そう、三位一体と呼ばれるものね。
そして、キリスト教とは、神が自分たちを救ってくれるという教示の元に信仰しているもの。つまり、神は正義である、ということ。
そもそも神話と呼ばれるものには幾多の神が存在している。
例えば、ギリシャ神話の主神ゼウスなんかも神。北欧神話のオーディンなんかも神。そそして、結果として、神は必ず正義であるのよ。まあ、邪神は除いてね。
例えば、善悪の2つがあるとされるゾロアスター教も結果としては、善の神が勝って全てが終わるわ。
そう、どうやっても「善い」神だけが生き残る。敵である邪神やその他、「悪」とされるものはやられる。
では、神は正義なのかしら。必ずも神の行いだけが正解だと誰が断言できるのかしら。少なくとも、わたしには出来ないわ。勝手に悪とみなし裁くのが神だというのなら、わたしは神が正しいとは……正義だとは思えない。
わたしとランスロットが出会ってから、数ヶ月経ったころのこと、わたしとランスロットが地下にいると警報が鳴った。この警報は、センサを切っていないときに入り口から誰かが侵入したとき、または、入り口が20秒以上開けっ放しだったときになるものよ。祖父が取り付けた動体感知センサね。
何者かがやってきたことが分かったランスロットとわたしは、研究室のモニターから魔堂内の様子をチェックする。そして、そこに居たのは、1人の青年。何かに怯えた様子で、まるで何かから逃げるように隅で息を殺して丸まっていた。
「引き入れるわよ」
とりあえず、匿うべきだと思ったわたしは、ランスロットにそう言う。ランスロットは、その言葉に頷き、迅速に彼を地下へと誘った。彼は、最初、怯えていたけれど、大人しくわたしたちの後をついて、研究室に来てくれたわ。
「ようこそ、《魔堂王会》へ」
わたしの言葉に、青年は首を傾げた。年は、18くらいかしら。東欧州の出っぽいいでたちよ。
「魔……堂?」
よく分からなさそうに首を傾げる青年。そのとき、再び警報が鳴った。そして数人の男が鍬やら銃やらを持って入ってきた。何て無礼な奴等かしら。
「あいつ等は?」
わたしが青年に尋ねる。しかし、青年は答えない。だけど、ランスロットが代わりに答えてくれるわ。
「彼等は、おそらく、あの宗教の教徒でしょう。ですが、彼等があれほどにまで怒っているというと、この方は、何かとてつもないことをしたのでは?」
ランスロットの言葉に、ビクッと震える青年。でも、わたしには、彼がそんな重罪を犯したようには見えないわね。
「貴方は、何をしたの?決して起こらないから、話してみなさい」
あ、もしかして、言葉が通じていないかしら?……いえ、あそこも英語圏だったはずよね。識字率が悪くても言葉くらいは話せるでしょうし、今は識字率も高いらしいし。
「ぼ、ぼくは……、僕は、何もやっていないんだ……。か、勝手に、僕の影から魔物が……」
魔物……。もしかして、これが《古具》なのかしら。ランスロットに目で確認をとると、ランスロットは頷いた。
「どういう状況で、魔物が現れたのでしょうか?」
ランスロットの問いかけに、おどおどと怯えながら青年が答える。
「僕は……屋根の修理なんかの雑用を頼まれて、屋根から落ちたら、影から魔物が出てきて僕を守ってくれたんだ。でも、周りの人は、魔物を持つなんて忌み子だ、悪魔の子だ、と僕を追い回して……それで、ここに逃げてきたんだ」
なるほど、宗教の人間は、そういう考えに結びつけるものね。しかも、宗教が違うとはいえ、教会に武器を持ち込むのもダメだと思うんだけど。
「その魔物が出たときに、何か、頭に浮かびませんでしたか?」
ランスロットは、さらに、青年に聞いた。青年は、何かを考えるように暫し待ってから言う。
「《闇獣の王国》」
それが彼の《古具》の名前なのね。モンスターズ、キングダム。魔物の王国みたいな意味の言葉よね。
「それは、君の《古具》と呼ばれる、神から与えられた力なのです。決して、君は悪魔の子などではありません」
ランスロットの言葉に、青年の瞳から涙が溢れる。わたしは、ランスロットに言うわ。
「ねぇ、ランスロット。彼にはこのまま、《魔堂王会》へ入って貰いましょうよ」
わたしの言葉に、ランスロットはあまりノリ気ではないみたいね。なんでかしら……。彼だったら、このまま協力してくれそうだと思うんだけど。
「神の教示を受けていたものが、簡単に宗教を裏切るとは思えません」
わたしの耳元で囁くランスロット。でも、わたしには分かる。彼は、今、神に裏切られているのよ。そんな彼が、今のままの状況を望むとは思えない。今の彼は、わたしと同じで神が全て正しいという教示を捨てたところなのよ。
妄信者ならば、決して逃げることはしなかったはずよ、これは、神が自分に与えた試練なのだ、ってね。でも彼は逃げてきたじゃない。なら、大丈夫よ。
「ねぇ、貴方は、神が正義だと、神の教えだけが全ての正解であると、これでも思えるかしら?」
わたしの言葉に、青年は首を横に振った。そう、アレだけ皆と一緒に信奉していたのに、裏切られたら神を信じなくなるのよ。
「わたしはね、神は讃えるものでも、崇めるものでも、縋るものでもない、神は越えるものだと思っているわ」
そう、神を幾ら讃えても神にはなれない。神を幾ら崇めても不幸は訪れる。神に幾ら縋っても裏切られる。そう、神は、越える壁であり、その壁を越えれば、世界を自由に出来るのよ。
そして、……
「なんたって、わたしは、神をも殺せる力を持っているのだから」
神なんて、簡単に越えられる。祖父はあと一歩のところで越せなかったとランスロットが言っていた。ならばこそ、わたしは、その壁を越えてみせるのよ。
「神を……殺せる力?」
青年は、わたしのことを唖然とした目で見上げた。だからこそ、わたしは笑って彼に聞く。
「貴方もわたしと一緒に来ないかしら、歓迎するわよ?」
わたしは手を差し出す。握手の手よ。この手を握れば契約成立、握らなければ不成立ってことね。
「よろしく」
わたしの手を握る青年。――契約成立、ね。わたしは、青年の手をギュッと握りながら聞く。
「わたしは、ミランダ・ヘンミー。貴方は?」
わたしの問いかけに、青年が笑って答えた。その名前は、……
「僕は、ディルセ・ディブライド」
こうして、わたしの仲間にディルセが加わったのよ。これが、わたしの……わたしたちの計画の第一歩目となったのよ。
そう、
――神が正義であるなんて、誰が決めたの……?
――そう、神が正義であるとは限らない。だから、わたしは神を殺して越えてみせる。
それが、わたしの目的。
飛行機に乗りながら、そんなことを考えていた。わたしの仲間は、ランスロットを含めて4人。そう、あの後、さらに2人が仲間になっているのよ。全員が、全員、神なんて信じないわ。
「どうか、なさいましたか?」
ランスロットが小声で聞いてくるけど、わたしは、窓の外をぼんやりと眺めるだけで、言葉は返さなかった。
「もしかして、暇つぶしに、何かとても難しいことを考えていましたね」
ランスロットは鋭すぎてつまらないわね。わたしの考えていることを読めているかのように、全て当ててくるのだから。
もしかして、ランスロットには、本当にわたしの考えが読めているのかもしれないわね。父から祖父のことをよく聞いていたから分かるのではなく、わたしと祖父の考えが似ているからでもなく、思考を読み取れるような、そんな力が……。
《古具》なんてものが有るのだから、そんな力があっても不思議じゃないわよね。いえ、そういう《古具》と言う可能性も有るわね。
「貴方が何を考えているか、当てて見せましょうか。自分が、貴方の心を読めているのではないか、とお考えですよね?」
そう、これよ。絶対に心を読んでるに違いないわ。でも、あくまでわたしは窓の外を見たままで答えない。
「ある意味正解で、ある意味不正解ですよ。まあ、この世に、人の心を完全に読める人間なんていないのですよ」
ランスロットの苦笑に、別のところから答えが返ってくる。わたしたちの全く知らない人物が勝手に答えたのよ。英語で話していたので、勝手に答えた男も英語でね。
「僭越ながら、お話が耳に入ってきてしまったのでお答えしますが、双子の共時性と言うものをご存知でしょうか」
シンクロニシティーって言うのは、まあ、偶然の一致とかって言う意味の心理学用語ね。双子が別の場所に居ながら同じ体験をした……例えば別々の場所に居たのに同じものを食べたとか、そう言ったことや、片方の身に何かが起きたのを離れた場所に居たもう片方が感じ取るなんてことを言うわね。
尤も、例えば食べるものが同じなのは、育ってきた環境から食生活が似て、同じものを食べるという説もあるし、双子に何らかの感受性があると言う証明は未だにされていないけどね。
「ええ、知っていますよ。知っていますよね?」
ランスロットの最後の問いかけは、わたしに対してのものよ。わたしは、窓の方を見ながら頷いた。
「それとは、また、違うのですがね、私の姉は私の考えていることを全て理解できてしまうのですよ」
そこで、初めて、わたしは窓の方から顔を背け、会話をしている男の顔を見た。口調から、もっと年上の男を想像していたけど、20代くらいの若い男だったわ。
「私は、それを《感覚同調》と呼んでいました。それに、姉と姉の夫は、お互いの意識を完全に通わせあえる《深層共鳴》と言う状態らしいですが」
本当の話なのかしら。だとすると、それがこの人たちの《古具》と言うより、この人の姉の《古具》であり、姉の夫は類似の《古具》を持っているんじゃないのかしら?
「まあ、そういうこともある、と言うことですよ。ああ、申し送れました。私は、七峰紫狼と申します」
その男は、そう言うと、再び前を向いて、それ以降、わたしたちの話に入ってくることはなかった。