116話:戦いの前SIDE.GOD
俺は、季節外れの紅い椛を頬っぺたに咲かせながら、俺は、とぼとぼと列の最後尾を歩く。もちろん、この椛とは比喩で、胸を揉んだことで思いっきりビンタされて残った手形である。
ものすごくいい音がしたとは姉さん談である。パチーンと綺麗に乾いた音が響いたそうだ。俺はメッチャ痛くて音は記憶からすっ飛んでる。
それで、市原家本邸を裕太、カノンちゃんの2人の先導のもと、その後ろに姉さん、由梨果、俺の順で歩いていた。なお、祭璃さんは、研究室に行くとかで、本邸に入らず、別所地下の研究室に向かってしまったため同行していない。
なお、由梨果は、後ろをついてくる予定だったが、姉さんが「紳司は最後尾で頭とほっぺ冷やしてなさい」と言ったことで、俺が最後尾になっている。
市原家は、それなりに大きな平屋で……、俺、明津灘のときにも同じこと言わなかったか?
まあいいや。それで、それなりに大きな平屋で「?」の形をカクカクにしたような形の建物だ。玄関だけ飛び出していて、そこから四角形を描くように平屋が建っている。狭い土地にでも立てられるように、なのだろうか?
襖や障子で仕切られている各部屋を素通りしながら、俺たちは進んでいく。まずどこへ向かっているかも分からない。
そんな、ただ歩くだけの時間を過ごしていると、ふと俺の目に、あるものが目に入った。ある部屋だ。
女性っぽい本や雑誌が積まれただけの埃の溜まった部屋だった。おそらく、ユノン先輩の部屋だろう。少し部屋に入ってみたい気もあったが、やめておこう。
女性の部屋に上がりこむのは失礼だしな。それに、もうここを出て行ったユノン先輩の部屋には大したものもないだろうけどな。
そうこう歩いているうちに、やっと裕太とカノンちゃんが止まった。ついでに言うと俺の頬の赤みも引いた。
そして、襖を開けて、部屋に入る。そこには1人の男がいた。おそらく、この男こそ、市原裕蔵。裕太、結衣さん、ユノン先輩、カノンちゃんの父に当たる人だろう。
「父上、《古具》使いの3人を連れてきたぞ」
裕蔵に向かって裕太が、そう言った。しかし、この裕蔵ってオッサンは、どことなく偏屈そうなオッサンだった。
「そうか……。話は聞いている。こいつ等は所詮、紛い物の《古具》使いだ。君らの勝ちは決まったようなものだがな」
裕蔵はそう言った。戦う前から勝負は決まっているといっているかのような物言いだ。しかし、誰1人反論しなかった。
「自由にしてよい。早く決着をつけて、そんな下らん研究はやめることだ」
下らん研究って……、まあ、死人も出てるし仕方ないか。しかし、《人工古具》計画とは、一体、どんな研究なんだろうか?
《古具》の原理ってのはよく分からないが、それを再現しなくちゃならないわけだし、つまりは、《古具》の正体を知らなくちゃならないだろう。
だが、ほとんど解明されていないに違いない。それを不完全でも造れたのなら凄いとは思うが、どういう理屈で造れたのかが気になる。
「第一に、お前では研究をすることは出来ないのだからな」
裕蔵がそういう。言葉の先は裕太だろう。つまり、裕太には、《人工古具》を新たに造ることはできないってことになる。と言うことは、前の研究担当が相当優秀だったというか、《古具》についてよく知っていたということだろう。
「確かに、俺は、母さんとは違って、《古具》の原理的仕組みを知らない。それに《人工古具》を造りだせるだけの技術もない」
裕太の母、ようするに、裕太、結衣さん、ユノン先輩、カノンちゃんの母親に当たる人。既に故人だと聞いている。
「ふん、結音の知識は、我々のそれとは違うのだよ。異界より齎された知恵は常人のそれとは遥かに量と種類が違うのだよ」
異界……?異世界ってことか?つまり、結音さんは異世界人であるか、異世界に言ったことがあるか、異世界の人間にあったことがあるか、ってことだろう?
どれにせよ、普通ではなかったのだろう。京都司中八家ってのはどこもこうなのか?どうなってんだよ、一体。
「それよりも木也の爺がうるさいから、例の物は早めに渡しておけよ」
木也ってのは、聞いたことが無いが……。俺の疑問そうな顔に、カノンちゃんが俺の耳元で小声で伝えてくる。
「木也家は、魔導五門の中の1つ。炎魔、水素、木也、風塵、土御門の五家の中の1つで、権力はかなり大きいの。五家に加えて雷導寺を加えることもあるけど」
また変な家が出てきたな。いや、そういえば、前に聞いたことがあるような……。五行……にしては、金がないんだが、まあ、所謂、魔法が出てくる一昔前のラノベならよくあった属性魔法ってやつだろう。最近じゃ、もっと色々あるからな……。
ああ、思い出した。炎魔火ノ音だ。確か、ミュラー先輩を巡る一件で、新しく創ったって言われていた聖剣に込められていた炎の持ち主が炎魔の人間だって言ってたな。それに他の家についても名前は聞いた気がする。
しかし、京都は色々と渦巻いているな……。もう二度と京都には近づきたくない気分だぜ?
大きな家、《古具》、異世界人、その他もろもろが大量に点在する魔窟のような場所だからな。行った家には、ことごとく異世界人が居たしな。もしくは異世界人の子孫か。
三鷹丘も、相当な魔窟だと思っていたが、全然そんなことはなかった。この京都に比べれば、異世界人なんて居ないし、大きな家はあるけど、異世界関係や《古具》関係でもないだろうし。せいぜい、天龍寺、立原、花月、南方院くらいだろう。八家と五家とかいう13家もある京都に比べれば可愛いほうだろう。
「何だよ、この魔境は……」
京都だけに魔京とも言えるか。早く帰りたくなってきたな。しかし、この後、カノンちゃんと戦うことになるわけだが、カノンちゃんの様な女の子相手に本気を出すのものなぁ……。
「分かった。……残りの11時までの間は、それぞれ、休憩に当てるために、客人に客間を貸しても」
「ああ、構わん」
どうやら、11時までは、俺たちは客間で休憩ということらしい。まあ、別に休憩なんていらないんだがな。このまま戦って、早々と帰りたい。
そもそも、戦ったところで、俺達にメリットってあんまり無いようなきがしてきたんだが、そういえば、何で俺は戦ってるんだ?
別に来年以降、京都に頻繁に訪れるわけでもあるまいし、襲われたところでどうということも無いし、特に問題がない気がしてきたんだが。
まあ、戦うのは別に構わないにしても、結衣さんの姿が見えないし、何か仕掛けでもしているんだろうか。
流石に離れすぎていて、俺でも気配はつかめない。
結局、11時までの10分ほどを、俺たちは客間で過ごすことになった。せっかくなので、暇つぶしにユノン先輩の部屋を見に行こうかとも思ったがやめた。
あまりにも暇だったので、由梨果と会話することにした。俺は、適当な話題を由梨果に振ってみる。
「なあ、由梨果。お前って、前の旦那以外に、主人っていたの?」
この場合の主人とは、メイドのご主人様の主人である。なんとなく気になったので聞いてみた。
「いえ、前の旦那は主人とは別でした。主人は今まで、1人だけした」
そう言って、俺の顔を見ていた由梨果。しかし、前に、主人がいたのか……。どんな主人なんだ?
俺の疑問に、由梨果が、ものすごい小声で俺に言ってくる。
「暗音様は、ご存知かもしれませんが、自分の主人の名前は不知火と言う家だったのです。自分の教え子の鞠華も自分がやめたと同時にやめさせられたと風の噂で聞きましたが、心配なさそうですし……、今度、会いに行ってみるのもいいかもしれませんね」
なるほど、姉さんの知り合いの不知火って人の家に雇われていたのか。不知火家も相当有名な大財閥だからな。そんな有名な家で雇われていたとは、凄いな。まあ、スーパーメイドの弟子だからな。
スーパーメイド……シュピード、ね。正直言って、あれを師匠にして、こんな真面目な弟子が出来るとは思えんのだが。
まあ、実際に出来ているってことは、すさまじい化学反応が起きたか、はたまた突然変異か、なんにせよ、ありがたいことだ。あんな奴よりも由梨果の方がよっぽどいいに決まってる。
「1人だけでしたってことは今は他にいるのか?」
1人だけだったって過去形だろ?てことは、今は、他にもいるってことじゃないのだろうか?
「ええ、居ますよ」
小首を傾げて「この人は何を言っているんでしょうか」とでも問いかけるような可愛らしい顔をしていた。
「そうなのか?」
俺の疑問の声。流石に今日親密になった由梨果の個人情報をそこまで詳しく知っているわけじゃないからな。
「ええ、そうですよ?」
そうですよ、じゃあ、さっぱり意味が分からないんだが、結局のところ、どんな主人なんだ?
「誰なんだ、そいつは?」
もしかしたら俺の知らない人かもしれないが、念のために聞いてみる。すると、怪訝そうな顔で「この人は大丈夫だろうか」と言う表情をして、俺の顔を覗き込んだ。自分の額と俺の額を重ね合わせ、熱が無いことを確認すると、プニプニとさっき紅くなっていた俺の頬をつついてから言った。
「何をおっしゃっているんですか。紳司様ですよ?」
何が俺なの?!余計意味が分からんわっ?!
「ですから、自分の今の主人は紳司様ですよ?」
……なんだって?いや、聞こえている。しかし、聞き間違いか、今、「自分の今の主人は紳司様ですよ?」と言っているように聞こえてしまった。きっと幻聴だろう。そりゃ、そうだ。俺は主従契約なんて結んじゃいないからな。
「あのな、由梨果、お前なあ……」
俺が由梨果に、色々と説得を試みようとした瞬間、客間の襖がノックされる。そして、開かれた。
「もう11時ですから、それぞれ、部屋に移動するように、と、裕太様からの言伝です」
祭璃さんだった。チッ、仕方ない。説得は後回しにするとしようじゃないか。今は、それよりも前に、カノンちゃんとどうにかして戦うとしよう。
そうして、事前に伝えられていた大き目の3部屋に、割り振られたとおりに移動する。
(追記)
そういえば、名前を出していたので、魔導五門に関して追加しました。