110話:桜麻先生SIDE.GOD
早朝、俺は、朝食を取る宴会場ではなく、ロビーに居た。無論、桜麻先生と会うためである。なら、宴会場でもいいじゃないか、と言う話だが、宴会場では、周りに話を聞かれる恐れもあるし、もう1つ、桜麻先生は、生徒や他の教師が食事中は絶対に姿を見せないということだ。
俺が宴会場で桜麻先生をいくら待っていても、姿を現さないだろう。だから、いつも皆の食事が終わるのを待っているであろうロビーにやってきたのだ。
すると、ロビーには予想通り、椅子に座って、本を読む桜麻先生の姿があった。気配を薄くしている所為か、ウチの学園の生徒はほとんど気がついていないようで、普通に通り過ぎていく。まあ、ただ話しかけないだけかもしれんが。
整った姿勢で本を読む姿は、違和感があるほどだ。もうちょっと崩して読んでも大丈夫だろう。ピンと背筋を伸ばして右手で本を持って読んでいる。
俺は、丸いテーブルを挟んだ向かいの席に腰をかける。彼女同様に気配を薄くして、だが。
優雅に紅茶を飲みながら本を読む姿は深窓の令嬢とも取れるが、今、彼女が行っているのは本を読みながら飲む、と言う礼儀を些か欠いた行為である。
未だに、彼女は本に夢中で、俺には気づいていない。もしくは、気づいているのかも知れないが、自分には気づいていないと思っているのかもしれない。しかし、それで、相手の顔を確認しないのもどうかと思うので、やはり前者なのだろう。
俺は、彼女を観察しながら、彼女が俺に気がつくのを待つ。
そして、俺が席についてから5分ほどだろうか。彼女が本を読み終える。読み終えた本を丸い透明なテーブルに置いて、紅茶を飲む。
ふと、目があった。
――ブフッ
彼女は紅茶を噴き出した。汚い……。いや、我々の業界ではご褒美です、唾入り紅茶!
「けほっ、こほっ」
綺麗に畳まれた白色のハンカチで口を押さえながら咳をする。どうやら驚かせてしまったらしい。
「申し訳ありません。みっともない姿を晒してしまいした」
いやいや、あの程度でみっともないんだったら秋世なんてみっともなさの塊になっちゃうしな。
「いえ、俺の方が悪いですよね。一言声をかけてから座れば、こんなに驚かせることはなかったでしょう」
彼女、桜麻由梨果先生は、自称36歳の美人教師である。作法が丁寧なことに定評があり、生徒の要望に答える、よき教師だった。
「いえ、こちらこそ、申し訳ありません」
桜麻先生。そういえば、既婚者って噂もあるけど、どうなんだろうな。指輪の跡はあるけど……。
「それで、青葉君。自分に何か用でしょうか?」
彼女は、ハンカチを畳みなおしてから、俺に問いかける。まあ、流石に用もなく、自分の前に座ったとは思わないよな。
「ええ、少しお話が……」
いや、それにしても、本当に既婚、未婚、どっちだろう。いやバツ1の可能性もあるんだよな。
「話ですか?
ええ、構いませんよ。一体なんでしょうか?」
彼女は、そう言う。しかし、俺の頭の中では、彼女が既婚者か未婚者かバツ1かの3択を考えるので非常に忙しい。……ああ、直接聞けばいいんじゃないか?
「先生って既婚者ですか?」
……って俺は何を聞いているのだろうか。《古具》について聞こうと思っていたのに。でも、答えは気になるな。
「ええ。一度、婚約したことはありますね。しかし、自分の生真面目な性格と仕事の忙しさから、1年もなしに離婚しましたが」
ああ、バツ1か。なるほどな……。確かに真面目そうではあるが、お願いしたら何でも聞いてくれるので普通に良好な関係が築けそうなものだが。
「先生は幾つでしたっけ?」
36歳でバツ1だとしたら、結構焦っている年頃ではなかろうか。何に焦るって結婚……もとい再婚だよ。
「26ですよ」
あ、あれ、俺の聞き間違いかな?俺の知っている彼女の年齢よりも10歳低い年齢が返ってきたな。
「あ……いえ、申し訳ありません。今年で36歳です」
俺の訝しげな顔を見て、目を背けながら訂正する。え、どっちが本当の年齢なんだよ。たぶん、26歳が本当なんだろうけどな。だって明らかに見た目の年齢と一致している上に、素で答えてたっぽかったし。
「どうして年齢を偽ってるんですか?」
サバを読むともいう。サバを読むって言う言葉の語源は、諸説あるが、定説は、サバは傷みやすい上に数が多かったので、江戸時代の頃は早口で数えられて数が合わないことが多かったことから、転じて数を誤魔化すことをサバを読むというようになったと言われている。
「いえ……。ここだけの話と言うことで胸に秘めおいてください。
自分は、本当の年齢は26歳です。しかし、教師という職において新卒程度の年齢だと生徒に同等に見られると聞いたことがありまして、つい、出来心で10歳ほど偽ってしまったのです」
ああ、自称36歳は、本当にただの自称だったのか。実年齢26歳、か。相当若いじゃん。これならバツ1でもどうにかなるんじゃないのか?
「でも、先生と結婚していたのに、みすみす手放した前の夫ってどんな方なんですか?」
俺なら絶対に離婚しないけどな。……て、あ、完全に本題を忘れてたわ、俺。
「前の夫、ですか?
自分と同い年でしたが、子供っぽい雰囲気の人でした。出身や家族などは知りません」
何で自分の夫だったのに出身や家族を知らないんだ?どんな関係だったんだよ。そら、元担任の生々しい話はあんま聞きたくないけどさ……。
「そもそも、対して深い付き合いになる前に離婚しましたので。自分には不釣合いだったのかもしれませんね」
それはどっちの意味で不釣合いだったんだ?!「ブスな私には釣り合わない」なのか、「美人な私には釣り合わない」なのか。性格的に前者であろう。
「ですが、何故このようなことを自分に問うのですか?」
あ……、そうだった。俺はこんなことを聞きにきたわけじゃないっての。俺は慌てて本題に入ることにした。
「ああ、いえ、今のは忘れてください。今から聞くことが本題です」
俺はそう前置きする。いやぁ……危ない危ない。無駄な会話で全部を終わらせるところだったぜ。
「桜麻先生、貴方の《古具》について詳細をお教えいただけませんか」
俺は、桜麻先生に、俺が《古具》を使えることを秘密にしている。だから俺が《古具》使いだと教えるリスクがある以上、先に聞いて、もう1人として連れて行くなら教えるつもりでいる。
「はい。《戦舞の闘歌》と言う《古具》ですね。効果は、自身、もしくは対象の戦闘能力を強化するものです。ただし、対象は1人で、1人に使用している間は、他の誰にも効果がありません。また効果時間があり、それが切れると一定時間、その対象には効果がなくなります」
なるほど、紫炎の《本能の覚醒》と似たような能力ではあるが対象が複数であるなどの違いがあるよな。ただ、制限の方も大きい。特に制限時間と、その後の使用制限が。
と言うか、《本能の覚醒》に《戦舞の闘歌》を重ねがけしたらどうなるのだろうか。どちらか片方しか機能しないのか、それとも2重に強化がかかるのか。
一応、自分の体も強化できるということは、戦力にはなるのだろう。俺の気配は察知できていないが、察知能力もそれなりに高いはずだし、鷹月よりは戦闘出来るかもしれない。
「桜麻先生にお願いがあります。その力を是非かしていただきたいんです」
俺は頭を下げる。すると、桜麻先生は、にこやかに笑い、気がつけば俺の後ろに居て、俺の下げた頭を元に戻してきた。痛い痛い、首がグキッっていった!
「頭を下げるのはやめてください。自分は、頭を下げてもらうような人間ではありませんので」
無理やり体を戻そうとするのをやめてください。死にます。いや、マジで死ぬかと思った。しかし、今の移動速度、見えなかった……。
「自分の力でよければいくらでも使っていただいて構いません」
そんな風に言う彼女。俺は、まだ事情を何も説明していないのにも関わらず、彼女は「いい」と返事をしたのだ。
「本当にいいんですか?」
俺は、念のために、再度確認する。別に彼女を信用していないわけではない。信用しているからこそ、いいのか、と聞くのだ。
「ええ、構いません。自分は、誰かのためにしか生きれませんから。幼くして両親を亡くして、師に育てられた、この自分には、自分のわがままと言うものが見出せないのです。いえ、人のためだけにある、と言うことこそ、自分のわがままなのかもしれませんね」
他人のためだけにあり続ける。それゆえに、子供のための職である教師と言う職業を選んだのかもしれないな。
「そうですか。では、1つ、俺の秘密を教えます。その秘密を聞いて、その上で、俺に協力してください」
秘密、それは、俺が《古具》使いであるという事実。彼女にも秋世にも教えていないことだ。
「これは秋世にも明かしていませんが、俺は《古具》に開花しています。《神々の宝具》と言う名前の《古具》で、古今東西、あらゆる神話の神の武器を使うことが出来る力のようですね。尤も、使えるものは限られますが、神以外の武器でも、元が髪から与えられたものであったり、後に神が使うようになったものは使えるようです。
これが俺の秘密です。そして、現在、修学旅行初日に襲ってきた市原家と、1対1の3本勝負を持ちかけられています。俺を含めた2人の参加は決定していますが、もう1人が決まっていません。その最後の1人になってもらえませんか?」
秘密を打ち明けて、そして、協力を請う。すると彼女は優しく微笑んだ。さも、当然と言うように言う。
「ええ、構いません。お受けします」
即答だった。僅かな迷いもなく、まるで頼みごとなら全て受け入れる、と決めているような感じだったのだ。
「自分程度でよければ、いくらでも自由に使ってください」
まるで、全てを犠牲にして、他人のためだけにある……いや、あろうとしているかのような彼女に、俺は、どことなく寂寥感を覚える。
「そうだ。親睦を深めるために、お互いに秘密を教えあいませんか?もちろん、俺は、さっきの秘密以外の秘密を明かしますよ?」
だからだろうか。自分が不利になることだとは分かっていても、思わず、そんな話を持ちかけたのは。彼女と少しでも近づいて、彼女を人として扱いたかったのだ。まるで、自分を他人のための物だ、と思っている様な彼女を人として。
「秘密ですか?
そうですね……。自分には特にこれと言ったものはありませんが、師について、でしょうかね」
師?そういえば、両親を亡くしてからは師が育ててくれたって言ってたもんな。どんな人なんだ?
「と、申しましても、師にもこれと言った秘密はありませんが、師は所謂スーパーメイドらしく、主人をなくしてから放浪していて、偶然、自分を拾ったそうです。自分は、師にメイドとしての極意を教わり、それを弟子に伝授しました。
ああ、秘密らしい秘密と言えば、その弟子に教えた技が奥義43個と外伝7つの50の技を伝えたのですが、実は、自分が師から教わったのは243個あるんですよ。200個ほどは、危険すぎるので、教えるのを控えました。
その程度の秘密で申し訳ありません」
いや、なに、奥義?メイドの奥義って何さ。
しかし、これで、俺の秘密を1つ、彼女は2つの秘密を打ち明けたことになる。え、もう1つはって?年齢のことに決まってるだろ。
「では、俺の秘密ですね。そうですね……。特に何も無いので……一番の秘密を明かしましょう」
俺の一番の秘密は、と言うと、おそらく前世のことになるだろう。まず、荒唐無稽な話ではある。しかし、彼女なら信じると思っているのだ。
「まあ、尤も、荒唐無稽で信じてもらえるかは分かりませんが」
心にもない前置きをする。実際のところ、理解の無い人物だったなら、自分にだけ秘密を話させておいて、自分は嘘をついて秘密を話そうとしていないな、と取られることもあるだろう。だが、彼女なら、信じるはずだ。
「俺には前世の記憶と言うものがありましてね。六花信司と言う鍛冶師だった前世です。それは確かなものでしてね。証拠も色々あります。それゆえに、俺の夢物語でもなんでもなく、事実だと思われます。これが、俺の秘密ですよ」
俺の言葉を、彼女は真摯に受け止めた。そして、己の胸に手を当てて、彼女はこう言った。
「確かに、青葉君……紳司様の秘め事、拝聴いたしました。その事実、死んでも口を割らぬことを誓いましょう」