Twitterで突発的に書く、「即興小話」を冒頭部に据えたもの。
とある吸血姫の話
「泣くな」その人は無理やり笑った。
「そなたに泣かれると妾は困る」頬を伝って流れた涙をその人の指がすくう。
「やせ我慢でもええ、妾の出立笑って送り出してくれんかえ」
その人は戦に行かれるのだ。勝ち目のない戦に。
「笑ってくれや」泣き笑いを作った私を見てその人は……
* * *
「お嬢様、お嬢様、お嬢様!」
勢いよく扉が開け放たれ私付の侍女があわてたように駆け込んできました。
「もう、どうしました?」
私は読みかけの書物を机に置き、侍女に落ち着くよう言いました。
「お嬢様、戦が、戦が終わりました」
「そう、戦が終わりましたか」
ふう、と私は大きく息を吐き出しました。毅然としていなければなりません。あの方がいない間は私が、此処の主なのだから。そしてこれからも。
「それで、結果は?」
「は、はい。知らせでは……」
侍女は目に涙を浮かべ、自分を鼓舞するように胸に手を合わせます。嗚呼、これはわかっていt
「勝利でございます。お嬢様、あの方はやってしまったのです!」
「ほ、本当ですか?」
「ま、まだ、第一報だけですが、事実かと思います」
私は椅子から立ち上がり、駆けだしました。そう、あきらめた運命に希望が見えた。その時は思っていました。
* * *
「流石に死者の群れを率いるものだな」
彼女は馬上から見下ろす合戦場の動きを見ながら感嘆とも悲嘆とも取れぬ声を発した。自らが決戦の地として選んだそこ――柵や空堀を何重にもめぐらせた野戦陣地――は、死者の群れに何とか拮抗するだけのものではあったが、徐々に押されてきている。
「お館様、後詰のあやつを出しましょう。死者の群れごときに後れを取りますまい」
参謀の告げる声に彼女は首を振った。
「あやつは妾の策の最後のピースよ。勝ち目があるとすればそこよ」
「しかし、このままではじり貧です。元々勝ち目がないとはいえ、黙ってやられるわけにはいきますまい」
帯同する将の一人が悔しげに言葉を紡ぐ。
「すまぬ、この戦、妾のみが引き受けるべきだったのだ」
「いえ、そこはお館様、我らはお館様に総てを預けております。一人で逝くなど悲しいことはいわないでください」
そこらじゅうからその言葉に賛同する声が聞こえる。彼女はその声にうれしそうに目を細める。
「すまぬ、妾が妾の素性のせいでこうなってしまったこと。それでも卿らの信頼ありがたくいただくぞ」
彼女の声に、振る舞いに、付き従う者たちは奮い立った。
彼女を自分らの主に祭り上げたのは彼らだ。そうせねばこの乱世、他の勢力に食われていただろう。それがここまで何事もなくすごせてこれたのはまさに彼女の存在があってこそ、それをわかるがゆえにこの戦から誰一人逃げようとはしなかった。
いや、この戦こそ自分らが招いた罪なのだと感じていた。
周辺の人々からは“不戦の戦姫”、“深紅の陣羽織”、“孤高なるアカンサス”など挑むことさえ滑稽、と言わしめた彼女は人ではない。永遠なる不死の女王、吸血姫であった。
「いえ、あの日あの時、お館様がおらねば我らの里など蹂躙され今に残っておらなかったでしょう。お館様がどんな存在であれ、我らはあの御恩を、そして今までの御恩を決して忘れませぬ」
晴れやかに帯同する老齢にさしかかろうかという将が言った。
将は涙を目に浮かべる。あの日あの時、本来なら死んでいった命がいまだに生きていることに感謝をささげる。
「“夢にあり優雅に咲けよまほろばの 胸に咲く花想いのままに”」
誰かが口ずさんだ歌はいつ誰が歌ったかも知らぬ歌。希望を夢をただ幻の如く追い、たどり着けよと言う歌に、
「“夢にあり優雅に咲けよまほろばの 雨音の中悠然とあれ”」
幻の如く咲く花であれば雨が降っている中でも悠然とあってほしい、と誰かが繋げれば
「“涙雨簾に隠し酔いしれど 胸に咲く花想いのままに”」
悲しい涙など隠して酔ってしまえ、心にはいつも花が咲いているから、と言う歌を歌う。
連歌と呼ばれる彼女と彼女を慕った娘が始めた遊び。いつしか、彼女の里では老若男女が遊ぶようになっていた。少ない言葉に思いを込める。それを繋げるという何とも風流な遊びを自然とやっていた。難しく考えなくてもいい。それが暗黙の了解である。
「“彷徨いし指針無くした魂振りを 風に乗せるは明日を求めて”」
最後に彼女が口ずさんだ歌は、希望をあきらめないという意思表示を込める。それが実質的な勝ち目がない戦であれ、希望はあるのだと、希望はそこにあるのだと歌い上げる。
「さあ、逝こう。妾に勝利を! 卿らの奮迅疾くと見せよ! 人よ、恐れるな。人よ、妾にささげよ、血、肉、骨に至るもの総てを。死してなお、妾のために働けぇ!」
掲げられた剣に、将の声が合わさり、兵の声が合わさる。
彼女は吸血姫。本来ならば人と相いれない存在。それでも彼女は人たちから慕われ、人のために生き、人を狩るもの、化け物を狩るものからは敵視される異端な存在。
それでも彼女は揺るがない。これが人間を地獄にたたき落とすことになったとしても、彼女はもう迷わない。
そう彼女の望む未来のために。
* * *
死はいつもそこにあった。
親しき者親しくない者身内そうでない者すれちがっただけの者すれ違いもしなかった者。そのあまねく生きているものに付随する死というもの。
それは悲しみを呼ぶものであり、憎悪の対象となり、美化する原因となる。
死はいつもそこにあった。
生きている限り。だが、こいつらはどうだ? すでに死んでいる。すでに死んでいるものに死がそこにある者が蹂躙されていく。
口の中が鉄臭い。どうやら強く唇をかみすぎていたようだ。
お館様の厳命で俺はここからそれを見ることしかできない。
「若様、大丈夫ですか?」
副官が俺に声をかけてくる。怯えてしまっているようだ。
「……ああ、なんとかな」
笑えた自信がないが副官の表情が幾分か和らいだのでよしとする。
「お気持ちは察しますが……」
「言うな、それが分からぬ俺ではない」
吐き捨てるように言い捨てる。
憎い。
ここで待つように、最後の最後まで待つように命じたお館様が憎い。いや、それ以上にあの死者の群れが憎い。
「若様……」
副官が濡れた瞳で俺を見上げる。そうだ、俺は最後の最後に彼女らを率いらねばならない。戦に命をささげたと言え、ここにいる大半は女人、不安になるのも仕方ない。
「心配するな、お館様なら勝つ」
「若様、私たちの心配は無用です。私たちはすでに覚悟はできております」
「そんな顔で言われたところで、な。すまん、俺がしっかりしないせいで」
副官は少しだけ心外だというような表情を作った。
嗚呼、俺自身が一番憎いな。思ってもないことがすらすらと口から出る。本当は彼女らのことなどどうでもいいのだ。一番はお館様のみ。どれだけ俺に心を寄せてくれようが、俺は彼女らに嘘をつき続けねばならない。
それも憎い。
副官は俺にとってなんなのだろうか。里を守るために共に働いてきたが、ついに分かることはなかったと言えるだろう。
「曙の光りを断ちし叢雲よ せめて朝には消えてしまえよ」
「曙の光りを断ちし叢雲よ 別れの朝を隠してしまえ」
「おい」
「はい?」
「……何もない」
「報われずともお慕い申し上げます」
「敵わないな」
俺の言葉に副官は笑った。
嗚呼、その笑顔に報えないのが憎い。
* * *
「お館様、無事でありますか!?」
「妾は問題ない。他の者は?」
「左翼右翼ともなんとかもっています。しかし、時間の問題です」
目の前に来た死者を斬り捨て、彼女は黙考する。
そろそろここが限界だ。前衛はすでになく、柵は壊され、空堀はすでに意味をなさず、死者の軍はかつての仲間を招き入れ進軍している。
「ええい、悲しいが火矢を射掛けよ。死を冒涜するものは灰に還してしまえ」
一人の将の悲痛な命令によってあちこちで火の手が上がる。
「いかんな、やめさせよ。それでは敵大将が強くなるだけだ」
「しかし、聖なる武器はもう底を尽きかけています。いえ、すでにないと思ってください」
「馬鹿者。それではこちらの勝の目もつぶすことになるぞ。妾たちの目的はただ一つ、敵大将を討ち取ることよ」
彼女は眉間にしわを寄せ、敵の軍の奥を見やる。
「よいか、火矢は使わせるな。苦しくとも、何度も斬り捨てよ。狙うは足、腕、首に限定すればよい。時間を稼がせよ」
目の前に迫った死者をまた一人斬り捨て、彼女は命じる。
「死者の王は死者の魂で強化される。死者は行動不能にさせるだけでよい。それが最善。無理だと思えば素直に引くがよい。戦線は妾が支えよう!」
人には酷なことを、と思いつつも彼女は目的のために私情を捨てる。戦線を支えるなど言ったがそれは偽善に過ぎない。
その偽善を信じ、伝令はまた駆けていく。彼女の命令を伝えるために。
しかし、その命令の意図はもうこの戦にはない。ただ、彼女が求める可能性を生ませるためにだけに注がれている。人の最悪の可能性を。このまま推移すれば我慢弱い死者の王のこと、あらゆる方面に配下を流すだろう。強者の魂を求めて。
そしてその流れは運命を導くだろう。
「さあ、生まれよ。人の切り札よ」
彼女は嗤った。
* * *
「ふむ、何が目的か、の」
死者の王はその骨ばった手――というより骨の手――を顎にあて一人首をかしげた。
「すでに、彼の者しかまともに戦えておらぬではないか」
リンクさせている死者たちの視界には掃討される人の群れ。火矢を浴びせられた時は喝采をあげそうになったがそれもすぐにやんだ。死者に殺された人は即座に死者になる。それでは意味がない。
「これでは魂を喰えんではないか」
嬉しそうに嘆きの声をあげる王に死者の騎士たちはまた始まったと首を振る。この後の行動も想像がつくというもの。強者の魂を探しに自分たちを放つだろう。
「では、そろそろ仕上げと行こう。我に従う者どもよ。その怨嗟の声を人に刻み込め!」
それでもこの王に従えば間違いはない。そう、彼らは信じていた。
* * *
「……何?」
それは突然だった。
「っ、若様!」
全てがスローモーションのように
「がはっ」
自分の口から、血の塊が吐き出される。
「ぜーんたい、若様をお守りしろっ!」
副官が、俺を補佐する者が、俺が率いていたものが、一斉に動き出すが遅い。
「――――」
どこからか現れたかわからない骨が、死者が、蹂躙していく。
俺に腹に突き立っているのは投槍。綺麗に貫通しているのがわかる。
「怯むな!」
いけない。それ以上は。
「――――――――」
音だ。その声は音だ。ただの音。
それが逆に恐怖を引き起こす。死者は鈍く光る穂先を並べ、骨はすらりとした剣を振り上げる。
「――――――――――――」
その統率がとれた動きは芸術の域だ。きっと生前は名のある軍団の精鋭であったのだろう。
「若様っ!」
また一人、俺を呼んであっさりと死んだ。
「っ、あぁ」
俺の口から声にならない声が漏れる。
地獄絵図を前にして俺は動けない。俺を信じてついてきたくれた者達が死んでいく。
『そなたはホンに臆病やの』
いつだったか、誰かがそう言っていた。
『そなたは――を殺せる存在になれるやもしれぬの』
そう、その時言っていた誰かはとてもうれしそうだった。
それを俺は憎いと感じた。
そう、その感情は俺自身ではなく世界に向けられるような、否、一人に向けられるような、破滅を願い、心を縛る呪詛。
その呪詛が今まさにあふれかえるような、そんな気がする。
嗚呼、死ぬ前なのに何を思っているのだ。そう憎いならば俺はまだ死ぬわけには……。
『死ぬときは妾を憎んでくれや。そなたを死地に追いやるのはきっと妾ゆえな』
世界の色が反転した。
* * *
「む?」
「きたか! 待ち焦がれたぞ!」
「何を知る?」
死者の王と吸血姫は血に染まった大地を踏みしめ、踊るように互いの武をぶつけていた。そんな中、死者の王は濃密な死の匂いを、吸血姫は恋い焦がれた自身の死の予感を感じ取り、互いに距離をとる。
「王よ、妾は飽きたのよ。死ぬに死ねぬ、向こう側の世界に身を置くことに」
「姫君よ、ならば我に身を捧げればよいではないか」
「それでは妾は死ねぬではないか。王に隷属などしたくもないの」
「人を従える姫君と何が違う?」
「妾は人を従えていない。彼らは妾を争い除けにし、妾は仮の安らぎを得ていたにすぎぬ」
王が、いや、向こう側が妾を狙った時点で崩れたがな、と吸血姫は笑った。
「姫君よ、我には解らぬ。所詮人は餌でしかない。なのにこの圧倒的な悪寒はなんだ」
王は困惑した声音で問うた。死の匂いは確実にこちらへと向かっているのがわかる。進路に合った従順なる騎士たちの反応が根こそぎ消えている。魂も戻ってこず、それこそ消えたように。
「王よ。人も免疫を持っていたにすぎぬ。ただ今までは表に出ていなかっただけのこと。妾はそれを導いたのよ」
「何故?」
「妾の安らぎのために」
「仮ではなかったのか?」
「今その仮が取れる。ほら、来たぞ。妾の望んでいた者が!」
王は見た。影がうごめき、死者を消し去りながらゆっくりと歩を進める者を。
「あれこそが、人の抑止の力。王よ、さあどうする?」
嬉しそうに彼女は口の端をゆがめた。
それは【人】だったのだろうか。今はその面影しか垣間見えない。
それは死者を一方的に蹂躙していいく。
人が蹂躙されていたように、死者の群れもまたそれには無力でしかなかった。
「■■■■■■■」
声にならない音が響き渡る。それだけで、生者も死者も足を止める。
それは足を止めた死者だけを蹂躙する。生者には見向きもしない。
「あ、あれは」
生者の一人が何かに気付いたようだが、首をふった。ただ今は逃げ延びなければならない。他のことを気にしていればきっと生き残れない、そう思ってしまった。
* * *
「戦は終わったのですね」
「は、被害甚大なるも辛くも勝利を拾いました」
「拾った?」
「お、お館様以下多数の将兵の生死不明、その中にはお嬢様の弟君である若様も」
「それでも勝ったと?」
「は、死者の軍は壊滅、我が里は守られました」
「そう……お下がりなさい」
「はっ」
* * *
「はははは、なるほどこれは痛快。それでもまだ一歩及ばぬ」
王は影を躱し、その本体へ大鎌によるカウンターを叩き込む。その一撃は重いはずではあるがこたえた様子はない。
「なるほど、影で防いだか」
「王よ、妾を忘れてもらっては困るな」
「姫君よ、そなたを忘れることなどできんよ」
吸血姫の死角から繰り出される攻撃を王は目をくれることもなく、身体からしみださせた魂のかけらを犠牲にすることで防いだ。
王は余裕だと思っている。姫君の評価は過大過ぎる、と。先ほどまで感じていた死の匂いはとうに失せている。
ただここにあるのは、そういってしまえば憎しみだ。
死には勝らない。
そう、王は思っている。
吸血姫はそう考えるだろうと睨んでいた。死を司るがゆえに、憎しみ程度では揺らぐことはない、と。彼女にしても彼が憎しみという感情で、とは思ってはいなかった。
それでも濃厚にその危なさが垣間見えている。
影の中から滲むその匂いは、死では生ぬるい、死ねず、生きているとはいえず、そこで眺めているだけしかできない、さながら死の直前で感覚が引き伸ばされている状態で永遠と死がこない状態と言えるだろうか。
それは拷問だ。救いはないと決められている。希望もないと決められている。ただそこで居続けなければならない。
吸血姫が望んだ安らぎには程遠い、これが人の望んだ向こう側への対抗薬。
「そうでなくては、面白くないな」
彼女は凄絶な笑みを浮かべる。いかにして、自分を“殺す”ように誘導するか、それが彼女の最後の勝利条件だ。
* * *
「なんだ、あれは」
彼らは見た。
這う這うの体で最終防衛ラインに指定されていた小高い丘の上にたどり着いた彼らは、その異常な光景を目の当たりにした。
そして自らの目をこすり、頬をつねり、それが幻覚でないことを確認すると、彼らは即座に里へと帰還する準備を始めた。
「あれは我々が関わってはいけない世界だ」
ぽつりと、生き残りの将が漏らした言葉が全てだった。
* * *
影を束ねる。形は紡錘状に、鋭さで敵を貫けるように。
避けられた。
間髪入れずに敵の大鎌が首筋めがけて走る。
影で盾を生成、受け流す。
もう一人の敵が敵を攻撃しているが、意味がないようだ。
影を束ねる。次は死角という死角から伸ばす。まずはあの王様っぽいやつだ。
憎悪を糧にし、影を操る。
影の中でうごめくモノの声もいい具合に憎しみであふれかえっている。
まだ、馴染んでいないがもう少しすればより大きな力としてふるえるだろう。
影を剣にしてみる。
この方がよく馴染む気がする。気がするだけだと思う。
憎い、そうこの戦場を作り出した存在が憎い。
憎い、そうこの世界に迷い出た人ならざるモノが憎い。
憎い、己がふがいなさが、ただ、死ぬはずだった己が憎い。
これは八つ当たりに近いかもしれない。
わかってはいる。死者はもう永遠に戻らないのだ。
それでも、それでも、
――――奴らをこの牢獄に捕えるまでは、きっとこの憎しみは止まらない。
* * *
「流石にきついの」
王はぼやた。際限なく続く影の槍の猛襲は王の気力を緩やかに奪っていた。
「ならばそろそろ負ければよいのではないか、王よ」
「ぬかせ、姫君こそ何をたくらんでるか知らぬが、これにもう意識などはあるまい」
王はせせら笑い、姫君はそれを軽く流した。
影は先ほどより濃くなり、槍の数は増え続けている。
王は大鎌で反撃するもののすべて影によってさえぎられる現状に忸怩たる思いを抱えていた。
背後から襲わせたはずの騎士たちはすでに影に飲み込まれた後。手駒はとうにこの化け物に喰われていた。
(打つ手がない。いやはや、これ程とは)
王は感嘆とも悲嘆ともつかない声を心のなかで上げた。
打開策はなく、このままいけばいずれ飲みこまれるだろうことは容易に想定できた。
死者の王たる彼は、相対するモノがすでに死者の領域であることは看破していた。
だが、死なない。死ななければ死者の王の特権も何もないのと同じだ。
(これが、我ら向こう側に対する世界の意志か)
死者の王は引き際を誤ったことを悟った。消えていたはずの濃密な死の匂いがあたりを取り囲んでいる。
「のう、死者の王よ」
「なんだ」
「死ねぬことはつらいと思うか?」
「知らぬ。我は死を司るもの。姫君よ、死そのものである我には愚問ぞ」
「妾は思うぞ。死ねぬとは辛いことだと」
「ふっ、不死の血族が何を言うか」
王は嗤った。吸血姫は自分に近しい存在だ。それも他の吸血種を突き放すほどの力を持ちながらこの姫君はその役割を放棄した。ゆえに、死者の王たる自分が遣わされたのだ。
「王よ、そなたは知らぬから言えるのだ。妾は人とともに生きた。ゆえにわかることもある」
「それがどうした、たかが餌のことを」
会話をしている間も途切れぬ猛襲に辟易しながら王は機嫌悪く答えた。
「人をあなどるな。妾は人ともに生き痛感した。我らよりも人はきっと……」
「不完全故、強いのだ。不完全故、縛るのだ。不完全故、儚いのだ」
とっておきの言霊を王に向けて彼女は言い放った。
* * *
「なあ、姫君よ」
「…………」
「なぜ、姫君は人ともにあったのだ?」
「理由はない。そうしたいと思っただけだ」
「我がままだな」
王は言霊に一瞬だけ縛られ、見事に影の槍と剣をその身に受けた。魂のかけらは意味をなさず、影に触れた瞬間に影に引き込まれた。持ちこたえているのも時間の問題だろう。
「姫君を配下にすれば楽しかっただろうに、叶わぬか」
ずるずると王は槍が飛び出し影に引き込まれていく。
「で、姫君はこの化け物を止めれるのかね?」
「止める? 馬鹿な。せっかくの好機だ。逃す手はない」
「そうか。ではさらばだ」
ずるりと、死者の王は影の中へ飲みこまれていった。
王を飲みこんだ影の槍は吸血姫へとむけられた。
「そなたは約束を守ってくれるか?」
彼女はそういって自分の長得物を構える。それに対し影はゆらりと蠢くのみ。
「そうか、覚えてはいぬか」
理性などとうにないであろう影に彼女は悲しそうに言葉を紡ぐ。
「そなたは裏側を殺せる存在になれるやもしれぬ」
いつか語ったその言霊で影を戒める。
「だから今、妾を殺してたも」
最後の戦いの幕があがった。
* * *
「■■■■■■■■■■■■」
咆哮、と言って差し支えのない音が響く。
「天知らず」
高速の影の槍をすべてさばききる。今、彼女のギアは最大にまで上がっている。吸血姫の面目躍如というところか。
「闇も知らずと」
影の槍は先ほどまでとは比べ物にならないほど増えている。それをすべてさばく。
「いうものを」
余裕なのか、彼女は笑みを浮かべながら詩を詠う。
「恐れを知らぬ」
影の色が先刻より濃くなる。死者の王を飲みこんだ影響か。はっきりとした黒に染まっている。
「人が知りたり」
天も地獄の闇も知らないことを人が知っている、そう詠いながら彼女は長得物を手足の如く操る。
「■■■■■■■■■■■」
焦れているのか、王を相手取っていた時にはあげなかった咆哮のような音を響かせる。
「そろそろか」
彼女はそう言うと肉体を解いた。吸血鬼の能力の一つの霧化を使い、距離を開ける。
「悪いが、そなたにも死んでもらわねばならぬ」
一瞬、彼女を見失ったのか、影の動きが止まる。
「さて、問題よ」
彼女を見つけた影が動き出す。それに対し、彼女は一つの死体を持ち上げていた。
「この死んだはずの者が生き返れば、そなたはどうするかな」
「■■■■■■■■■■■」
何かを感じたのか、影は咆哮を響かせる。それと同時に影の槍を延ばす。
「答え合わせと行こうか」
それにかまわず、彼女はその死体に吸血鬼特有の歯を突き立てた。
* * *
「答えは妾の死だ」
腹部を突き破った影の槍はそこにもうない。
「お、お館様? わ、か、さ、ま?」
生き返ったのはあの副官だ。眷属化は死後一日までなら可能だった。
槍が腹部を貫いた直後に眷属化は終わり、生き返った副官を見た影がそのすべてを止めた。
影は人の形を取り戻しつつある。憎しみの一部が無理やり解除されたせいと、キャパシティーを越えていたせいだ。死者の王を取り込んだ影はその容量の大半を使い果たしていた。
それを呆然と見上げる副官。
「すまぬの、お主を吸血鬼にしてしまった。不死ではないがな」
腹部に穴が開いているというのに、彼女は堪えた様子もない。
「え? え? え?」
「なに、戦に勝ち、妾は賭けに勝っただけよ」
副官の戸惑いをよそに彼女は強制力のある言葉を紡ぐ。
「これより、お主に主人たる妾が命ず『若を支え続けよ』」
「あ、はい」
「それだけよ。嗚呼、これが死か。なるほど寒いものだ」
満足そうに彼女は呟いた。
「望みたる夢の懸け橋渡るには血で贖いし宝を捨てよ」
* * *
「うっ、……ここは?」
「ここは隠れ家の一つですよ、若様。お目覚めですか?」
「その声は……」
「そんな幽霊を見たような顔をしないでください。私、足ついてますよ」
「はは、そうか。で、どうなったのだ?」
「若様、落ち着いて聞いてくださいね。あれから……」
* * *
報われぬものも、報われたものも、その後を生きていく。
死んだところでその魂は輪廻の輪に返るだけ。
そう、いつかはめぐるのだ。
気が付いたら1万字に近かった。
拙作を最後までお読みいただきありがとうございました。