覚醒する牧場主
近藤の牧場は、一時期直営牧場の手法に強く依存していた。
安定した飼料供給、効率的な育成、回転重視の肥育。
数字は確かに合っていた。経営としては正解だった。
だが、心のどこかに重苦しい違和感が残っていた。
ある朝、近隣で口蹄疫が発生したという一報が入った。
ニュースに表示された牧場名を見た瞬間、胸の奥が冷えた。
幸い感染は広がらずに沈静化した。
それでも本部の態度は変わった。
赤外線カメラとAIによる牛舎の常時監視はすでに導入済みだ。
にもかかわらず、重点群以外も含めた全頭へのルーメンボーラス方式――
牛の胃内に常時監視センサーを入れる施策が一方的に通達された。
コストも現場負担も度外視した判断だった。
飼育計画の指示は遅れ細かな修正指示が増える。
現場の呼吸と上から降りてくる数字が噛み合わなくなっていった。
ある日の本部からの一方的なメールを見て近藤は吐き捨てた。
「……やってられるか」
その頃、飼料価格は安定し借金もほとんど返し終えていた。
同じ苦労をするなら自分のやり方で牛を育てたい。
近藤は決断する。
規模は追わない。
自分の目と手が届く範囲に縮小し品質で勝負する。
ブランド牛の生産者として生きる道を選んだ。
田中に飼料米を頼みおからの生産者も紹介してもらった。
米とおからを主体にした新しい飼育方法を試し失敗を重ねる。
ビール粕や酵母も使うようにした。
答えが見え始めるまでに五年かかった。
出来上がった肉は、
「甘さを抑えた、切れのある脂」
「赤身の旨味が強く、香りが控えめ」
と評価された。
ソースの邪魔をせず、料理の輪郭を壊さない。
近藤の牛は、都市圏の三ツ星レストランに納入されるようになった。
牧場の空気も変わった。
効率重視で張り詰めていた雰囲気は消え、牛と人の呼吸が戻る。
従業員も作業の意味を理解し、数字では測れない価値を意識し始めた。
時々、関係者を呼んですき焼きを囲む。
近藤はステーキの席では水しか口にしないが、
すき焼きのときだけはビールを開ける。
近藤は思う。
効率や数字に追われる日々ではもう満足できない。
夕暮れの牧場に立ち空を見上げる。
風に乗って子牛の鳴き声が届く。
「俺の道はこれだ」
餌袋を肩にかけ近藤は歩き出す。
数字では測れない価値を手で守る日々がここから始まった。




