大規模農家
田中の農地は、気づけば200ヘクタールに達していた。かつて50ヘクタールだった彼が、今や地域を代表する規模だ。
作付けはこうだった。
ななつぼし:10ヘクタール(趣味と意地で守るブランド米)
多用途米:90ヘクタール(飼料用にも加工用にも対応)
小麦:50ヘクタール(ラーメン用。地元チェーン店と契約済み)
大豆:50ヘクタール(豆乳用)
田中は、数字だけでなく作物の意味も考えるタイプだった。
「多用途米はどんな年でも売れる。小麦は固定客。大豆はリスクヘッジ」
毎朝田んぼを歩きながら独り言のように口にする。
泥に沈む長靴を踏みしめ、指で苗を撫でる。土の香りを嗅ぎ、葉先に触れ、成長を確かめるたびに微笑む。便利な機械や自動灌漑が導入されても、田中は手を抜かない。
「数字だけじゃ、農業は分からん」
その姿勢は、周囲の若手にも安心感と刺激を与えていた。
部下の直人は、若手農家として独立を目指していた。
「親父のやり方を受け継ぐだけじゃダメだと思うんだ」
自分の田んぼを持ち、作物も販路も自分で決めようとしている。田中は軽トラで現場を訪れ、土の状態を一緒に確認しながら苗を摘み、静かにアドバイスを送る。
「お前たちは俺たちより要領がいい。AIや企業に負けるなよ」
直人は少しずつ自信をつけるが、泥を嗅ぎ土を確かめる百姓の感覚は、今の世代では最後かもしれないと思う。
市場とのつながりも広がっていた。
地元スーパーや加工業者だけでなく、都市圏への直販や通販にも進出している。
多用途米は飼料用でも加工用でも需要が安定していた。
大豆は豆乳に加工される。
そのおからと、うちの米は近藤の牧場で牛たちが食べているはずだ。
俺たちも、ときどき試食会と称してすき焼きをやる。
米は持っていくが、肉は近藤持ちだ。
ビールは近所の醸造所。
あいつの牛は、ビール粕や酵母も使って育てているらしい。
それでも田中は作業の楽しさを忘れない。早朝、田んぼを回りながら空を見上げ、鳥の鳴き声に耳を澄ます。夕暮れ、収穫後の畦道で軽トラを停め、畑に沈む夕日を眺める。
「ななつぼしは10キロだけ送ってやる。残りはお前の好きな飼料米で勝手にやれ」
直人も来年から別の田んぼに移る。距離は30分だが、いつでも見に行ける。
田中の農場拡大は単なる規模の問題ではない。地域の食文化と市場をつなぐ仕組みであり、次世代農家を育てる教育の場でもある。そして何より、田中自身が農業を楽しむ姿勢を失わずにいることで、周囲に安心と希望を与えていた。




