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遠回り

夜。

マンションのリビング。

テレビはついているが、音は消されている。


真紀は、ダイニングテーブルに広げたパンフレットを見つめている。


《道立農業高校 学生募集 学科新設 新学生寮建設予定》


……農業高校。


この言葉を、

息子が口にしたとき、

一瞬、聞き間違いかと思った。


隣の部屋。

ドアの向こうから、微かにゲームの音。


真紀は、目を閉じる。


中学に入ってからだった。


「今日は休む」

「明日から行く」

「もう少ししたら」


そう言って、

そのまま一年が過ぎた。


玄関。

制服を着たまま、靴を履けずに座り込む息子。


「……無理」


その一言。


理由を聞いても、

最初は黙った。


そのうち、


「笑われる」

「机に落書きされる」

「いない方が楽」


そう言うようになった。


現実に戻る。


真紀は、パンフレットの写真を見る。


広い校舎。

畑。

実習風景。


……ここなら、

誰も、あの子のことを知らない。


夕方。


息子の翔が、リビングに入ってくる。


「……やっぱ、行きたい」


「……本当に?遠いわよ」


「うん」


普通の高校に行って。

普通に部活して。

普通に友達作って。


……それが、普通だと思ってた。


でも。


“普通”が、

この子を壊した。


翌日。

説明会のオンライン配信。


「道外からの入寮も可能です」

「農業体験から入る生徒もいます」


真紀は、画面を見ながら、

息子の顔を思い浮かべる。


土に触る手。

黙々と作業する姿。


……合うかもしれない。


夜。


息子の部屋の前。


真紀は、ノックしようとして、やめる。

深呼吸。


ドアを開ける。


「……遠いよ」


「うん」


「友達、いないかもしれないよ」


「……今もいない」


真紀は、言葉に詰まる。


「でも、ここにいたら、

俺、“いなかったこと”のままだから」


その言葉が、胸に刺さる。


……行かせる、じゃない。


“戻らせる”んだ。


真紀は、スマホを開く。


中学校時代の担任に電話しようとする。


指が震える。


失敗したら?

また傷ついたら?


……それでも。


ここに置いておく方が、

もっと残酷だ。


半年後。


北海道駅のホーム。


駅前なのに何もない。


翔は、少し不安そうに立っている。


真紀は、その横に立つ。


遠回りでいい。


誰よりも、遠回りでいい。



真紀は、小さく息を吸う。


……この子は、

やっと「行きたい」と言った。


それだけで、

もう十分じゃないか。

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