A3
近藤の養牛場は音が少なくなっていた。
以前は給餌の時間になると牛が一斉に動き、金属音と息づかいで場が満ちていた。
今はその反応が鈍い。
餌は減らしていない。
だが中身が変わった。
輸入飼料の値段がじわじわと効いてきている。
最初は我慢で済んだ。
次は帳尻合わせになった。
今は計算が合わない。
トウモロコシ。
大豆粕。
どれも前年の感覚では語れない価格だ。
肉の相場は上がっている。
だが追いつかない。
(おかしいな)
そう思ったときにはもう遅い段階に入っていた。
帳簿を閉じた午後事務所に車が入ってきた。
見慣れないナンバー。
降りてきた男を見て近藤は眉をひそめた。
「……あんたか」
田中のところでたまに顔を合わせる浦木と知らない男だった。
スーツ姿だが靴は泥を気にしないタイプだ。
「突然すみません」
そう言いながら浦木達は場内を一通り見た。
牛を見る。
餌を見る。
設備を見る。
言葉は少ない。
事務所に入ると、知らない男が資料を出した。
「大手スーパーの契約牧場、準直営牧場の説明です」
近藤は鼻で息を吐いた。
「俺をなめてるのか?」
「まず話を聞いてください」
短い返答だった。
飼料高騰への対応。
一時的なつなぎではない。
条件付きだが確実に効く設計。
勝十式肥育法。
正確にはその派生形。
勝十のライバル系列が進めている契約牧場制度だった。
「A3止まり?」
近藤の声が低くなる。
「霜降りを捨てろって言うのか」
「捨てるわけじゃない。狙わないだけです」
男は淡々と説明する。
肥育期間を短くし、粉砕米、生のおからを使った安くて太る餌で歩留まりを安定させる。
A5は作らない。
代わりに回転を取る。
「家庭用と焼肉屋。庶民のごちそうです」
近藤は机に肘をついた。
A4。A5。
それを作ってきた。
それが自分の仕事だった。
「……面白くねえな」
「ええ」
男は否定しない。
「ですが続きます」
沈黙。
外で牛が鳴いた。
「契約は?」
「単年更新。
縛りは弱い。
やめる自由もあります」
近藤はしばらく黙っていた。
誇りが邪魔をする。
だが誇りだけでは牛は太らない。
背に腹は代えられない。
それを口に出さなくても分かる段階だった。
「……試験で何頭だ」
「まずは三十頭」
近藤は、ゆっくりうなずいた。
「全部は無理だ」
「それでいい」
男は立ち上がった。
「A5を作れる人が、A3を作る。
それだけで価値があります」
車が出ていく。
近藤は牛舎に戻った。
牛は、何も知らずにこちらを見る。
(折れたわけじゃない)
そう思いたかった。
だが本当は分かっている。
これは敗北じゃない。
生き残り方を変えただけだ。
春はもうすぐだ。
その春は以前とは少し違う匂いがしていた。




