特区の農場予定地
翌日。事務所。昼前。
田中は机に肘をつき、ノートPCを睨みつけている。
画面には「農地高度集約特区 指定区域一覧」。
色分けされた地図。補助率、優遇内容、実証事業の文字。
スクロール。クリック。PDF。
またスクロール。
田中の眉間に皺が寄る。
……待て。
プリントアウトした資料を机に叩きつける。
「譲渡手数料ゼロ」
「圃場再編・区画整理 国費負担」
声が漏れる。
……は?
椅子に深く座り直す。
……おい。
スマホを取り、検索を重ねる。
自治体の説明会動画。
農水省の資料。
コンサルの解説記事。
どうやら、事実らしい。
田中、机を軽く叩く。
……ふざけてんのか。
大型乾燥施設の前。夕方。
コンバインの音が遠く、風が稲わらを揺らしている。
田中は腕を組み、施設を見上げている。
……つまりだ。
独り言。
遊んでる田んぼ、タダでもらって。
使いやすいように分け直して。
水路も直して、道もつけて。
で、費用は国持ち?
鼻で笑う。
なんだそれ。
俺らは何だ。
ずっと自腹で。
ずっと借金で。
ずっと「工夫」で。
ずっと「努力」で。
……で、今さら「特区」?
エンジン音。
直人が軽トラで戻ってくる。
「親方」
田中は振り向かない。
「なに」
「その特区の話……うちの隣町、指定されたらしいです」
田中、ゆっくり振り向く。
「……は?」
「駅の向こう。山沿いのとこです」
……あそこ、
用水も死んでて、
区画もぐちゃぐちゃで、
誰も手を出さなかったとこだ。
田中、短く頷く。
「だから実証地区に最適だって」
田中、地面を蹴る。
最適?
最適ってなんだ。
……苦労してない場所が、
“モデルケース”になるってか。
風が吹く。
稲わらが舞う。
田中、低い声。
……俺らは、
“失敗例”か?
直人、言葉に詰まる。
「親方……」
田中、手で制する。
いや、違う。
違うな。
少し考える。
……俺が腹立ってんのは、ズルいからじゃない。
顔を上げる。
説明が、ない。
俺らが何十年もやってきたことを
「非効率でした」
「旧来型でした」
って。
で、次の世代には全部セットで用意?
税金で?
……順番が違うだろ。
仮設の看板。「農地高度集約モデル地区」
元果樹園だったらしい更地。
雑草が腰の高さまで伸びている。
赤い杭。測量用の紐。
田中、腕を組む。
……なるほどな。
しゃがみ、土を掴む。指で崩す。
……この土、軽すぎる。
直人「え?」
「水、持たねえ。作れる作物、限られる」
立ち上がり、周囲を見る。
田中、杭を蹴る。
……ここ、米作る前提じゃない。
直人「え?」
田中、資料を開く。
「飼料イネ」「雑穀」「放牧」
「3年に一度作付けで可」
顔を上げる。
つまり、ここは最初から――
低い声。
“なんちゃって畑”。
生産を目的にしない場所だ。
直人「……それって、何のために……」
田中、睨む。
「これは農業じゃねえ。草刈り代わりのインフラだ」
風が吹く。
田中、遠くを見る。
……これ、
“救済”じゃない。
“置き換え”だ。
直人「……置き換え、って……?」
田中は少し考え、答える。
「“農業”を残す気はねえんだよ、これ」
夜。事務所。
蛍光灯が一つだけ点いている。
田中は机に座り、PCを見ている。
【既存の大規模農家への影響】
→「市場原理に委ねられます」
田中、鼻で笑う。
「委ねられます、だと……」
【競争環境の変化について】
→「過度な影響は想定していません」
マウスを強く握る。
「“想定してない”で済むなら、誰も苦労しねえ」
【モデル地区の成果】
→「遊休地率改善」「苦情件数減少」「景観評価向上」
生産量の項目がない。
田中、目を細める。
「……やっぱりだ」
そこへ直人が入る。
「親方、もう帰らないんですか」
「……なあ、直人」
「はい」
「農業って何だ」
直人、少し考える。
「……作ること、ですか」
田中「違う」
首を振る。
「“作らされ続けること”だ」
沈黙。
「天気に。市場に。借金に。規格に。消費者に」
一つずつ。
「逃げ場がないことだ」
田中、画面を閉じる。
「この制度はな、“逃げ場”を作る制度だ」
直人「……いいことじゃ……」
田中「“本気のやつ”を、置いてく」
翌朝。田んぼのあぜ道。朝靄。
田中は軽トラを止め、外に出る。
不揃いな区画。
古い用水。
継ぎ足しだらけの畦。
それでも、稲は揃っている。
田中、呟く。
「……こっちの方が、よっぽどモデルだろ」
スマホが鳴る。
斎藤だ。
「……おう」
斎藤『見たか。資料』
「見た」
斎藤『で?』
田中、少し黙る。
「……あんたら、最初から俺たちを入れる気、なかったろ」
斎藤『……』
沈黙。
それが答えだった。
田中、笑う。
「なあ、斎藤」
斎藤『何だ』
「この制度、俺たちが“邪魔”だろ」
斎藤『……邪魔じゃない』
「邪魔だ」
きっぱり。
「だって、証明しちまうからな」
斎藤『何を』
田中、田んぼを見る。
「補助がなくても、
集約がなくても、
紙の上の“最適化”がなくても――」
「農業は成立するって」
斎藤『……道議の先生の話を聞いてくれないか』




