第五話 ー気づかぬ強さ”と“海の底の声”ー
いよいよ小学生。彼の登場です。少しだけ前に進むのかなぁ。
康一が小学校に上がった頃、家の暮らしは相変わらず楽ではなかった。
けれど、康一は気にしていない。
いや、気づいていないと言った方が近い。
朝は新聞配達。
学校が終われば海へ向かい、テトラポットの隙間に引っかかったテグスを拾い、市場でもらった雑魚を餌にして釣りをする。
釣り竿は自作。
リールは壊れかけ。
でも、康一の手にかかれば、どんな道具でも魚は寄ってきた。
「こうちゃん、また釣れとるんか。ほんま器用な子やな」
市場のおばちゃんは笑って頭を撫でる。
康一は照れくさそうに笑う。
「家で食べる分だけでええんや。売るほどはいらんで」
その言葉に、おばちゃんは胸がきゅっとなる。
―この子は、ほんまに気づいてへんのやな。
学校では、康一のぼんやりした優しさが、時にからかわれる原因になった。
ランドセルを隠されても、「どこ置いたんやろ」と本気で探す。
机に落書きをされても、「誰か間違えて描いたんかな」と笑う。
それがまた、子どもたちの“いたずら心”を刺激してしまう。
けれど康一は、誰かを恨むことも、悲しむこともなかった。
胸の奥に、いつも“黄金色の気配”があるからだ。
――大丈夫や。
――見ているで。
じいちゃんの声のような、もっと古い誰かの声のような、温かいものが、いつも康一を包んでいた。
順はそんな康一を見て、何度も歯を食いしばった。
「……康一、なんで怒らんのや。なんで泣かんのや……」
康一は首をかしげる。
「怒るほどのこと、あったか……?」
順は言葉を失う。
――この子は、ほんまに“強い”んや。
そう思った。
■海──
その日も、康一は海へ向かった。
夕暮れの潮風は冷たく、テトラポットの影が長く伸びている。
「今日はアジ、釣れるかなぁ……」
鼻歌まじりにテグスを結び直し、餌の雑魚をつける。
海は静かだった。
けれど、どこか“ざわついて”もいた。
波の音の奥に、かすかな声が混じっている。
―おいで。
康一は首をかしげる。
「……じいちゃん?」
違う。
もっと深く、もっと古い声。
―おいで。
―あなたは、もう知っているでしょう。
胸の奥が、黄金色に揺れた。
その瞬間、足元のテトラポットが濡れて滑った。
「あっ……」
視界が傾き、空と海が反転する。
冷たい水が近づく。
風の音が遠ざかる。
けれど康一は、不思議と怖くなかった。
――ああ、またどっかへやん。
そんな感覚だけがあった。
意識がふっと軽くなる。
海の底から、白金色の光がゆらりと浮かび上がる。
―康一。
―あなたは“巡り人”の子。
その声を聞いた瞬間、
康一の意識は、静かに、深く沈んでいった。
■海の底──
意識が沈んでいく。「また変な夢か」海の冷たさは感じない。
ただ、光と闇がゆっくりと入れ替わるような、不思議な静けさだけがあった。
康一。
呼ばれた気がして、目を開ける。
そこは海ではなかった。
砂も水もなく、ただ果てしない“青黒い空間”が広がっている。
遠くに、巨大な影が立っていた。
人の形をしている。
だが、普通の人ではない。
その影が、ゆっくりと近づいてくる。
「……誰なんや……?」
康一の声は震えていない。
怖さよりも、“知っている気がする”感覚が勝っていた。
影が光の中へ入る。
そこにいたのは。
黒い衣をまとい、鋭い眼光を持つ男。
体全体を被う漆黒の乾いた力強い黒。嫌な感じはしない。
その背後には、無数の兵の影が揺れている。
男は康一を見下ろし、低く、響く声で言った。
「小さき巡り人よ。よくぞここまで来た」
康一は息を呑む。
「……あんた、誰なん……?」
男はゆっくりと名乗った。
「余は、嬴政。後に“始皇帝”と呼ばれる者だ」
康一の胸の奥で、黄金色が強く脈打つ。
「……なんで、俺の前に……?」
始皇帝は目を細める。
「お前の中にある“光”が、余を呼んだ。
巡り人の力は、時を越え、魂を越え、必要とする者を繋ぐ」
康一は理解できない。
けれど、胸の奥の光が言っている。
この人は、敵ではない。
始皇帝は続けた。
「余もまた、かつて“声”を聞いた。
国をまとめるため、争いを終わらせるため、人の世を越えた力に触れた」
康一は目を見開く。
「……あんたも、めぐり人なんか……?」
始皇帝は首を振る。
「違う。余は“選ばれなかった者”だ。
だが、光の気配を知っている。
だからこそ分かる」
そして、康一をまっすぐ見つめた。
「お前は、強い。
だが、その強さに気づいていない。
それが、いずれ大きな試練を呼ぶ」
康一は黙って聞く。
始皇帝は続けた。
「覚えておけ。
“優しさ”は時に、最も残酷な武器となる」
康一は胸が痛くなる。
「……俺、誰も傷つけたない……」
始皇帝は微かに笑った。
「だからこそ、お前は巡り人なのだ」
その瞬間、空間が揺れた。
遠くから、美里の声が聞こえる。
康一!戻ってきなさい!
光が差し込み、始皇帝の姿が薄れていく。
「待って!まだ聞きたいこと……!」
始皇帝は最後に言った。
「いずれまた会おう。“光の子”よ」
そして、世界が白く弾けた。
現実にもどされた。
三日月が微笑んでいるように見えた。
康一の鈍感力。これが原点です。




