第四十四話 ー自分の足で立つという事ー
1月下旬の土曜日の早朝。
この日は仕事が休みだが康一は上里建設の車庫で、自分に預けられたトラックの日常点検をしていた。
そこへ、いいリズムの走る足音と共に一人の影が近づいてきた。
「……康一! 朝の早よから車いじりか。相変わらずやな」
ジャージ姿で汗を光らせた順が、呼吸を整えながら横に並んだ。
彼女の目には、インターハイ予選で負けた時の涙はもうない。
あるのは、約1ヶ月後に控えた消防士採用試験を見据えた、鋭い闘志だけだった。
「順こそ、部活も終わったのになんでそこまで追い込んどるん?。1月から走り込みなんて、お前ぐらいやじょ」
康一がからかうように言うと、順は自分の少し逞しくなった腕を見つめて不敵に笑う。
「部活が終わったからこそ、休んどる暇はないんさ。私はあの日、マウンドで決めたんやで。この腕で人を助けるってさ。……康一、あんたこそ。そのトラック、ちゃんと乗りこなせとるんかい? 鎌田さんに泣きついとるんじゃないん?」
「……フン、見とけよ!今度、これで初めて荷坂を越えて津まで行くんさ。社長の『投資』、無駄にはせんのさ」
康一は、免許証が入った財布をパチンと叩いた。
二人の間を、冷たい海風が吹き抜ける。かつて砂場で遊び、同じ教室で学び、特急のホームで未来を語り合った幼馴染。
「康一。消防士と土建屋……どっちが先に一人前になるか、勝負やな」
「おう。負けんじょ、順。それと土建屋ちゃあう、総合建設業やじょ」
「どっちでもあんま、変わらへんわ。ほんじゃあな」
笑いながら二人は言葉少なげに拳を合わせ、それぞれの「現場」へと戻っていった。
その夜、佐藤家の居間。
冬の間、首を振るのを止めた扇風機が、月明かりに照らされて静かに佇んでいた。
「さっき、順ちゃんが走っとるの見えたよ。あの子、本当にええ顔になったね」
美里が、温かいお茶を康一の前に置いた。
「ああ。あいつが頑張っとるのを見ると、俺もちゃあんとやらなあかんと思うわ」
康一は、机の上に広げた地図の「荷坂峠」の急カーブを指でなぞる。
順の吐いていた白い息、アスファルトを叩く力強い足音。それが、これから挑む冬の峠道への、何よりの追い風になるような気がしていた。
来週の天気予報ではこの冬一番の寒さ、雪がちらつくとの事。
温暖なこの地域では滅多にない天気に、いつも"のほほん"としている康一が少し気にかけていた。
『今度は絶対に一人でやり切るじょ』
初めてのちょっとだけの遠出を任されて、期待に胸を膨らませていた。




