第四十二話 ー 最後の一球 ー
17歳で迎えたあの「汽車」での別れから10ヶ月。康一は現場で一回り逞しくなり、順は最後のインターハイ予選へとすべてを懸けていた。
海鷲高校、女子ソフトボール部。
エースの順にとって、それは三年間、いや、康一達と泥だらけで遊んでいた子供の頃からの集大成となるマウンドだった。
場所は、康一が後に「全部ここに固まりすぎやろ」とぼやくことになる、津の球場。
スタンドには、仕事を中抜けして駆けつけた康一と、上里建設の三銃士——鎌田、誠、松井の姿があった。彼らは康一を通じて順の頑張りを知っており、自分の娘の試合を見るような顔でバックネット裏に陣取っていた。
決勝の相手は、県内屈指でインターハイの常連。松阪の強豪。
ライトスタンドには、大勢の観客と声援、ブラスバンドの音が鳴り響いていた。
順の速球は冴え渡り、最終回までスコアボードには「0」が並んでいた。
しかし、連投による右腕の疲労は限界に達していた。マウンドで一瞬、順が右腕を回す仕草を康一は見逃さなかった。
(順……無理すんなれ。……ちゃあうな、お前は最後まで投げるんやにゃ)
最終回である七回裏、二死二、三塁。
スリーボール、ツーストライク。
一打サヨナラの絶体絶命のピンチ。
球場全体は静まり返り、否が応でも緊張が高まっていた。
順は、マウンドの土を強く蹴り、真っ向勝負を挑んだ。
「こんかれ!!」
順の叫びと共に放たれた豪速球。それは彼女の人生で最も速く、そして最も残酷な一球となった。
振り遅れた金属バットの鋭い金属音が響き、白球は無情にも一二塁間を真っ二つに破っていった。
サヨナラ負け。
順の夏が、そして5人で駆け抜けた青春の一幕が、幕を閉じた。
試合後、球場の裏手。
順は、ベンチから離れた場所で、壁に頭を押し当てて肩を震わせていた。
そこへ、泥のついた作業着のまま、康一が歩み寄っていく。
「……順。あの一球ええ球やったわ」
順は振り返った。目は真っ赤に腫れ、ユニフォームはスライディングと汗で泥まみれだった。
「康一……。私、負けた。みんなを……東京の法規や、津におる悟たちを、インターハイに招待しぃたかったのに。私のせいで、みんなの夏が終わってしもたなぁ……」
「いいやっちゃ、終わってないじょ。お前の投げた球、俺は一生忘れんじょ。皆に確りと伝えるでな」
康一は、日焼けして逞しくなった自分の左拳を、順の胸の前に出した。
「お前のその右腕は、負けるためにあるんじゃないやん。……なあ、順。お前、言うとったよな。人を助けたいって」
順は、康一のゴツゴツとした、大きな拳を見つめ、右拳を合わせた。
「……うん。私、消防士になったるで。この右腕で、次は負けずに人を助ける。絶対、試験に受かってみせるわ」
順の瞳に、負けた悔しさとは違う、新しい「火」が灯った瞬間だった。
透明感のある澄んだ色をしていた。
海鷲へと帰る上里建設のピックアップトラックの後部座席。
(法規も、悟も、拓馬も、そして順も。みんな、自分の足で『次』へ向かっとる)
康一は、自分の作業着のポケットの中で、拳を握りしめました。
17歳の終わりが見えてきた。
自分も、いつまでも「助手」でいるわけにはいかない。
夕闇に包まれる車窓を眺めながら、康一は順の涙と、その後の力強い言葉を反芻していた。




