第三十一話 ー歴史の狭間の出来事ー
康一達は2年生となり、社会は日本史を習っていた。
日吉丸については『太閤記』家康は『徳川家康』エイセイは春秋戦国時代の『史記』でそれぞれ読み終えた。
卑弥呼・伊弉冉尊・伊弉諾尊については調べれていない。
そして秋。康一の「光沢のある黄金色」が、肉体の成長という限界を突破しようとした瞬間の出来事だった。
体育の授業での100メートル走。
康一は風を感じていた。
法規から教わった効率的な足運びと、日吉丸譲りの野生的な推進力。それらが完璧に噛み合い、自己ベストを大幅に更新する確信があった。
しかし、ゴールまであと数メートルというところで、康一の強靭な筋力が、まだ成長途中の骨盤を内側から引きちぎった。
「ポキッ」
乾いた音が響き、激痛が走る暇もなく視界が真っ白に染まる。「ああ、またかぁ」遠のく意識の中で、拓馬が叫ぶ声と、駆け寄る先生の足音が、波の音へと変わっていった。
七里御浜、漂着の記憶
次に康一が目を開けたとき、そこは中学校の校庭ではなく、広大な砂利が続く熊野の浜だった。
目の前には、荒波に揉まれ、満身創痍で打ち上げられた巨大な木造船。
それを囲むのは、顔立ちが現代の海鷲の住人たちによく似た、けれど殺気立った表情の村人たちであった。
彼らの手には、鋭く研がれた槍や使い古された斧が握られている。
「……なんや、あれ」
康一の視線の先には、これまでの人生で見たこともない風変わりな異国の人々がいる。
燃えるような赤毛を頭上で2つに束ね、赤い目をした5人の人達。
月の光のようなシルバーヘアーを後ろに束ね澄んだ青い目の5人の人達。
麦わらのような金髪を冠のように編み上げ曇り空のようなグレーの目の5人の人達。
言葉も通じぬ異国の人々に、村人たちは「バケモノか、あるいは神か」という、理解を超えた存在への根源的な恐怖を募らせていました。今にも誰かが槍を突き出し、惨劇が始まりそうな一触即発の空気。
お互いに言葉が通じないが、相手の動揺が見て取れた。
そんな両者の間に、ただ一人、背を向けて立っている人物がいた。
その人は、ボロボロではあるものの白衣のような清潔な衣を纏い、黒髪に白髪が混じった落ち着いた後ろ姿を見せていた。
異国の人々は、その白衣の人物を頼みの綱であるかのように見つめ、村人たちはその人物の威厳に気圧され、手が出せずにいた。
白衣の人物が振り返る。その目は、康一が知る誰よりも深く、世界の理を知り尽くしているような光を湛えてる。
「見た目が違う、言葉が通じない。それだけで殺してまったら、この国に新しい知恵は一生入って来ない。いいですか、この人たちは運悪くここで座礁しましたが、海の向こうから『命』を運んできたんです」
康一には、通じるその言葉を聞いてハッとして呟いた。
「まじかっ!なんで通じるん?!」
驚きながらもその言葉は、家康が言った「ばらけさせて配置する」という思想。それが、人種や国境さえも超えた大きなスケールで目の前に現れたような気がしたからだ。
康一は痛む腰を引きずりながら、砂浜を一歩踏み出した。
「……あんたら、誰なん?」
剥離骨折の激痛とともに康一がダイブしたのは、日本史の教科書にも載っていない、海鷲の隣にある熊野の真実の黎明期でした。西暦600年七里御浜の邂逅
波打ち際に立つ、白衣の男。この船の船医 ガリバー・スイフトだ。
「……君は、わたしの言葉がわかるのか」
スイフトが驚いたように康一を見ます。康一には、彼らが話す異国の言葉が、なぜか「心の色」として直接頭に飛び込んできた。
村人たちが槍を構え、「異形の化け物め!」と叫び声を上げます。康一は折れた腰の痛みも忘れ、村人たちの前に立ちはだかった。
「待って! 槍を下げてほしい! この人らぁ敵じゃない! 遠い海を渡って、新しい知恵を運んできたんやで!」
康一の必死の通訳に、村人たちは毒気を抜かれたように動きを止めました。康一はスイフトの言葉を借りて、3つの家族を紹介し始めます。
赤毛のオニール家(O'Neil)
力強く、情熱的な瞳を持つ一族。「オニール」という響きが、当時の村人の耳には『オニ』と聞こえた。
彼らはその屈強な体躯で岩を砕き、この地に力強い守り神としての「鬼」の伝承を残すことになる。
ちなみに、幼い兄妹のミッキーとクッキーは、のちにこの地方の地名(九鬼や三木など)の由来となった。
銀髪のカミュー家(Camu)
透き通るような肌と、静謐な佇まい。彼らの名は、村人たちに『カミ』と聞き取られました。彼らが持ち込んだ高度な衛生概念や医術は、人知を超えた業として「神」の如く崇められるようになる。
金髪のクリステングッド家(Christengood)
彼らはペルシャ地方の貴族であり、贅を尽くした衣服を纏った。特に目を引いたのが、泥を避けるための高い踵。その奇妙な足元を見た村人は、彼らを「天に届くほど背の高い一族」……『テング』と呼んだ。
後にそのハイヒールは、険しい山道を歩くための「一本下駄」へと呼び方を変わり、天狗の象徴となった。
彼らは交易の途中で乗り合わせ次の土地を求めてここに辿り着き、座礁したのであった。
「クリステングッド……クリス……栗栖か!」
康一は叫びました。美里の実家である栗栖家のルーツが、この1400年前の貴族にあったことに気づいた。
スイフトは混じり気のない薄い青だ。誠実そうに見える。
そして康一の肩を叩き、静かに言った。
「いいですか、康一。私達はバイキングが暴れ回るよりずっと前、海を繋いで知恵を交換するためにここへ来た。異なる色、異なる言葉。それを『恐れ』ではなく『宝』としてばらけさせる。それがこの地の始まりなんだ」
康一は、砂浜に並ぶ赤、銀、金の家族を見つめた。
骨折の激痛がもたらした、西暦600年の奇跡。
康一が七里御浜の浜で立ち上がり、村人とスイフト一行の間に割って入ったことで、張り詰めた緊張の糸が、温かな「火」の色に溶け始めた。
焚き火を囲む「異文化交流」
「みんな、落ち着いて聞いてくれ! この人らは神様や鬼やないで、海を越えてきた『人間』やで!」
康一の必死の通訳と、スイフトが差し出した見たこともない光沢の医療器具、そして何よりスイフト一行が持ち合わせた「礼節」に、村人たちは少しずつ武器を置きました。
その夜、熊野の大きな岩屋——のちに「鬼ヶ城」と呼ばれることになる場所の前で、大きな焚き火が焚かれました。
「ほれ、これ食うてみ。干物や!」
村人たちが差し出したのは、塩を振ったばかりの魚。オニール家のミッキーとクッキーが恐る恐る口に運び、「デリシャス!」と叫ぶと、村人たちからもどっと笑いが起きました。
焚き火の明かりに照らされながら、康一はスイフトと語り合います。
「スイフトさん、この家族らはこれから帰っていくんやり?」
「いいですか、康一。彼らはこれからこの豊かな熊野の山へ入る。クリステングッド家は高い山へ登り、のちの『本宮』の礎を築くだろう。カミュー家は清らかな滝を求めて『那智』へ。オニール家はこの荒々しい海を守るために『速玉』へとばらけていくんです。」
「ふーん。そういうことなんやな。」
康一は、のちの「熊野三山」のルーツが、この異国の家族たちの知恵と地元の人の融和から始まることを理解していた。
その時、焚き火の向こう側から、ひときわ豪華な勾玉の首飾りを揺らし、白い衣を纏った一人の少女が歩いてきました。
「……ふん。何よ、その珍妙な格好の者たちは」
彼女は、400年ほど前から巡って来た若き巫女。
のちに邪馬台国の伝承と混ざり合うことになる、かのツンデレ女王。卑弥呼でした。
「ひみちゃん! この人らは海の向こうから……」
康一が説明しようとすると、彼女はぷいっと顔を背けた。
「うるさいわね! どこの馬の骨かも分からない者に、この神聖な熊野を歩かせるわけにはいかないわ! ……でも、まぁ。その銀髪の家族が持ってる『薬』っていうのは、少しだけ興味がなくもないけれど。……あ、勘違いしないでよね! 民が風邪をひいてうるさいから、仕方なく見てあげるだけなんだから!」
康一は思わず苦笑いする。
「(……やっぱこの人、相変わらずツンデレやん。でもさすがやな、もう受け入れとるな。)」
卑弥呼は、カミュー家の青い瞳をまじまじと見つめ、「……綺麗な色ね。悔しいけど」と小さく呟くと、自分の大切な干し肉をスイフトに突き出す。
「ほら、これ食べなさいよ。お腹空かせて倒れられたら、縁起が悪いんだから!」
聖徳太子が「和を以て貴しとなす」と説く100年程前。
ここ熊野では、康一という媒介を通して、言葉も人種も超えた「和」が、焚き火の周りで自然に形作られていた。
一本下駄を履いてダンスを披露するクリステングッド家。その背の高さに驚きながらも、一緒に踊り出す村人たち。
「そういえば、熊野の人らぁ優しい人多いでって誰かいうとったなぁ。この光景、ええなぁ……」
康一は、遠目で焚き火の温かさを全身で感じていました。
そこに、クリステングッドさんが、大きな体でゆっくり歩いてきた。
「康一よ。我々はこの勇壮な山々の真ん中にこの国の拠り所をつくろうと思っている。この国の人たちの傷ついた心の拠り所だ。」
スイフトさんもやって来て、黒髪の混じった白髪をかき上げながら言いった。
「君が橋渡しをしたこの夜が、1400年後の寂れた町を、そして日本を救うことになるんだよ。……覚えておくといい。異なるものを受け入れる寛容さが、真の『世界の中心』を作るんですよ」
夢の終わり、現実の目覚め
「……ん……」
康一が目を覚ますと、そこは病院のベッドの上だった。
腰にはズキズキとした痛みがあるが、不思議と心は晴れやかだった。
傍らには、心配そうな顔をした美里と、仲間たちがいました。
「康一! 気がついた!?」
「……母ちゃん。俺、見たんや。海鷲の、本当の始まりを」
康一は、窓の外に見える山々を見つめました。
あそこには、一本下駄で山を駆け抜けたクリステングッドの風が、病を癒したカミューの慈愛が、そして不器用ながらも彼らを受け入れた卑弥呼の意志が、今も流れている。
「……リハビリ、頑張らなあかんな。俺も、あの人らに負けんように、この町の礎にならんと」
剥離骨折という大きな怪我。けれど康一の魂は、1400年の時を超えた旅を経て、かつてないほど強靭に、そして優しく、海鷲の土に根ざそうとしている。
彼らはのちに山へ、谷へ、島へと「ばらけて」いき、それぞれの場所で日本独自の「鬼・神・天狗」という形に姿を変え、この土地の守護者となったのだ。
康一は、自分の腰の激痛を感じながらも、窓の外に広がる海鷲の深い山々を見つめた。
あの山の奥に、今もクリステングッドの末裔や、オニールの魂が息づいている。
「……そうか。ここは元から、世界と繋がっとったんや」
骨折という試練の中で、康一は「海鷲が世界の中心と思とったのは歴史的に見てもあながち間違いじゃなかったかもしれんな」と感慨深く感じるのであった。
翌日、康一は新聞配達は休み、松葉杖で学校に行った。
松葉杖を突きながら、廊下をゆっくりと進む康一。
休み時間の教室の隅で、法規はいつものように分厚い本を広げていましたが、康一の姿を見るなり、眼鏡のブリッジをクイと押し上げた。
「康一君、剥離骨折で松葉杖とは非効率な移動手段だ。おとなしく寝ていればいいものを」
康一は苦笑いしながら法規の隣に座り、「なぁ、法規。ちょっと、例えばの話なんやけどな……」と、昨日見た「夢」の話を始めた。
西暦600年の砂浜、船医スイフト、赤髪のオニール、銀髪のカミュー、そして一本下駄のクリステングッド。さらには、ツンデレな若き巫女・卑弥呼のことまで。
康一が話し終えると、法規は数秒間、完全に静止した。
「ん?……康一君、君の脳内は、剥離骨折のショックで『超弦理論』的な多重構造でも形成したのかね?」
法規はそう言いながらも、手元のノートを猛烈な勢いでめくり、ペンを走らせ、すごい勢いで話し始めた。
「いいかね。まず言語学的な観点から言えば、『オニール』が『オニ(鬼)』、『カミュー』が『カミ(神)』という変換は、音韻変化の法則として極めて合理的なロジックだ。それに、その『スイフト』という船医……。18世紀の作家ジョナサン・スイフトは、確かにアングロ・アイリッシュの系譜だが、その祖先がさらに古い時代に東洋を目指したという仮説は、学会を震撼させるほどにロマンチックで論理的だ」
法規の目が、いつになく興奮でギラついている。
「さらに興味深いのは『クリステングッド』と『一本下駄』だ。西洋のハイヒールは元々、泥濘から服を汚さないための実用品。それが日本の険しい修験の山で一本下駄へと昇華された……。なるほど、天狗が山を自在に駆けるのは、彼らが元々、険しい地形を克服する技術を持っていたからだ、というわけか」
法規は一旦ペンを止め、康一をじっと見つめた。
「……卑弥呼がツンデレだったという部分は、君の多分に主観的なバイアスがかかっている気がするが、それを差し引いても興味深い。康一君、君の話したことは単なる夢ではないかもしれない」
康一はあまりにも多い情報量とまくし立てる早口に困惑して「え、どういうことや?」と聞く。
「集団的無意識の表層化、あるいは……この海鷲の土壌に刻まれた『場所の記憶』だ。君は新聞配達でこの町を隅々まで走り、誰よりもこの地の振動を受け取ってきた。その感性が、怪我という極限状態で1400年前の周波数に同調した、と考えれば……」
法規はフッと不敵に笑う。
「面白い。君が見たその『礎』が事実なら、熊野三山は元々、多国籍な知恵の集積所だったということになる。これは僕らが考えている『世界の中心』という概念を、歴史的に裏付ける強力なエビデンスだ」
法規はノートを閉じ、康一の松葉杖を指差す。
「康一君。その足は不自由だが、君の視座は今や中学生の域を完全に超えている。いいか、その夢に出てきた家族たちの名前、絶対に忘れるんじゃあないよ。僕の推察が正しければ、この町の旧家や地名の奥底には、今も彼らの『青い目』や『赤い髪』の記憶が眠っているはずだ」
康一は、法規のあまりの熱量に圧倒されながらも、『やっぱり法規に話してよかったわ』と、心の中でスイフトたちにガッツポーズを送ったのだった。
これにて第二章は終わりです。いろんな方に応援と励ましをいただきながら、やってこれました。
ご指摘、ご感想お待ちしています。




