第二十八話 ー海鷲の奇跡 雨上がりのインフィニティー
イベント終盤、空の様子が急変した。
美奈江が東京の友人やメディア関係者に声をかけていたおかげで、会場には多くのカメラや記者が陣取っていたが、彼らも見たことがないような巨大な、墨を流したような黒い入道雲が町を飲み込み始めた。
「……来るぞ! 海鷲の雨や!」
康一が叫ぶのとほぼ同時に、滝のような豪雨が降り注いだ。
日本有数の雨の町、その本領発揮であった。
軒先、バス停、古い集会所。参加者たちは慌てて近くの屋根の下へと逃げ込んだ。
「うわっ、すごい雨!」「これじゃ動けませんね」
最初は困惑していた都会の人も、地元の人も、狭い雨宿りの場所で肩を寄せ合う。
「これ、いつものことやでな。まあこれでもたべえぃ」
地元のおばあちゃんが、準備していためはり寿司を都会の記者に手渡す。
雨の音に包まれながら、知らない者同士がいつの間にか笑い合い、海鷲の「時間」を共有し自然と繋がりを感じ始めていた。
やがて、嘘のように雨が上がった。
夕日が雲の隙間から差し込み、世界を黄金色に染め上げていく。
続々とゴール地点の廃校となった旧三鬼小学校に集まってきた。
人々は、その光景に息を呑む。
校庭に溜まった雨水が巨大な鏡となり、空の茜色と目の前の海を一つに繋いでいたのだった。
誰かがつぶやく
「……インフィニティだよねコレ」
境界線の消えた世界。
ウユニ湖をも凌ぐであろうその幻想的な美しさに、メディアのカメラも、スマホを掲げる若者たち、地元の大人、小学生までもが、ただ静まり返ってプロでさえシャッターを切ることさえ忘れただその光景に見とれていた。
その静寂を破ったのは、校庭の特設ステージから流れてきた、透明な音色でした。
順が、雨に濡れた空気を震わせるようにピアノを奏で始める。
そこへ、哲春が自作した流木と貝殻のパーカッションが、大地を鳴らすような力強いリズムを刻み込む。
美奈江がさらにヴァイオリンで演奏を重ね、音の層が厚くなっていく。
最後に、まだあどけない小さな体でそれでいて堂々とした美咲がマイクの前に立つ。
彼女がこの日のために作り上げた曲。
その歌声が放たれた瞬間、空気が変わりました。
圧倒的な声量でありながら、透き通るようなクリスタル・ボイス。
海鷲の山々に反響し、海を渡っていくその歌声は、そこにいる全員の心の奥底に直接届くような、神聖な響きを持っていた。
「……すごいな」
拓馬が、そして悟が、隣で言葉を失っている。
法規もまた、眼鏡を外し、涙で歪む視界の先にある「完璧な秩序」を見つめている。
康一は、じいちゃんの自転車のサドルに手を置き、空を見上げた。
そこには、家康が言った「光り輝く礎」があり、日吉丸が笑った「天下の景色」があった。
(ここが、世界の中心や……。間違いないわ)
美咲の歌声が最後の余韻を残して消えた時、海鷲の町は、感動に包まれ終わりを迎えるのだった。
一瞬の静けさの後、堰を切ったようようなこれまでで一番大きな歓声と、そして暖かく鳴り止まない拍手に包まれた。
そしてそこいた全ての人の心に刻み込まれていった。
全てが終わったもう誰もいない校庭からは、山に沈んでいく太陽が名残惜しそうに見えた。




