第二十二話 ー世界の中心【始】ー
7月のある日、康一が夕刊を配り終え帰ってくると、3人の仲間が待っていた。
康一が不思議そうに
「どしたん、3人揃って?」
悟が「テスト期間に入ったからみんなで康一の勉強見たろらってなって、お前中間テストの結果、散々やったやろ」
「あー、来週からテストかー」康一は滅多に見せない困った顔をして叫んだ。
そこへ法規が「こんにちわ」とやって来た。
「どしたん法規。なんかあったんか?」と康一が聞くと
「康一君が中間テストかなり苦戦したと言ってたので少しでも力になれればと思い!?先客がお見えでしたか。あ、あのっぼ僕は後藤法規でごわす」
そこで大爆笑が起こり、順が「ごわすって何弁なん?」と聞くと法規が顔を赤らめて「僕は康一君以外とあまり話したことがなくて、す、少し緊張して言い間違えてしまったので…す」
また大爆笑。拓馬が涙目になりながら、「こないだ会うた時はそうでもなかったのになぁ」
「僕は自分から人の輪に入ろうとすると、き、緊張するたちでして」と法規。
康一が「なぁ法規もほうばいでええやろ!みんな」
3人はそれぞれうなずいた。
それから悟と法規が意気投合し、テストまでのスケジュールを立てて、今日は、"地理"の基礎の確認をして終わることになった。
「県庁所在地を順番に言ってみよう」という法規の問いから始まった、地理の特訓。
みんなでリズム良く答えていく中で、話はいつしか日本の構造、そして世界の中心へと広がっていった。
法規は、教科書に載っている世界地図を指差し、いつになく真剣な顔で解説を始めた。
「いいかね。東京が日本の中心なのは、資本と情報が一点に集中するよう『設計』されているからだ。そして東京は、ニューヨークやロンドンといった世界の主要都市と直結している。つまり、今の文明という秩序においては、東京こそが世界の中心に近い場所なのだよ」
法規の論理的で隙のない説明に、順や悟、拓馬は「へぇ〜」「やっぱり都会はすごいんやな」と感心して聞き入っていた。
しかし、康一だけは少しだけ首をかしげ、窓の外に広がる海鷲の海と、山に沈もうとする夕日を見つめていた。
「……そうなんかな。でも俺は、世界の中心は、この海鷲やと思っとる」
康一が何気なく、けれど確信を持ってそう言うと、一瞬の静寂のあと、みんなが「ワハハ!」と吹き出した。
「康一、あんた何言いよん! ここはただの田舎の港町やんか!」と順が笑い、
「さすがにそれは欲目すぎるわ」と拓馬も肩を揺らす。
しかし、康一は笑わずに、静かに言葉を続けた。
「ここには海があって、山があって、じいちゃんの自転車があって……。俺が新聞を配って、みんながこうして集まっとる。ここから全部が始まっとるんやから、俺にとってはここが世界の中心なんやけどなぁ!」
その言葉が終わった瞬間、笑い声がピタッと止まった。
「……」
みんなの視線が、康一に集まる。
それは、あいつまた変なこと言うて、と呆れる視線ではなかった。
康一を包む"光沢のある黄金色"が夕闇の中で一際強く、まるで宇宙の真ん中にある不動の星のように、どっしりと輝いて見えたから。
最初に気づいたのは法規だった。
彼は眼鏡を直し、康一の顔を食い入るように見つめた。
(……この感覚は何だ? 彼の言うことは論理的には破綻している。だが、彼の存在そのものが、この場所を『世界の起点』にしているような……圧倒的な説得力がある)
悟もまた、康一の言葉の奥にある「正しさ」に感化される。
都会が上、田舎が下という、自分たちが無意識に受け入れていた「物差し」が、康一の言葉一つでガラガラと崩れ去ったような感覚。
「……康一」
悟がぽつりと呟いた。
「お前、本気でそう思っとるんやな。……なんか、お前にそう言われると、本当にここが世界の中心に思えてくるから不思議やわ」
順も拓馬も、言葉を失ったまま康一を見つめていた。
「ちがうんさ、みんな自分のいるとこが、世界の中心っていう意味さ。ていうかそうやろ。自分が死んでしまったら、地球やろが、大陽やろが何も残らない。表現するのが難しんやけども、そういう事や」
日吉丸から教わった「自分自身が天下(世界)の中心として動く」という精神が、無意識のうちに康一の言葉に宿っていたのかもしれない。
沈黙を破ったのは、法規の震えるような声だ。
「……面白い。康一君、君はもしかすると、既存の秩序に従う者ではなく、新しい秩序を創り出す側の人間なのかもしれないね。」
康一は「え、なに急に難しいこと言うて」と照れくさそうに頭をかいたが、その場にいた4人の胸には、康一という少年の底知れない器の大きさが、刻み込まれた。
ちょっと困った顔をして
「うーん、今日はもう終わりにしょうらい」と康一は大きく背伸びをした時、柱に後頭部をぶつけた。
その瞬間に「ああー。またー。今度はどこなん?」
康一が背伸びをして「ごん!」と柱に頭をぶつけた瞬間、目の前の景色がぐにゃりと歪む。
気がつくと、そこは厳かで静謐な、けれどどこか重圧感のある広い畳の間でした。
目の前には、どちらと言えば細身だけれど眼光だけは恐ろしく鋭い黒に近い濃紺の老人が座っていた。
「……江戸が『東京』という名に変わり、世界の中心になっておる、だと?知っておるかわしは家康じゃ。」
家康——そう名乗ったその男は、康一の言葉をなぞるように低く呟きました。康一が「おじちゃんの事は知らんけど、そうやで、今は何でもかんでも東京に集まっとるんやで」と伝えると、家康はふっと寂しげに、けれど力強く首を振った。
「……そんなはずはにゃあ。わしが目指したのは、そんな一極にのみ富が溜まるような、歪な国ではにゃあて」
家康は少し腰を浮かし、康一の目をじっと見据えて三河訛りの混じった言葉を続ける。
「ええか、よう聞け。わしが江戸を開拓したのは、西には京や堺があるでよ。江戸を作ったそこには何もない沼だらけの所に平たい土地だけはあったでよ。どうしても東に置きたかったんだぎゃ。
参勤交代を敷いたんはな、単に大名を従わせるためだけじゃにゃあ。道を作り、宿場を潤し、江戸の知恵やモノを全国の隅々まで行き渡らせるための『血の巡り』を作ったんだがや。
わしが描いた礎はな、いずれ時が経てば、司法、行政、立法……。それら国の肝となる役目を、この国の寂れた地域にこそ、ばらけさせて配置することだったんだに。
そうせねば、どこか一箇所が病に倒れた時、この国ごと死んでしまう。それでは、わしが命懸けで作った泰平の世が台無しだがや」
家康は拳で畳を叩き、悔しそうに声を潜めました。
「……今の世は、江戸(東京)ばかりが太って、他の土地が痩せ細っておるというのか。それは、わしの教えを履き違えとる証拠だて。本来、政治っちゅうのは、人がおらんようになった土地にこそ、光を当てるためにあるもんだに。今の江戸は確かに心の臓かもしれんな。しかしやな頭の先から足の指さきまで干からびとるんやないか。上手く、そう....勢いよく血を流さんでどうするんだらぁ」
康一は、その言葉の重みに圧倒された。
法規が言っていた「秩序」や、新聞で読んだ「都会と田舎の格差」。
その解決策を、数百年前のこの男はすでに「礎」として打ち立てようとしていたのだ。
家康はうなだれた顔をそっとゆっくり上げて言った
「康一よ。おみゃあ、海鷲が世界の中心だと言ったそうだな。……その心意気、忘れるじゃにゃあぞ。おみゃあのような童が、自分の足元を信じて、そこから国を動かそうとすること。それこそが、わしが望んだ真の『太平』の姿なんだがや」
家康がニヤリと、どこか日吉丸にも似た不敵な笑みを浮かべ黒っぽい濃紺が光った瞬間、康一の意識は再び海鷲の家へと引き戻された。
「……痛たたた」
柱にぶつけた頭をさすりながら、康一は呆然と立ち尽くす。
「……ばらけさせるとは血を巡らせる……。本当はそういうことなんやな」
康一の胸の中で、家康の「三河訛りの重い言葉」と、法規の「論理的な声」、そして日吉丸の「明るい笑い声」が、複雑に、けれど力強く共鳴し始めていた。




