第九話 拓馬の家庭事情──“勝ち続けなければならない家”
拓馬が康一に“本気で負けた”あの日から、彼の中で何かが変わり始めていた。
けれど、その変化は家に帰るとすぐに押しつぶされる。
■拓馬の家──“勝つこと”しか許されない家
拓馬の家は、町で一番大きな商会を営んでいる。
父・**拓也**は、
東京にも支店を持つやり手の商人で、町の人からは「すごい人」と言われていた。
だが、家の中では違う。
「拓馬、また二位か。一位以外は負けやじょ。負けは恥やじょ」
「……はい」
「お前は“跡取りやで、弱いところを見せんな。勝て。常に勝て」
拓馬は、父の前では絶対に逆らえなかった。
母は優しいが、父の前では何も言えない。
家の中には、
“勝ち続けなければならない空気”がいつも漂っていた。
だから拓馬は、学校でも“勝てる相手”を探した。
弱そうな子を見つけては、勝って、勝って、勝ち続ける。
負けたら父に怒られる。負けたら価値がない。
負けたら……自分が消えてしまう気がした。
そんな時、康一が現れた。
康一は、拓馬の“勝ち負け”の世界に入ってこない。
いじめても、からかっても、挑発しても、まったく効かない。
「拓馬、すごいやん!」
「教えてくれてありがとうな!」
「拓馬、優しいなぁ」
そんな言葉ばかり返ってくる。
拓馬は混乱した。
――なんでや。
――なんで俺の“勝ち”が届かんのや。
そして、あの50メートル走で、拓馬は初めて“本気で負けた”。
負けた瞬間、胸の奥がぐしゃっと潰れた。
「……俺、負けたらあかんのに……」
その言葉を聞いた悟と順は、すぐに気づいた。
悟は拓馬の横にしゃがみ、静かに言った。
「拓馬、お前……家で“勝て”って言われとるんやり」
拓馬は顔を上げる。
「なんで分かるんど……」
「お前の目、いっつも“怯えとる”。勝ちたいんやなくて、負けるんが怖い目やな」
拓馬は唇を噛む。
「……俺、負けたら……父ちゃんに怒られる。跡取りやからって……ずっと言われとるんさ……」
悟はため息をついた。
「拓馬、お前……しんどかったんやな」
拓馬の目から涙がこぼれた
順は拓馬の肩を抱いた。
「拓馬、あんた……ずっと一人で頑張っとったんやな」
「……頑張ってない……ただ……負けたらあかんだけで……」
「それが頑張っとるってことさ」
順は優しく言った。
「拓馬、あんたは弱くない。弱いんは……“勝ち続けなあかん”って言う大人の方やで」
拓馬は泣きながらうなずいた。
康一は、泣いている拓馬の横に座り、ぽん、と背中を叩いた。
「拓馬、俺……拓馬のこと、好きやで」
拓馬は顔を上げる。
「……なんでや……俺、ずっと意地悪しとったのにさ……」
「拓馬、意地悪なんかしてないさ、ただ……頑張っとっただけやろな。でもええ色になったな」
康一の目には、澱んだ茶色から、秋の山を彩る紅葉のようなきれいな赤茶色に移り変わっていた。
拓馬は泣き崩れた。
悟は小さく笑った。
「ほらな。康一は“勝ち負け”で人を見とらへんのさ」
順もうなずく。
「拓馬、あんた……今日からうちらのほうばいやで」
拓馬は涙を拭き、
小さく言った。
「……ほうばい……ええな、それ……」
見上げた空は淡い青で晴れ渡っていた。
記述が被っていたので訂正しました。スミマセン




