恐ろしき存在
「七日前です。忘れはしません。ラズレック様がヴァル南耕地に現れたのは」
そう言って、恍惚とした表情で語り始めたのは、山の兵――ジルファと名乗る男だった。
元は山賊だったらしい。ラズレックに会って足を洗ったという。
「月の光のない暗い夜だった。山の中で俺は狼どもに襲われていた。
囲まれて、もう死ぬと思ったとき――大きな人影が現れたのさ。ラズレック様だ」
ジルファは身振りを交えて言う。
「狼どもはラズレック様にも噛みついた。だが、ラズレック様は意に介さなかった。
噛まれたまま、狼を引きずったまま俺のところまで来て、こう言ったんだ。
『町へ行きたい。連れて行ってほしい』ってな。
狼に噛まれたままだぞ。想像できるか?」
アヤとフリッツは容易に想像できた。むしろ、嫌というほど。
ジルファは話を続ける。
「俺はそのまま山賊の仲間のところへラズレック様を連れ帰った。
炎の光の中に現れたあの姿に、周りの連中は恐怖した。だが俺は――女神に会ったと思った」
ジルファの声が少し震える。
「山賊どもは、俺が生きて戻ったことに慌てていた。
・・・・・・奴らは俺を裏切ったんだ。狼の中に置き去りにしたのさ」
ジルファは笑った。
「でも俺は感謝した。
この女神に会うために、俺は生きてきたと思えたからだ」
次に口を開いたのはカナレ村の村長だった。
「このジルファ殿がラズレック様を連れて訪ねてきたときは、驚きましたよ。
『川の流れを変える』などと言うものですから」
村長は苦笑した。
「ジルファ殿がいなければ、誰も“神の使い”などとは信じなかったでしょうな。
いえ、正直に言えば・・・・・・化け物と叫んで追い返した者もいたはずです」
アヤは心の中で(それも無理はない)と思った。
村長は続ける。
「皆、笑っていました。奇妙な存在を、娯楽のように眺めていたのです。
――ところが」
村長は指を立てた。
「ラズレック様は何も言わず、川へ入っていかれた。
水の中へ、沈むように――すうっと消えていったのです。
しばらく出てこないので、流されたのかと思いました」
村長は目を見開く。
「だが、違った。
川の底が動いたのです。川床が掘られ、新しい流れが生まれた。
それが何度も繰り返され――川は二つになりました。
ひとつは流れの速い直線、もうひとつは蛇行する穏やかな流れです」
ミラ草原村の長も頷いた。
「我が村にとって狼は敵である。家畜を殺すからな。
ジルファ殿とラズレック様の話を聞き、真であれば“神の使い”だろうと協議した」
村長は低い声で言った。
「そして狼が現れた時、ラズレック様はその中へ入っていった。
狼は噛みついたが意味がないと知り、ラズレック様を無視して獲物へ向かおうとした。
そのとき――大地が壁のように盛り上がり、狼を阻んだのだ」
村長は胸を張る。
「我々は理解した。神の使いであると」
最後に語り始めたのは、ヴァル南耕地の耕地長だった。
「我々は農地を広げたい。
だが石と岩が多すぎて、川沿いへ押し出すしかなく、争いが起きていた」
耕地長はラズレックを見た。
「そこへラズレック様が来られ、腕を組んだまま、石だらけの土地に二日間立ち続けた。
ただ立っていただけなのです」
そして指をさした。
「『ここを耕すと良い。大きな石は除いた』と仰った。
誰も信じませんでした。……ジルファ殿以外は」
耕地長は少し笑う。
「ジルファ殿が鍬を入れると、そこには――石も岩もなかった。
さっきまで石だらけだった土地が、まるで最初から土だったように変わっていたのです」
耕地長は深く頭を下げた。
「我々は確信しました。神の使い以外にできぬ奇跡であると」
アヤはラズレックを見て言った。
「ラズレック。お前、いつから神の使いになったのさ」
ラズレックは落ち着いて答える。
「狼を追い出し、川の流れを変え、糞尿は流れの速い直線へ流し、農地を下方へ広げられるようにしただけなのだが……
このジルファが私を神だの神の使いだのに祭り上げた」
ラズレックは首をかしげた。
「だが、その結果……思ったより早く問題が片付いた」
アヤは呆れて言う。
「どうするのさ。こんな解決策、象徴であるラズレックがいなくなれば崩壊するぞ」
ラズレックはジルファを見下ろした。
「ジルファ。お前が管理しろ。すべての経緯を見ており、敬意を集めているのはお前だけだ」
ジルファは即答した。
「俺はラズレック様の後をついていきます!」
ラズレックはきっぱりと言った。
「ではラズレックが命ずる。ここに残り、管理せよ。
私は争いが嫌いだ。争いしかないと思ったなら、解決案を出せる者と交代しろ。
その時はついてきてもよい」
さらに条件を重ねる。
「お前はこの三地域から金を得てはならない。
フリッツ殿。人ひとりは雇えるな」
突然話を振られ、フリッツはびくっとした。
「・・・・・・は、はい」
ラズレックは言った。
「では、城へ帰るぞ」
アヤが即座に突っ込む。
「三日後だぞ!」




