骨壺
これは、私が本当に体験した話です。
大学の夏期休暇を利用して、私は友人の麻美と沖縄県北部へ旅行に来ていました。
日中はバナナボート、シュノーケリングにパラセーリング……青い海と太陽を存分に味わい、肌は海風と陽射しで火照っていました。
潮の香りは髪に絡み、体は心地よい疲労に包まれていました。
夕暮れ、プールサイドでノンアルカクテルを飲んでいると、麻美が笑って言いました。
「……夏っていったら、やっぱり肝試しでしょ?」
軽口のつもりだったはずが、スマホで検索すると、車で15分ほどの場所に“地元の人も避ける”心霊スポットが出てきました。
写真には古びた石塀と、その上に等間隔で並ぶ土製の壺。割れ口は真っ暗で、奥に何かが潜んでいるように見えました。
夕食前、軽い気持ちでその場所へ向かいました。
海沿いの道から林道に入り、舗装が途切れた砂利道を進みます。
左手には防風林、その根元に苔むした石塀。
右手の畑からは湿った土と枯れ草の匂いが、むわっと押し寄せてきました。
「……っ」
麻美が小さく息を呑みました。
塀の上には、土製の壺がずらりと並んでいました。
くすんだ色に黒い染み、いくつかは下部が割れて、黄ばんだ骨がこぼれ落ちています。
足元の土にも骨が散らばり、その白い表面には黒く固まった塊――何かの跡がこびりついていました。
その時、風もないのにひとつの壺がふるりと揺れ、中から白く細い何かがゆっくりと伸びては、音もなく引っ込みました。
心臓が一拍遅れて大きく跳ね、背筋がひやりと冷えました。
私たちは何も言わず、足早に引き返しました。
ホテルに戻る廊下で、清掃用ワゴンを押す男性とすれ違いました。
作業着にホテルの名札。しかしホテルの従業員にしては似つかわしくない数珠のようなものを腰にぶら下げていました。
「おつかれさま」と穏やかに笑った。
結構イケメンでちょっと気にはなったものの、それよりも先ほどの心霊スポットで気がやんでそれどころではありませんでした。
夕食後はナイトプール。ライトアップされた水面を泳ぎながら笑い合い、心霊スポットのことも「やっぱり大げさだったね」と笑い話になっていました。
部屋に戻り、オートロックを確かめてベッドに潜り込みます。
波音に包まれ、あっという間に眠りに落ちました。
夜中――。
“カラカラ……カラカラ……”
陶器が転がる音で、目が覚めました。
心臓が嫌な速さで打ち、耳の奥まで血が押し寄せてくるようです。
その音は最初は遠く、やがてはっきりと廊下をこちらに近づいてくるのがわかりました。
室内は暗く、麻美は眠ったまま。
私は息を潜め、耳を澄ませました。
ピタリ。
音が止まりました。……部屋の前で。
続いて、金属をこすり合わせるような音。
そして――
カチリ。
オートロックが、勝手に解除されました。
ドアがわずかに開き、そこから土色の巨大な生首が、滑るように入り込んできました。
皮膚は剥がれ落ち、頭蓋骨の目の窪みには濁った泥水。
ぷくりと泡が浮かび、弾けるたびに水滴が絨毯に黒い染みを広げます。
腐った海藻と潮、鉄錆が混ざった臭いが、喉をきゅっと塞ぎました。
急いで視界を閉じ、寝たふりをしてやり過ごそうと試みました。
カチカチ……カチカチ……
あの頭が歯を鳴らすたび、寒気が全身を駆け巡りました、
何としてでもやり過ごす。それだけが私が正常心を保つ為の1つ方法だったのだと今思います。
ふと……気配が無くなりました。
部屋のなかからカラカラという音も、カチカチという生首がならす歯の音も消え、静寂が部屋を包みました。
もう幽霊は消えていったのか……それともまだいるのか分からず薄目を開くと目の前にあの生首がニヤついた表情で私を見ていました。
瞬間、私も『ひっ』と声をあげてしまいその刹那ベッドから強く引きずり出されました。
視界が歪み、気づけば外――あの石塀の前に立っていました。
あの寒気だった状況とは一変して照りつけるような日差し、周りからは「ヒモジイ…………ヒモジイ……」と声が聞こえくる。
私が目の前に見たのはあの等間隔に並んだ骨壺。
すると並んだ壺の割れ口からが無数の怨霊……人の形をした何か……が私の全身にまとわりつきいた。足首に食い込み、そして骨壺へ引きずり込もうと寄せ始めました。
耳元で、湿った息と共に怨霊から声が漏れました。
「ヒモジイ…………」
声を聞いた瞬間、先ほどまでの暑さが逆転し頭の奥が冷水を浴びせられたように冷たくなりました。
私の視界の前で巨大な生首が顔を見せ、濁った眼窩の奥で白い歯がぼんやり光りました。
「……メシダ……ヒサシィ……」
何を意図しているのかはわからない、いやわかりたくない。
けれど、その言葉がどうしても人間に向けられる言葉では無いことを覚えます。全身を総毛立たせました。
頬に、生暖かくぬるりとした舌が這い、骨の指が腕を押さえつけます。
膝下では別の手がふくらはぎを掴み、爪が皮膚に沈み込む感触が走りました。
足元の壺からも手が伸び、指先で私の皮膚をつまみ上げます。
背後では、何かが骨を噛み砕く湿った音が、規則正しく響いていました。
「そこまでだ」
低く通る声が背後から響き、同時に、私を掴む骨の手がびくりと震えました。
振り返ると、廊下で会ったあの清掃員が立っています。
作業着の袖をまくり、数珠を握る手が淡く光っていました。
男は迷わず一歩踏み込み、数珠を高く掲げました。
怨霊の群れは素早く私を引きずり込もうと力を込めたその瞬間――
「破ぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
閃光があの空間を裂き、生首も私にまとわりついていたあの怨霊達も霧のように消え去りました。
気づけば私はベッドの上に立っていました。その刹那すぐに全身が震えて落ち着くのにしばらく時間がたった思います。
足首には、土と海水が乾いた跡――そして全身に指の痕のような赤い痣が残っていました。
ドアの内側には、泥と小さな白い歯が数粒、無造作に転がっていました。
絨毯には潮と鉄の臭いが染みつき、換気しても消えません。
そこで初めて、清掃員が口を開きました。
「……沖縄地獄、って知ってますか」
彼の声は静かで、それがかえって重く響きました。
「余り語られることはないのですが……沖縄で砂糖の価値が急激に下がった事による経済恐慌が起こり、餓死者を多く出しました。
時前で墓を建てる金もない餓死者や孤独死者の骨は、壺に入れられ石塀に並べられ雨ざらしの状態で今度は沖縄戦を迎えます。
言うまでもなく沖縄戦では壺は破壊され、散らばった骨は安らぎを得ることはなく、戦死者の血肉を吸い多くの人々の怨念がその骨に染み付いた。戦後安らぎを得たとは良い辛く。その怨念は今も飢えたまま、生きた肉を求め続ける餓鬼となったのです」
そして彼は一呼吸置いた後
「……あなたも、あのままなら“次の壺”でしたよ。これからは軽い気持ちで霊のいる場所に近寄らないように」
その言葉に、背中が粟立ちました。
清掃員さんはそれ以上何も言わず、静かに部屋を後にしました。
フロントに事情を話すと深夜にもかかわらず総支配人が現れ、替えの部屋へ案内されました。
何も知らない寝ぼけた麻美が羨ましく思えました。
部屋は明らかにスイートルームだったのですが、恐怖からか一睡もできませんでした。
翌朝、あの廊下は業務用カートで塞がれ、「立入禁止」の札が掛かっており。
そして……あの清掃員さんの姿は、もうどこにもありませんでした。
破ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!
これが言いたくて書いた作品。
この話は実体験も含みますが、それ以外の要素が大多数含んでおります。
お気をつけておかえりを。