歴史書にはかくのごとく
後世には『ダイヤン平野の決戦』と皇国だけでなく世界各国の歴史書に必ず記されているこの戦いは、隣国で『ダイヤンの屈辱』と呼ばれている通りに、隣国の歴史的大敗であった。
ダイヤン平野で夜明けと共に対峙した、辺境伯ウィリアムを司令官とする皇国軍4万と王太子オスカルが率いる7万の軍勢だったが、挑発に耐えかねたのか、それとも功を焦ったのか――王弟エミールの左翼軍隊だけが突如として突撃を敢行した事で、戦争の火ぶたが切って落とされたのだった。
しかしユージン率いる前線部隊の猛反撃に遭い、王弟の軍隊は直ちに壊走。警戒しつつもユージンの部隊が彼らを追撃したが、中央と右翼からの挟撃を恐れて本格的なものではなかったため王弟の命は助かった。
しかし、この壊走する左翼の前線へ、加勢しようとしたらしい第二王子ファビアン率いる第2陣の左翼部隊が急行したため、逃げている王弟の部隊に突撃する第二王子の部隊が真面に衝突する形になってしまう。
戦端が開いてものの数十分で、もはや左翼の戦場は手の付けられない大混乱に陥った。
隣国にとっての不運は続き、この左翼の形勢不利を知った総司令官である王太子オスカルが我先に逃げようとしたのだ。ここでオスカルが逃亡すれば右翼の部隊まで総崩れになってしまうのに!
そのため逃亡を絶対に阻止しようとした、隣国の軍監かつ副司令官として戦いに臨んでいた老将軍ジャコブらと王太子達が揉めた。揉めた挙げ句に決裂してしまう。直後に王太子達は撤退し、隣国の軍の右翼も何も戦わぬまま総崩れになった。
ウィリアムは今が勝機だと悟って一気に打って出る。皇国軍の全軍へと突撃指示を出したのだ。
――その後は、まるで枯れ葉の山に火が付いてめらめらと燃やしていくようだった。
ジャコブ率いる部隊だけは頑強に抵抗したが、この致命的な劣勢を覆す事は出来ず、ジャコブは戦死、ジャコブの息子達は捕虜になった。オスカルは逃げ果せたが、エミール、ファビアンやその他の大勢の貴族達が丸ごと捕虜となり、隣国は大量の身代金を支払わねばならず、その総額は国庫が空になっても足りぬと言う。
この敗戦の知らせを聞いて、長く重篤な病にあった国王は血を吐いて亡くなった。
民と貴族に苛烈な重税を課し、戦勝した皇国へトラルテ河周辺一帯の領土を割譲する事までして、ようやくエミール、ファビアン、貴族達は帰国を許された。
が、ここから隣国は何年も続く本格的な内乱状態に陥る。
一番に戦から逃亡した王太子オスカルだけは決して許せぬエミールとファビアンだったが、それぞれが他の二人へと敗戦の責任を押し付け合った。その対立はたちまち激化し、ほぼ3つの勢力に分かれての内乱まで始まってしまった。ジャコブの息子達は表向きはオスカルの元に戻っていたが、エミールやファビアンの内通者として暗躍し、余計に事態を混乱させる。いきなり課せられた重税により貴族も民も王家に対して凄まじい不満を抱え込む。各地で軍事衝突が相次いで、治安も劇的に悪化した。
この隙を周辺諸国が見過ごすはずもなく、第二皇子アレックス即位後の皇国も、数年かけて編成した『皇国軍』の総司令官にウィリアムを任命して、一気に隣国へと攻め込んだ。
攻め込んだものの――略奪を厳禁とし、それまでの隣国の政治体制や治安の維持、減税を約束し、『お手本』として最初の占領地から実現させため、現地の民や支配層から城門の鍵を手渡される始末。内乱が始まって10年も保たずに、隣国の領土は5分の1にまで縮小してしまう。いつしか表舞台から消えた王太子達の墓は、その何処に設けられたかさえ判然としない。
皇帝アレックス三世は、新たに支配した隣国の各地に皇国から派遣した『総督』を置き、税金は徴収するが、後の治安維持体制や社会慣習は隣国のままとさせた。
皇国のこの支配体制はおよそ600年の長きに渡ったが、支配された側からの反乱が起きる事は一度も無かったそうだ。
虐げられていた第一皇女セレナには、『ダイヤン平野の決戦』の後で幸せがやって来た。『褒美』として、辺境伯ウィリアムの元へ嫁いだのだ。
この時にウィリアムは辺境伯でなく『トラルテ大公』の地位を新たに与えられ『大公』を名乗る事を許された。辺境伯の紋章は『剣咥える獅子』だったのだが、そこに皇女が嫁ぎ大公となったため、皇国の国旗のモチーフである『7つの星』が加わるのだった。
ウィリアムは彼女を『星の姫』と呼び、よく戯れに小柄な彼女を己の左肩に担いで乗せて歩いて回った。その時は獅子の肩の上に小さな虹がかかったようだったと、大公家の領地では逸話が伝わっている。
ダイヤン平野の決戦に圧勝した祝典のために皇国城にやって来た時、ウィリアムと彼女は出会ったと思われる。その頃から二人は秘められた関係だったとは有名な話で――皇族の体裁を守るため、彼女が嫁ぐにあたって『褒美』とされたようである。
皇帝となった兄アレックス三世には、隣国で妹の虐げられている事を知りつつも随分と助けられなかった負い目があった。それを彼女は逆手に取って、今度こそ己の意志で好いた相手の元へと、華やかな花嫁道中を経て向かったのだ。嫁いでからも、親友のクレーティアと生涯にわたって手紙のやり取りや交流があったと、大公家に残された彼女の日記にはある。
先の辺境伯であったヘンリーは初孫の顔を見た後で、眠るように亡くなった。夫人は辺境伯領には戻らず、夫の眠る墓の近くで下級貴族の令嬢のための護身術を教えて余生を過ごした。初代トラルテ大公夫人となったセレナが皇国城に里帰りした時には、必ず夫人と会って、ウィリアムそっくりの4人の孫の顔を見せていたと言う。
対照的に第一皇子ティボルトは失意の中、若くして亡くなっている。晩年は酒に溺れて、愛妾を5人も抱えたが、子は一人も出来なかった。彼に付き従う貴族は一人もおらず、先の皇帝の『愛妾』であった母親と乳母だけが最後を看取ったそうだ。
セブラン伯爵家はあの宴会の後、すぐに当主が引退してフーバーが後を継いだ。国の覇権を握った第二皇子達からの要らぬ詮索や嫌疑を避けるためである。
結婚に――ひいては女については相当に怯えていたフーバーだったが、司史所に勤めてから十年後に、守り役の息子であった親友の妹と縁を繋いだ。
フーバー、ユージン、ウィリアムの3人は終生、仲が良かったと伝わっている。たまに手紙で送られてくる遠方の弟や親友の活躍、子が生まれたと言う知らせをフーバーは大変な楽しみにしていたそうだ。
その人生の大半において『羊』であったフーバーだったが、弟ユージンの戦いぶりについて他人に語る時だけは、椅子から落ちそうなほどに身を乗り出し、顔を紅潮させ目を輝かせ、握り拳まで振り回し、大いに熱弁を振るったらしい。
「どうにも凡人の目をしていないと思っていたが、ああ、私が思っていた以上だったんだ!」
このフーバーと、後に『小羊』と呼ばれるその一人息子アンディは、共同で数十巻にも及ぶ歴史書『皇国通史』を書き上げた功績で、アレックス三世と皇后ジュリアから生まれた次の皇帝の御代に勲章を授与される。
この羊の親子は、この物語に出てくる誰よりも長生きであった。平均の寿命を軽々と越えて、フーバーは95、アンディは93になるまで歴史書の本棚と机に挟まれた空間で、穏やかに生きた。
――彼らが書いた『皇国通史』の中には、このような記述がある。
『厳冬が訪れたかのように、サクラの一族は失意の中にあった。この上ない期待をかけていたのに、サクラの若枝がいと高き所におわす方々の中に根付く事が出来なかったためだ。花咲かせる事はおろか何の蕾も付けられぬほど消沈した彼らの元へ――既に隣国の初代の東方の「総督」の土地に根を生やしたサクラの若木が慈しみの春風を送ったのだ。その春風を受けてようやく誰もが顔を上げ、立ち上がり、それまでの行いを恥じて改め、心から春風を送ったサクラの若木に感謝をした。
今のサクラの一族の紋章には「割れ鍋」と「綴じ蓋」が添えられている。あらためてその紋章を見れば、サクラの木の元には確かに「割れ鍋」と「綴じ蓋」と思われる丸いものが隣り合って並んでいる。これには、「鍋」に隙間も無く詰められた愛が溢れてしまうのを抑えるために「蓋」が寄り添っている、との意味もあるそうだ。
さて、この「綴じ蓋」と言う言葉について少し語ろう。この言葉は隣国では「恐怖」とほぼ同意語へと変じている。しかし「綴じ蓋」と言えば、我らが皇国では知らぬ者なき「英雄」の一人であり、かつ名高い軍人である事は誰もが知っている事だ。子供の童謡でも、次のように彼らの活躍を讃えている。
戦があっても
恐れはするな
獅子が吠えて
綴じ蓋は目を光らせる
王太子が逃げて
捕虜は残った
ありゃありゃ
領土が増えた
そりゃそりゃ
国庫は倍だよ
無論、『ダイヤン平野の戦い』とそれで轟いた彼らの名は、皇国史に、否、世界史に残すべき対象である。――が、悔しいかな、それを記す事が出来るのはこの頁では無い。しかし、いずれ必ず記す事をここに誓おう。
かの園でサクラは咲く。今年も春が来たのだ。』
『羊』フーバー・セブラン、『小羊』アンディ・セブラン共著『皇国通史第三十四巻』後書きより
END




