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割れ鍋女クレーティア

 「何て……可哀想なのだろう」

その話を聞いた誰もが、婚約『変更』を申し出た側のセブラン伯爵家に同情的であった。

「『割れ鍋』が相手だったのに1年もよく耐えたものだ」

「次はセブランの下の子が、鍋に投げ込まれた生贄か」

「『サクラの木』ももう当てが無いのだろうよ。何せこれで『割れ鍋』の婚約『解消』や『変更』は4度目だぞ。前例も無ければ常識もあったものではない!」

「第二皇子殿下から始まって、辺境伯の跡取り、セブランの上……それで、下か」

「私は5度目に金貨1枚だ。皆はどうだ?」

「じゃあ銀貨1枚にしよう。下でこの悲劇が終わる事を女神に祈って」


 有り体に『人の口に戸は立てられぬ』とは言うものの、両家の合意の元にホルスト侯爵の長女クレーティアの婚約者が、セブラン伯爵家の長男フーバーから次男坊のユージンへとすげ替えられたとの話は――ものの3日も過ぎぬ内に、都に居る貴族達では知らぬ者がいないくらいに広まってしまっている。



 ホルスト侯爵令嬢ことクレーティア・ホルストのあだ名は『割れ鍋』である。

見た目は華麗な美女、振る舞いも淑やかで優雅そのもの。とびっきりの若く麗しき貴族の令嬢、さながらサクラの木の妖精――そんなクレーティアにはとんでもない欠点があった。



 「……かの妖精の愛は重すぎて、まるで深い穴の底に生き埋めにされるような気分だった。全く生きた気がしなかったよ」

第二皇子アレックスはフーバーの一件を耳にした時、腹心の側近達だけに、とてもとても小さな声で本音を漏らした。

「彼女が真摯に私を愛してくれた事は分かっているんだ。だが……あれほど盲目的に尽くされた上で、同じくらい盲目的に彼女に尽くす事を要求されてしまうと、何処にも逃げ場が無くなってしまうんだ。人によって愛情の感じ方や表現方法は異なるのに、愛に任せて己の方法だけを押しつけられてはね……」


勿論、本音を聞く側近達も、第二皇子がついに婚約解消に至るまでに何があったのか、よく知っている。


 かつては時を問わずに毎日のようにひっきりなしにクレーティアから第二皇子に愛情を込めた手紙や贈り物が届いた。彼の周りに女の影が僅かにでも見えたならば(その女が第二皇子にとっては育ての母と同義の乳母であっても)感情的に何時間も詰られた。美しい女官と話し合いになっただけで激しく嫉妬されて、この時は常に理性的な第二皇子もカッとなって怒鳴り合いになった。

何せ、その女官と第二皇子が話した内容は、クレーティアが彼に嫁いだ場合にはどの女官を配属させるかと言う、事務的で色気のかけらも無い話だったのだ。それを邪推されてはたまったものではない。

挙げ句の果てには第二皇子からもクレーティアに『同様に』接して欲しいと強く要望され、それについての交渉はおろか一切の要望の拒絶までされた事。


 結婚前からこの状態なのに、まさか……一生続くのか?

その事実に気づいた瞬間、第二皇子は奈落に落ちていくがごとく恐怖した。

これはもはや、『愛と言うもの』に囲まれた生き地獄と何も変わらないでは無いか。


 この地獄が死ぬまで続くくらいなら――と、第二皇子は自ら違約金を払い、己が悪いのだと泥をかぶってまでクレーティアと婚約『解消』をした。

皇国の規範たる皇族として何たる振る舞いか!と誰彼からも、特に異母兄である第一皇子ティボルトの派閥から激しく非難される中、側近達だけが密かに喜んでくれた。


 ――だが。

 似たり寄ったりの事が、クレーティアと辺境伯の跡取り息子ウィリアムとの間でもあったそうだ。しかしこちらは気が強かったので、クレーティアと真面にやり合ってしまった。十数回もやり合った結果、あまりにも両者の仲が険悪になってしまい、両家の当主の間で何度か話し合いの場が持たれたものの――決裂は如何ともしがたく、解消の運びとなったそうだ。


 2度も婚約解消となった事で、それまではクレーティアを不憫がっていた者達も、ようやく彼女に対して違和感を覚えた。

第二皇子はそれでも黙っていたが、やがて辺境伯の方から婚約解消の内情が事細かく知れ渡っていく。

相も変わらず婚約相手に過激な愛情表現をし、かつ過剰な愛情表現を要求するクレーティアに対して、常に多忙な跡取り息子だけでなく――『慎みを知りなさい!』と辺境伯夫人がついに激怒して、あまつさえ女同士での取っ組み合いまで至ったと聞いては――流石に『婚約解消もやむなしである』と誰もが納得するしかなかった。

婚前からこの不仲。離婚するよりまだ婚約解消の方が両家にとって損害が少なくて済むと両家の長が判断したのも、むべなるかな……。


 そして――クレーティアの3度目の婚約変更相手となったセブラン伯爵家の長男フーバーの場合も、似たり寄ったりだった。

いや、彼こそが最も悲惨であった。

愛情を徹底的に求められ、かつ与えられすぎたので、まるで水をやりすぎた植物の根が腐るように、精神的に病む直前の所まで追い詰められたのだ。

元々、貴族学園では『羊』と呼ばれていたくらいに生真面目で繊細な所がある温和な若者だったのが、この1年でげっそりと別人のようにやつれてしまった。

跡取り息子のあまりの憔悴に耐えかねて、セブラン伯爵がホルスト侯爵夫妻に平身低頭して頼み込み、両家の当主の合意があって、婚約『変更』となったのだ。

「後は俺が引き受ける」

そう申し出た弟のユージンに『不甲斐なくて済まない』とフーバーは涙をこぼして何度も謝り、医者と母親と幼い頃からの親友である守り役の息子一人に付き添われて、母方の親戚が所有する静かな湖畔の別荘地に、療養のために旅立ったのだった。



 『愛情を詰め込みすぎて、男と言う鍋の底を割れさせてしまった』

 『正真正銘の割れ鍋だ』

 ――口さがない外野の野次こそが、クレーティアの問題行動の全てを表現している。



 事ここに至っては、完全にサクラの家でも頭を抱えてしまった。指折りの富裕な大貴族であるホルスト家だったが、もはやクレーティアの5回目の婚約者は見つからない事が確定したのだから。

第二皇子も辺境伯の跡取りの事もそうなのだが、何よりフーバーが病人のごとく追い込まれた情報は既に世間に知れ渡っている。

いや、セブラン伯爵家から、兄の憔悴ぶりを見たのに、弟の方が自ら婚約変更先として名乗り出た事が奇跡そのものなのだ。

否、この異母兄弟はとても仲が良かったらしいから、為す術無く追い込まれてしまった兄を見かね、身を挺して庇った可能性すらある。

――そう、次のユージンだっていつまで持ちこたえるか。


 ……けして兄妹と差別して育てたつもりも、愛情に飢えさせたつもりも無いのに、どうしてだ。

ホルスト侯爵夫妻の眠れない夜は続いた。

ああ、非常に優秀な娘だった。これが男であったならば将来の皇国を担う逸材だったくらいに出来が良かった。その分の親の欲目があった事は認めよう。しかしただ一方的に期待するだけでなくきちんとした教育を受けさせ、厳しくも愛情を伴って躾けたつもりだった。

これまで一度だって下々の者を差別し虐待するような事も無かった。領民にも親しみを以て接し、領民からも敬意を持たれていたし、慈善事業では孤児院の子供達と泥だらけになって遊ぶような着飾らない所もある。

さては直向きな愛情を注ぐ対象が欲しいのかと考えて、わざわざ譲り受けた血統書付きの犬ジョンは、彼女から用意された餌以外は食べようとしない程懐いているし、その世話も行き過ぎた所のない常識的な範疇だ。

そもそもだ。娘が彼ら身内相手にこんな異常なまでの熱量を持つ愛情をぶつけてきた事は全くと言って良いほどに無かったのに。

もしかすれば精神的な病か何かかと医者を呼んだ事もあったが、診断結果は分かりきっていた。


 どうして!

 どうして私達の娘は己の婚約者だけに、狂ったように愛情を注ぎ、かつ求めてしまうのだろうか。


 何度も何度も、それこそ真剣に、愛情表現は人によって異なる事、相手の苦痛になる程の愛情とその表現は相手を傷つける暴力でしか無いのだ、ましてや愛情を求めるのも限度がある、と懇々と家族総出で諭しもした。あくまでも頑なな娘に対して、夫人が泣きながら手を上げた事もある。

しかし、基本的に聞き分けも良くて聡明な娘が、この一点においてだけは断固として主張を変えようとしないのだ。


 であるならば――。


 「もはや――この4度目が失敗したならば、お前には世俗との縁を切らせるしか無い」

悲壮な決意を固めて、ホルスト侯爵夫妻はクレーティアに予告するのだった。

しかし二人の予想通りに、

「私は心を決めた殿方のために何もかもを捧げて生きたいのです」

真正面から娘には否まれたのだった。

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