2-06 死にたがりの少年は、頼れぬ闇夜に堕ちていく
いつもクラスメイトからいじめられていた輪は、ある日深夜の病院の屋上から飛び降りて、死んだ……はずだった。
輪がその行動を起こした原因は二つ。
一つ目は、いじめのリーダー格であるクラスメイトに、果物ナイフで利き手を刺された事。
そして二つ目は、利き手を刺された事で勉強が出来なくなった輪に、激昂した父親が殴って来た事だ。
その結果、自分の人生全てが不幸だと感じた輪は、その日に死ぬ事を決意して実行に移したのだが、気が付けば自分の部屋で無傷なまま目を覚ましていて……?
いじめられていた少年の、死に戻り現代ファンタジー。
俺は、この世にいてはいけない人間だ。
何の取り柄もなく、ドジで間抜けで、人の足を引っ張る。
唯一、勉強は学年10位以内をキープするよう頑張った。
でも、妬み嫉みで一部のクラスメイトに蹴られては殴られ、青痣が多く出来た。
教科書は、アイツらに破られるのを察知して、必ずコピーを取って持っていく。
ノートも毎回破られるから、使うのは必ずコピー用紙だ。
まぁ幸いに、俺の両親は俺が成績優秀者になると、俺を殴ってこなかった。…これは、救いとも言うべきだろう。
しかも、勉強のためなら投資を怠らない人達でもあったから、ここまで成績をキープする事が出来たんだと思う。
だけど、俺の悲劇はここでは終わらなかった。
俺が死のうとした前日、いじめのリーダー格のクラスメイトが、果物ナイフで俺の利き手である右手を刺したのだ。
この時、意識が朦朧として聞こえなかったけど、アイツは「これで勉強出来なくなったから、成績ダダ下がりだな。ザマァ!」と俺を罵倒してせせら笑ったらしい。
もちろん、この事は先生の前で起きた事だったから、アイツはすぐに警察に連行されていった。
そして、俺も手当のために病院に緊急搬送された。
手のひらの傷が深かった事と、身体中に青痣があった事から、医師の方からすぐに診断書を貰う事も出来た。
これで、もう酷いことはされなくなる。と、そう思って安堵したのは、ほんの束の間のこと。
しばらくたった頃に病院にやってきた父は、検査入院で病室のベッドにいた俺の顔を、思いっきり殴ってきた。
それは、近くにいた看護師が急いでやってきて父を羽交い締めするまで続き、奇跡的に歯は折れなかったが、俺の顔には大きな青痣と切り傷が出来た。
「輪くんのお父さん!輪くんは怪我をしているのですよ!殴るのはお辞め下さい!」
「ええい、黙れ!せっかく一番の稼ぎ頭を育成するがために投資したというのに、怪我しやがって!あと数年で俺は仕事を辞められんだ!お前を有名国立大に入学させて、給料の高い企業に就職させて、その給料全部奪って豪遊するために、仕事してんだよ俺は!なのに勉強出来ないとは、いい根性してんじゃねぇか!ふざけんなよ、輪!!」
「お父さん!お辞め下さい!警察呼びますよ!?」
「はぁ!?そんな事知ったこっちゃねぇ!離せ、オラァ!」
そして、父はその場で暴れて拘束から逃げ出したかと思うと、羽交い締めにしていた看護師の顔を一回思いっきり殴った。
俺がいる病室に、けたたましい悲鳴が響き渡る。
しかし、すぐにやってきた他の医師と沢山の看護師が、父をしっかりと拘束し、結局彼は警察に突き出される事になった。
「……輪くん。ごめんなさい……。お父様を止められなくて……。酷いわよね……実の父親なのに」
父がいなくなったあと、病室にやってきた看護婦長が、俺に深々とお辞儀をして謝罪した。
この病院も医者も看護師達も、何も悪くなんかないのに……。
俺は眉根を下げて、ゆっくりと口を開いた。
「あ、謝る必要はないですよ。大丈夫です。……殴られてる時は、痛すぎて流石に死にたくなりましたが、頻度は少なかったですし。お酒飲んで被害者ぶりながら、毎日殴られるよりはマシですので……」
「……輪くん……」
看護婦長は、ボロボロと涙を流しながら、顔を両手で覆って泣き出した。
とても優しくて、こんな俺に同情して代わりに泣いてくれる看護師長。
彼女の行動に少し救われはしたけど、所詮この病院から退院しても、きっと俺を本当に救ってくれる人なんていないだろう。
だから俺は、そういう未来を想像しながら、彼女を虚ろな目で見る事しか出来なかった。
……ああ、そうだ。もう死のう。
多分、そう思ったのは、この時からだったと思う。
気が付いたら、僕は夜勤に出ている看護師の目を盗んで、深夜の病院の屋上に立っていた。
建物がとても高いから、すぐに死ねるだろうという安直な考え方だったけど、いざ屋上から地面を見ると高すぎて、今更ながら足が竦んでしまう。
けれど、未来のことを考えると、自然と足が前に動いて、悠々と柵を越える事が出来た。
「……ははっ!こんなクズしかいない世界に生まれ落ちた俺は、なんて不幸だったんだろうな。だから、この不幸はここで断ち切るしかねぇか……。さようなら」
こうして、俺は屋上から一気に飛び降りて、地面のコンクリートに頭を打ちつけて死んだ。
……はずだった。
※※※
「うわぁっ!!」
深夜の病院の屋上から飛び降りる夢を見て、俺は勢いよくその場から起き上がった。
宙に放り出されたかのように落ちていくのが妙にリアルで、心臓が早鐘を打ち、吐き気がする。
しばらく吐き気と闘ったあとに、部屋を見渡すと、ここは俺の部屋だという事が分かった。
少なくとも、病院の屋上ではない。
……妙にリアルな夢だった。
この夢の中の俺は、右手をいじめのリーダーに刺されて、そのせいで病院で父親に殴られて、そして病院の屋上から飛び降りて死のうとしていた。
今の俺は、右手を刺されてもいないし、鏡を見ても顔に青痣なんてついていない。
「……なんだ。ただの夢か……」
そう思って、俺は学校に行く通学鞄に手を伸ばそうとして……また吐き気を催した。
なんで吐き気が来たのかは、分からない。けれど、俺の身体がまるで『学校に行くな!』と、警告を鳴らしているようだった。
「こ、これはマズい……。学校に連絡して、今日は家で勉強しよう」
そう言うが早いか、俺はリビングの固定電話までやってきて、学校に連絡した。
しかし、強い吐き気を感じて休む事を伝えると、担任は「吐き気なんてどうにもなる!地を這ってでも来い!」と怒鳴った。
そういや彼も、「ドジで間抜けのクズだ」と俺に暴言を吐き続けては、いじめまでも黙認したクズだったという事を思い出す。
こういう担任がいるから、俺は今もこんな目に遭うんだろうなと思うと、ため息しか出ない。
俺は担任からの罵声を聞きたくなくて、一方的に電話を切った。
このままだと、この家に担任とかがやってきて無理矢理連れ出されるかもしれない。そうなったら、たまったものじゃない。
幸いに、親は家にいなかったから、この家を俺の好きにする事が出来た。
玄関に行って、しっかり鍵を閉めてチェーンを掛け、窓も全部鍵をかけて閉めてから、ついでにカーテンも一緒に閉めておく。
そして、もし何かあっても困るから、キッチンからカバーのついた果物ナイフを持ってきて、自分の近くに置いた。
また、親から連絡が取れるようにスマホもしっかり充電しておいたから、これで大丈夫だろう。
こうして、俺は自分の部屋で、夕方まで勉強を続けた。
その間に、いじめグループのメンバーが怒りのLINEを送りまくり、学校からの電話も家の固定電話から何度も来ていたけど、全て無視した。
アイツらは一体、俺をなんだと思っているのだろう。
それだったら、『勉強だけしていればいい』と教育に投資してくれる、俺の親の方がまだマシだ。
そして、勉強がひと段落した頃、家のインターホンが『ピンポーン』と鳴った。
多分親だろうと思って、俺はリビングへと足を運び、インターホンを鳴らした人物を見た途端、大きく目を見開くことになる。
そこには、たまにしか学校に通わないクラスメイトの不良・宝亮太がいた。
けれど、もしかしたらその近くに、担任やいじめグループのメンバーがいるかもしれない。
俺はインターホン越しに、一旦彼と話をする事にした。
「た、宝くん……。何か、俺に用事、あるの?」
「……ああ。担任から頼まれて、今日のノートを渡しに……」
「そ、そっか。あ、あと……ここに来たのは、宝くんだけ?」
「ああ。お前をいじめていた奴らが、挙動不審になってお前の家に行こうとしていたから、軽くシメてから、来た」
「ヒエッ!」
淡々とインターホン越しに、暴力を示唆する言葉が出てきて、一瞬ヒュッと息が詰まった。
けれど、そういえば、宝が学校にいた時は、いじめも担任からの暴言もなかったのを思い出す。
もしかしたら宝は、案外悪い奴じゃないのかもしれない。
俺は玄関に行き、チェーンを外してドアを少し開け、隙間から宝に声をかけた。
「……宝くん。俺をいじめたり、俺に暴力振るったり、暴言も言わないよな?」
「は?そもそも、あんな事をして何のメリットがあるんだ?ストレス発散か?……まぁ、本当にストレス発散したいなら、せめて自分の部屋のゴミ箱蹴っとけって話だけどな」
「ふはっ。確かに!……宝くん、一回家にあがってく?ノートを届けてくれたお礼に、お茶出すよ」
宝の言った事に俺がクスリと笑うと、宝はほんのりと頬を赤く染めて「おう。じゃあ遠慮なく」と少し嬉しそうにはにかんだ。
こうして俺と宝は、俺の親が家に帰るまでリビングでたわいもない話をして、お互い笑いあった。
……その数日後に、俺がまた死ぬという事も知らずに……。