2-04 ぽんぽこ帝都身代わり婚〜妖狩りの旦那様と憧れのすろーらいふ〜
「鬼神と呼ばれる男の家に嫁がなければならないの」
怪我したポン太を匿ってくれた扇家の娘は、泣きながらそう言った。
(鬼だか神だか知らないけれど、貴女の代わりに私が嫁いで恩返しをさせていただきます!!)
実はポン太は雌だった。それも化け狸の。
人間の姿となり、扇家の娘として相手方の家に向かったポン太――もとい扇 蒼葉は、旦那様、百鬼 行雲にいきなり「結婚する気はない」と言われてしまう。
それでも蒼葉はめげなかった。意地悪な姑にも愛人の座を狙う芸者にも負けず、憧れの『すろーらいふ』を送るため奮闘する。
もふもふ尻尾に魅了されたのか次第に優しくなる旦那様だったが、どうやら妖狩りのお仕事が上手くいっていないようで――
「ポン太」
彼女――扇姫花は暗闇に向かって呟いた。
ポン太は殆ど眠っていたが、恩人の声を聞きつけ、ねぐらにしている縁側の床下からひょいと顔を覗かせる。
(姫様、どうかしましたか?)
ポン太の声は届かない。何故ならずんぐりむっくりとした狸だからだ。それでも、月明かりの下にポン太を見つけた姫花は、鈴を転がすような声で語りかける。
「あのね、私、結婚が決まったの」
彼女の一言にポン太はその場で飛び上がった。
(なっ、何ですと!?)
完全に目が覚めてしまった。これは一大事だ。何故なら彼女こそが、怪我をしたポン太を助け、扇家に住まわせてくれている心優しき人間なのである。
開国による西欧文明の流入で日本国は大きく変わった。変わったのは人々の暮らしだけではない。
産業文明の発展により、燃料確保のための森林伐採が盛んに行われるようになると、多くの動物たちは棲家を追われることになった。
ポン太の一族が暮らしていた山もそうだ。薪炭燃料にするために次々木が倒され、ついには荒廃してしまった。
ここ、扇家は宿なしの狸がようやく辿り着いた安住の地だと思っていたが、どうやらまたも追われることになりそうだ。
「ごめんね、あなたは連れていけないの。私が嫁ぐのは鬼神と呼ばれる男の家。きっと見つかったら食べられてしまう」
(ええ!? それは野蛮な旦那様ですね……)
ポン太の頭を撫でてくれる姫花は泣きそうな顔をしていた。鬼神ということは、人ならざるものと結婚するということだろうか。
妖や、化け物の類は意外と身近に存在するのである。
動物同様に山を追われ、人に悟られないよう擬態するなどして人里に紛れ込んでいるのだ。
「姫花ごめんね……。あんなところへ嫁にやりたくないのだけれど、相手はあの百鬼家。店に圧力をかけられたら逆らえないってお父さんが」
翌日の昼下がり、ポン太が庭に穴を掘っていると、母屋から母と娘の会話が聞こえてきた。
「大丈夫よ、お母様。体の弱い私を貰ってくれるというだけでも感謝しなくては」
「百鬼の母は体が弱いからといって甘やかしてくれるような人ではないわ。きっと無理やり働かされるに違いない」
扇家は造り酒屋だ。敷地にある大きな酒蔵には、近づいてはいけないと姫花にきつく言われている。なんでも、姫花でさえ入ってはいけないらしい。
「私が決めたことよ。お嫁に行けば当面はお金を工面してもらえる。一昨年の水害のせいで、今もまだ資金繰りが苦しいでしょう?」
「本当に……なんてこと。私たちは店のために娘を売るということなのね……。やっぱりお父さんに話しましょう。娘を売るくらいなら酒屋なんてやめてしまった方が良いのよ」
母親は堰を切ったように泣き出した。娘思いの良い母親なのだ。ポン太のことを害獣だと思いつつも、いなくなったら娘が悲しむだろうと追い出さないでいてくれている。
ポン太は考えた。姫花は病弱だ。少し外を歩いただけでも熱を出して寝込んでしまうことがあるほどに。
対してポン太はすこぶる健康。元気が有り余り、何もないのに庭に穴を掘ってしまうほどである。
(うーん? 私が姫様の代わりに嫁げば良いのでは?)
実はポン太は雌なのだ。それも化け狸の。ポン太というのは姫花がつけてくれた名前で、本当は親からもらった蒼葉という名前がある。
数ヶ月前にヘマをして猟師に撃たれた時は流石に死ぬかと思ったが、姫花に助けられて今ではこうしてピンピンしている。
傷のせいでしばらく化け狸の能力を失っていたが、もうそろそろ大丈夫だろう。
(えいっ!)
ポン太――もとい、蒼葉は変化を試してみた。庭の池を覗くと、橙色の髪を一つに束ねた可愛らしい少女の姿が映っている。袴姿も完璧だ。
「良かったぁ、ちゃんと変化できるようになってる」
化け狸の一族の中でも蒼葉は変化が大得意。人姿の蒼葉は、姫花ほどでないにしてもなかなか可愛らしい容姿をしていると思う。
ここへ来る前『めーど』として働いていた『かふぇー』では、一番の人気だった。――つまみ食いのしすぎで追い出されてしまったが。
鬼だとか、神だとか言われているが、相手はどうやら人の子らしい。狸姿を晒さなければ食われる心配もないだろう。
百鬼家というのは金持ちのようなので、上手くやれば今度こそ安住の地となるかもしれない。蒼葉は『すろーらいふ』とやらに憧れていた。
蒼葉は縁側に裸足で乗り上げガラス戸をがらりと開けると、胸を張って宣言する。
「姫様! 私が貴女の代わりに鬼神に嫁いで恩返しをさせていただきます!!」
◇◆◇
蒼葉の嫁入りはそれはもう、「あっ」という間に行われた。
突然化け狸の正体を明かした蒼葉に姫花の母親は泡を吹いて倒れたが、娘を愛する彼女は化け物にでも頼りたい心境だったらしい。
蒼葉は扇家の末娘、扇蒼葉として百鬼の家に嫁ぐことになったのだ。
「ポン太、本当に良いの?」
姫花は不安げに眉尻を下げ、扇家を出ていく蒼葉に問いかけた。
「はい。姫様に助けてもらわなければ今頃命がなかった身、貴女のためなら私は相手が鬼だろうと、鬼婆だろうと戦います」
「ありがとう。どうか元気にやってね。難しいかもしれないけど、たまには遊びに来て」
「はい!」
姫花には優しくてお金持ちの青年と幸せになってもらいたい。どうか体の弱い彼女を支えてくれる素敵な人が現れますように、と蒼葉は願う。
百鬼家が寄越した迎えの自動車に乗り込んだ蒼葉は、見送りに出てくれた人たちに笑顔で手を振った。
自動車とは不思議なものだ。誰も引っ張っていないというのに、運転手に操られてぐんぐん進んでいく。
道ゆく人々の視線を感じながら、車は下町を抜け、郊外の大きな屋敷が立ち並ぶ地域へと差し掛かる。
「うわぁ、大きいお家」
蒼葉は思わず感嘆の声を上げた。何故なら、百鬼家のお屋敷は門を通ってから邸宅までの間にも車で走る道が続いている。広大な敷地には立派な洋館とお屋敷が建ち、大きな池とちょっとした林まで存在するのだ。
万が一蒼葉が家を追い出されてしまった場合、狸姿でひっそり庭に住みつくこともできそうである。
「蒼葉さま、どうぞ」
「ありがとうございます」
車は洋館の前で停まり、『はいから』な帽子を被った初老の運転手がさっと後部座席の扉を開けてくれる。
蒼葉はお金持ちのお姫様になった気分で地面に降り立った。つい先日まで猟師に追いかけられていた狸だとは思えないほどの好待遇だ。
さて、この立派な西洋風の扉からお屋敷の中に突撃すれば良いのだろうか。蒼葉が背の高い洋館を見上げていると、中から扉が開かれた。
出迎えかと思いきや、建物の中から出てきた灰色髪の男は蒼葉に一瞥をくれることもなく歩いて行ってしまう。
「行雲さま! お待ちください、車でお送りいたします!」
蒼葉の嫁入り荷物を下ろしていた運転手が、慌てた様子で男の背中に声をかける。男は振り返ることなく、「不要だ」と短い返事をした。
「あの方はどちら様でしょう?」
「あの方こそ蒼葉さまのご結婚相手。百鬼家の現当主、百鬼行雲さまでございます」
運転手からその言葉を聞いた瞬間、蒼葉は去り行く男の背中を目掛けて走り出していた。
真の姿は獣である故、蒼葉は足が速い。運転手が「蒼葉さま!?」と驚きの声を上げる頃には旦那様に追いついている。
腰に挿した刀の柄に手をかけ、身構えた状態で百鬼行雲は振り返った。冷たく、光のない青黒い目が青葉を見下ろす。
鬼神と呼ばれているようだが、気配はやはり人の子だ。
きっちりとした詰襟の服を着て帯刀していることからして、彼は軍人なのだろう。独特のピリついた雰囲気を感じるが、蒼葉はめげなかった。
自らの旦那様と知り、無視することはできない。扇家でも、最初の挨拶が肝心と教えられた。
「私! 扇蒼葉と言います! この度、行雲様のもとに嫁ぐことになりました」
「またか」
「え?」
旦那様は面倒臭そうに溜め息をつき、刀の柄から手を離す。
「悪いが、俺は誰とも結婚するつもりはない。帰ってくれ」
嫌悪を孕んだ冷たい声で言い捨てると、男は足早に去ってしまう。
「えーーー!?」
流石の蒼葉もこれ以上追いかける気にはなれず、最悪の初対面に打ちひしがれた。まぁ、嫌なことはどうせすぐ忘れるのだが。
(そりゃ狸なんかと結婚したくはないだろうけど、まさか人の姿で拒絶されてしまうなんて!! 私、これからどうすればいいの!?)