2-03 神樹をカジりて、踊れよ!冒せよ!!
打ち捨てられた廃教会で盲目の修道女ガリィは謎の美女との対面を果たす。
頼みがあると言うガリィに対し、美女は聞く耳を持つどころか不純な視線をガリィに向ける。
この歪な交渉は度重なる邪魔もあってか、遅々として進まない。
しかも、ガリィとの対面を求めて集まる選りすぐり魔物たちにより交渉の場は混沌をきわめていく。
魔たる気性のためか、傍若無人な振る舞いのためか、遂に致命の騒乱を魔物たちが始めようとした時……!
真黒な修道服に身を包んだ少女が顔を上げた。
少女を正面から覗き込むのは扇情的なドレスを着こなす長身の美女。露わな肩にかかった長い銀髪が白い肌を流れ落ちていく。
「長老の言い付けは『娘に会え』とだけ。もう帰っても良いのだけど」
「困ります。私はあなたにお願いが」
「興味ないねぇ」
美女の素気ない声が礼拝堂、打ち捨てられた廃教会に響いた。
窓を失った壁穴から射す光。石床に散った椅子の残骸。どれにも不穏が溢れている。その最たる淫靡な視線が少女の顔、無防備な表情を舐った。しかし、目蓋は瞬かず、長いまつ毛は伏せたきり。
――生来の開かずか。
美女は紅色の唇から熱い吐息を漏らす。世の醜きを知らない最上の無垢と察したからだ。
「でも、アタシと遊んでくれるなら、考えてやろうじゃないか」
美女は高い位置の腰を折り、互いの顔が触れそうなほどに寄せる。
同時に長い指が黒い衣で覆われた未熟な腰を探り、胸へと至って峰を弄ぶ。
こそばゆい感覚に少女が俯く。唇を噛み堪える様を笑い、細い首を撫で昇らせた指先で華奢なあごをぐぃと持ち上げた。
少女を狙って輝く縦長の瞳孔。紅の合間から覗く二股の長い舌が怪しく踊っていた。
「や、止めろ、化け物! シスター・ガリィから離れろッ!」
不粋な制止。美女は少女越しにそれを見た。
背後に控えていた小姓らしき少年がナイフを向けている。手は震え、恐怖に引き攣る表情。救いの騎士どころか、尻尾を巻いて咆える子犬に美女は嗤った。
「チャカ、下がってて」
機先は、意外にもガリイと呼ばれた少女が制した。戸惑いながらもチャカ少年は素直に退る。美女は瑞々しい頬に舌を這わせ、耳元で囁く。
「助けたつもり? あれにお前のイイ声を聞かせたいと思っただけよ」
「止めんか」
また、制止。背に掛けられた野太い声に美女はうんざりした。
またしても、お預けを食わそうとする新たな輩に怒りが涌く。顧みることなく左の手刀を掲げ、後ろに振り下ろす。人体構造を嘲笑う可動域、腕が異常に伸びて、しなる。
瞬く間に遙か背後の不粋者へ届き、脳天を潰す。理不尽な一撃の巻き添えとなった出入口付近の壁が崩れ落ちた。
ぱらぱらと鳴る余韻のなか、ようやく美女は顧みる。叩き伏せた何者かの上に出来た瓦礫の山、すっかり屋外が見通せる様を一瞥して、鼻で笑う。ただ、瓦礫の隙間から覗いた岩と見紛う肌の腕に眉を顰めた。
「……魔像?」
言い終わらぬ内に美女は背後に身を躍らせた。
否、伸ばした左腕が強く引っ張られたのだ。宙を舞う格好で「え?」と声を漏らす美女の側で巨大な影が持ち上がる。慌てて影を目で追うも、視界全てが岩塊に埋め尽くされる。それが眼前に迫った拳だと悟った時には遅かった。
猛烈苛烈な拳打が美女の横面に叩き込まれた。そのまま美女の頭を潰し、石床を砕き、更に下の地面を環形に破壊、陥没させる。直下地震同然の衝撃に廃教会は倒壊する。
「何じゃワレ」
美女を叩き潰した巨影――身の丈三メートル近い岩の巨人は身を起こし、吐き捨てた。頭頂の埃を払い、砲台のように整えた伊達髪を直す。青い目を地震で転倒したままのガリィに向けた。
「ワレが長老の言いよった人牝か」
歩み寄る巨人。その脛に何かが摺り通った感覚。目を落とせば、足を巻き登る太い縄。早々に腰腹が右手首と共に巻き付かれる。縄の表面は鱗、まるで蛇と思った頃には巨体は絞め上げられていた。
縄の先端が巨人の背から正面へと回る。それは美女の上半身。ぐずぐずと形を戻す頭部に笑みが浮かんだ。
「やってくれたねぇ。この綺麗なお顔を叩いたツケは一等高いこと、思い知りな」
「オドリャあッ!」
自由な左腕が美女に掴みかかるが、小馬鹿にした仕草で躱される。空を切った手が蛇の胴を掴むも、巨人の掌でも余る太さ。苦し紛れは明白だった。
対して、美女の絞め上げは苛烈をきわめた。岩の肌に亀裂が入り始める。何より、鱗間から染み出た白色の汁――神経毒が巨人の体を濡らし、シュウシュウと泡立っていた。
「ぬぬぬぬぅ」
「はははははっ! 絞めでも毒でも、お前の好きな方でお逝きよ」
そう笑った美女に余裕が無くなる。
巨人に掴まれた胴がメキメキと軋み始めていた。力の大半を守りに振り分けねば握り潰されてしまいそうな馬鹿力に焦る。身体を這わせ、擦り込んだ毒を一つにしたことを悔やみながらも、新たな手立てを講じる余力はない。
美女と巨人。両者共に切った手札で押し通すしかなかった。
「ほらッ、さっさとくたばっちまいなよッ」
「ぬぅぅぅッ」
つと、空に稲妻が走る。
稲光は屋根を失った廃教会、二匹の魔物を照らし、遅れてゴロゴロと音が届く。
いつの間にか厚い黒雲に覆われた空の下。どちらかが力尽きるまで続く、命の綱引き。その勝負を稲妻が、再び彩った。
同時に耳を劈く雷鳴。周囲を包む雷光。つまりは直上からの落雷。
一気に天から地上へ駆け下りた轟雷が地表で炸裂して、廃教会、二匹の魔物、ガリィらを白色へと塗り潰した。
――沈黙。からの豪快な笑い声。
「うぁーはッはッはッ! その喧嘩、俺が買ったァ! 二匹纏めてッ、かかってぇーきやがれ! ……ん?」
雷を纏う小杖を両掌それぞれに握ってポーズを決めた童が目当てを失いキョロキョロと見回す。それもそのはず、さきの轟雷が全て吹き飛ばし、争っていた二匹を焼野原と化した大地に撃ち倒していた。いち早く美女が怒気を発した。
「この馬鹿ガキッ! ちっとは加減ってもんを考えろ!」
「おっ、蛇女じゃねぇか。丁度いい、この前の決着つけようぜ」
「ッざけるな! 娘を諸共に吹っ飛ばしやがって。どう始末つける気なんだよ」
「娘? あー何か長老が言ってたっけか。ま、そんなんいいからさ」
あっけらかんとした悪童の言葉に美女は唇を歪めた。こんなバカに幾度目かのお預けを食らわせられた挙句、あの美味そうな娘を消し飛ばされたなど、とは。
「このガキ、マジでブッ殺さんと気がすまないわぁ」
「同感じゃ」
乱れた伊達髪を整え、巨人も立ちあがる。
「長老の言い付け守れんかった以上、オドレらの首を持ち帰らにゃ詫びもできん」
「は? お前、アタシのブッ殺すリストの一番目だけど?」
「そりゃワシのセリフじゃ」
「うぁーはッはッはッ! いいっ、いいな! よぉし、大乱闘だ!」
各々の眼に各々の激情を滾らせ、自分以外の二匹を睨む。
蛇の美女は、長い身を渦巻かせ、紫色の爪先を妖しく指し出す。
岩の巨人は、岩塊と見紛う巨大な拳を握り直し腰を低く落とした。
雷の悪童は、両の小杖を掌で回転、翳して武道の如き構えを見せる。
「待って下さい」
一触即発の空気を解く声。睨み合う三匹の前に突然現れる人影。
消し飛んだはずの少女、ガリィだった。傍らにはチャカが座して控える。
美女の吐息が喜色を含み、巨人は眉間を歪め、悪童は「邪魔すんじゃねぇッ!」の叫びを伴う速攻で応じた。
「お願い」
「承知」
ガリィの呟きにチャカが別人の如き声色で答えた。
悪童の神速たる一撃をナイフが受け止め、散らす火花と共に在らぬ方向へと流しきる。間髪入れず悪童に迫るナイフの切っ先。首を捻って躱すも、それが牽制だと死角から首を掴まれて知る。
流した力をも利用して、チャカは取った左腕をねじ上げ、組み伏せる。直後、右腕や両足が魔術の杭で次々と穿たれ、悪童は封殺された。
「てめぇ!」
「控えよ無礼者」
「非礼は詫びます。ですが、長老様との約定。斯様な乱痴気で流すわけには参りません」
「……長老? 何処のじゃ?」
「あなた方、全員のです。西方での魔の三傑。毒魔、巌魔、雷魔に頼らねば、私の願いは叶いませんから」
「この件、厳魔の長老はどこまで噛んどる?」
「此処に集う所まで。あとは私の器量次第……どの長老様も仰っていました」
ねっとり嬲る視線を感じ、ガリィの背筋が凍る。
「だったら尚更さ。何の利もなく、お前の願いを聞く道理はないねぇ。それとも、次はアタシにその子犬をけしかけてみるかい?」
他も懐疑と敵意。好意的な視線は一つとしてない。
ガリィは口内で震え鳴る歯を噛み締めた。心に決めていた自身が差し出せる利を反芻、背筋を伸ばして「ならば」と口にする。
「〝純潔食いの毒婦〟ナーガ。あなたへの代価は、極上なる私の純潔。何色にも染まる無垢な心をもって」
人が知らぬはずの二つ名を呼ばれ、美女ナーガは目を細めた。
「いずれ私が為す偉業。その誉れと同価たるガリィ・イグドラシルの名を〝砂長じたる巌漢〟ギブー、あなたに」
ガリィを見下ろす巨人ギブーの瞳がギラリと光った。
「騒乱願う〝大暴れ雷太子〟ゲンシムには、天地魍魎を誘蛾の如く寄せる呪い。あなたに私の穢れた魂を」
組み伏せられた悪童ゲンシムは渾身のメンチ切りで応じた。
「……ワレの願いは何じゃ?」
駆け引きを知らぬ愚直な問いに、ナーガは内心で毒づくも好奇心に抗えず黙したまま。やがて、決意を秘めた小さな唇が開く。
「私を、連れ行ってほしいのです。東の最果てへ。私の眼を奪った最高如来、驚天のシャカの元へ」
ギブー、ナーガは共に唖然とした。
協定の東西境界を越えて東に。しかも、東方に君臨する主神の元へ!? 虚言にしても過ぎた内容に言葉を失う。
――沈黙。これを破るは、またしても悪童。
「ヤなこった。てめぇの願いなぞ、知るもんかァッ!」
ゲンシムの身体に稲妻が巡り、縛めの杭が全て弾け飛んだ。