2-24 買われた聖女~後宮であなたと白黒ショー!
世界随一の規模を持つ帝国、唯一無二の皇帝。
次代の皇帝を生み、国の政治さえも揺るがす後宮に、買われた聖女が送られる。
故郷を守ることを引き替えに後宮での陰謀に身を投じる聖女。
その聖女を利用して、権力を握ろうとする猛々しい皇妹。
聖女はしだいに一人の女を愛し始める。皇帝の寵をめぐりながらも、聖女の気高い愛が後宮を革命する。
帝国は南は内海を囲み、北は山を越えて大河を睨み、蛮族を近づけず。あまたの異民族国家を併呑し、唯一無二の皇帝を掲げている。蛮族に怯え、重税をかけては内部分裂をくり返していたその小国にとって併呑は嬉しささえあった、はずだった。
「……貴様たちは、我が帝国の恩恵を預かり、払えぬ税に子を売ることも無くなったはずだ。何故、逆らい、蜂起した」
鎮圧が終わり、幕舎の中である。
若い将軍シャムスは捕縛した首謀者を前に口を開く。帝国北方の管理者として、できうるかぎり穏便に治めてきたつもりである。征服者としての傲慢は多少あろうが、それにしても手の平を返された気分は拭えない。褐色の腕を組み、兜ごしに不快さを込めて睨みつけた。
そのシャムスをしっかりと見上げるのは白く滑らかな肌に淡い金髪の女であった。
「神の導きです」
女の言葉に、シャムスは侮蔑をあらわにした。この、北方の異教徒が信仰にいそしむのはかまわない。だからといって役所を襲い官吏を殺し兵を倒す理由にはならぬ。
「我が帝国が、貴様たちの神を愚弄したことがあったか? 法と税、兵は皇帝の統べるところであるが、心は統べぬというのが、我が開祖の厳命である。しかし、貴様たちは違う考えのようだ」
するりと剣を抜き、シャムスは女の首に刃を少し当てた。女は怯えることもなく見てくる。その目に狂信はなく、透徹さがあった。
「……神の導きと言ったが、どの聖典にあった、預言だった?」
「わたしが託宣を受けました」
シャムスは殺意で剣を震わせた。美しい白い肌に一筋、血の線が浮いた。
「聖女さま!」
捕縛されていた首謀者たちが、叫ぶ。北方国家は女を付随物として見る。しかし男たちは『聖女』を尊敬の目で見ていた。そこまでか、とシャムスは思い直し、剣を鞘に戻した。
「我が帝国に託宣というものはない。興味がわいた、聞こう。私と貴様とで、だ。他のものは下がれ」
反乱者たちは連れ出され、近侍たちも素直に幕舎から出て行った。
「さて。貴様は農民の娘と聞いた。何が託宣だ、誰の入れ知恵だ、答えろ『聖女』」
聖女ががかぶりを振る。
「入れ知恵ではないです。ある日、祈りの時に天啓がおりました。汝の考えは正しく思うことを為せ。それは、きっと誰もに与えられる啓示です。しかし、受け入れぬ方は多いでしょう。わたしは受け入れた」
シャムスは、がっかりした。透徹な瞳、みなの尊敬。そういったものから、傑物だと期待していたのだが、ただの狂信者だった。
「自分が常に正しく、やりたいことをしろ。アホか。やりたいから蜂起とは、短絡的だ、頭がおかしくなりそうだ、すぐに首を刎ねてやる」
投げやりな処刑宣告に、聖女が、はあ、と気のない返答をする。
「あなたは帝国人でなくなったら嫌じゃあないのですか? わたしは帝国人ではない。ルガリア人です。ルガリアの民として生まれました。なのに、帝国人なのだと教わる。それがおかしいと思いました。天啓は正しい。ルガリア人の証を立てるなら、帝国を追い払うしかないと思ったので、がんばったら、たくさんの人が協力してくれました」
聖女とか気恥ずかしいんですけど。照れ笑いには素朴さがあった。
しかし、シャムスはそれどころではない。この聖女の異常さに気づいたのである。もしくは、なんらかの天才か。
己は何者か。それを教えてくるのは親、師、友であろう。帝国の比類無い大貴族の家に生まれ、義務と権利を持つ。それが、シャムスである。己の全ては他者の反射で作り上げられている。――と、今この聖女に知らされた。
この聖女は、誰に言われようが己はルガリア人だという強烈な自我を持っている。その一点のために突き進み、とうとう帝国を引きずりだしたわけだ。北方のちっぽけな国の、農民の娘ていどが、である。天性の強さと言わざるを得ない。
「……貴様。名は?」
兜の中から鋭い声が放たれる。
「ソフィア」
シャムスがソフィアの腕を掴み、立ち上がらせる。そのまま、粗末な革鎧を剥ぎ取り、ついでに衣服も剥ぎ取った。
「ひっ、えっ」
いきなりのことに茫然とするソフィアをよそに、シャムスは肌を丹念に眺め、時には腕を上げ脇まで観察する。下部を隠す下着を剥ぎ取ろうとしたあたりで、ソフィアがシャムスの腕を弾き、後ずさった。
「こういったのは、別にいいんですけど! でも種牛を見るような感じは! 嫌なんですけど!」
ソフィアが、己の胸を隠しながら叫んだ。陵辱は貧しい女の常であり、経験ないながらも覚悟はある。しかし、シャムスは女を愛でるというよりは、家畜の検分のようであった。
「種牛! 言い得て妙だ。当たらずとも遠からず。私はお前を買う。後宮につっこむから、皇帝の子を産め」
種牛ではなく胎のほうだ、とシャムスは力強く言った。ソフィアが首をかしげた。
「あの……あなたに得が?」
「貴様を伴って、私が後宮に行くのだ」
シャムスの端的な答えに、ソフィアが驚きと好奇の声をあげた。
「あなたが! あなたが『かんがん』というものですか! 初めて見ました!」
今度はソフィアが検分するようにシャムスを見ながら周囲を歩く。覗きこむ聖女に、シャムスは怒鳴りつけた。
「私は! 女だ!」
兜を脱ぎ捨てシャムスは叫んだ。褐色の肌は艶やかな光があった。黒く長い髪がばさりと広がる。やけくそのように、胸板を外すと、豊かな胸が見えた。
「後宮に入る前、行きがけの駄賃で暴動の鎮圧に来たわけだが、良い拾いものをした。貴様は型破りなおもしろさがある。皇帝陛下もきっと気に入る。子を産め。それを私の子とする」
「……わたしがする義理ないですよね。殺されてもいいし。皆も死ぬ覚悟って言ってたんで処刑でいいですよ」
ソフィアが口を尖らせた。この女の望みなど一つである。
「私は貴様を買うと言った。この、シャムスが買ってやるのだ、文句があるのか」
「ございません。で? 対価は? お支払いは?」
シャムスの言葉にソフィアが目を輝かせて言った。買う方が払えぬというなら売らぬ、と言わんばかりの顔であった。貴様は選べる立場ではない、と叫びたかったが、妥協した。
「名は残そう。ルガリア州でもルガリア自治領でも。しかし帝国から切り離せん。もはや、貴様のルガリアは一人で立てん」
「わたしのルガリアじゃあないですよ、みんなのルガリアです」
ソフィアが強い視線で、柔らかく笑んだあと、少し眉をひそめた。
「ところで、わたしが産んだら……わたしはあなたのライバルになるのでは?」
もっともな言葉であったが、シャムスは問題無い、と返す。
「貴様は私の部屋のものとなる。私と同じ。お前が子を産めば私の子と同じ」
「姉妹婚ですか?」
聞くに女同士の互助会らしい。子を一人でも無事に育てるためにできたようだった。かなり違っているが、シャムスは説明を諦めた。ソフィアは才気はあるが教育は無さそうであり、齟齬を正すより勘違いのままで良いと思った。特に支障はない。
「まあ、そんなものだな。姉妹婚で良いだろう」
シャムスの言葉にソフィアが頬を染めて腕を掴んできた。頬を染めると、林檎のように紅くなっていた。
「姉妹となれば、命をかけて相手を支え、支えられる関係です。あなたが子に看取られ神の元に旅立つまで、わたしはあなたを支えます。姉妹婚もルガリアの民の誇りです。あ! 正式な儀式はあとでしましょうねっ。秘密なく、嘘なく、裏切りなく、互いを誇りにするのです!」
土臭い慣習だと思っていたそれは、思ったより重いものだったらしい。シャムスはソフィアに押され、おう、と小さく呟いた。シャムスはどちらかといえば押しの強い人間であったが、ソフィアの押しの強さは群を抜いている。
そして、彼女の声には抗いがたい魅力がある。飾ってもいない、本心の言葉垂れ流しなのに、聞いているものの心を掴んでくる。この国の人々もそうであったのだろう。今、シャムスも酩酊のようなものを感じた。
「どうして、あなたは子を産まないことを前提としているのですか?」
初対面の人間に問うものではない。シャムスは一瞬、苦い顔をしたが、口を開いた。
「……私と皇帝は兄妹だ。表向きは従妹となっているが、子は為せん」
何故か、言ってしまった。誰にも言うな、と思わず念押しすれば、ソフィアは
「もちろんです。姉妹ですもの、秘密は守るものです」
と、言った。
シャムスは、どこか陶酔めいたソフィアをふりきり、後宮を思う。広大な帝国を象徴するかのような、多彩な都市国家。シャムスは家を背負い、乗り込んでいく。次の皇帝だけではない。帝国の永遠を手に入れるために、乗り込む。そのためには手駒がいる。シャムスはその手駒、ソフィアに賭けることにした。
「賭け事は、負けたことはない」
生涯、誰にも愛されることはないだろう。シャムスは目を閉じたあと強くこぶしを握りしめた。
そのころ。皇帝ミシュアルが、シャムスを今か今かと待ち構え、床を同じくしようと考えていた。それは、近親姦という罪である。
「知らないふりしてたら、あの子も許してくれると思うんだ。どう思う?」
ミシュアルはアーモンド色の肌をした乳母に膝枕されながら言った。乳母がなまめかしく笑う。中年の女の色気であった。
「シャムス様は男顔負けの武勇の方ですけど、かわいらしい女の子ですものね。陛下のお好きに」
乳母も勢力である。彼女は、敵がひとつ消えたとほくそ笑んだ。