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2-23 魔女を脱がせてはならぬ

かつての大魔女がひき起こした惨劇『狂乱の夜』。

それにより大きな被害を受けた人間達は、百年以上経った今でも魔女を恐れていた。本物の魔女になど遭ったこともないのに、「日照りや疫病は魔女の仕業」「魔女は黒髪に黒い目の美しい女」「魔女に出会ったならその黒いローブを決して脱がすな」等の言い伝えを信じ、また次の世代へ伝えていく。


そんな世界の中で言い伝えに疑問を持ち、村の人間から変人扱いをされている青年エドは、ある日新鮮な食べ物を求めて魔女が棲む山の麓、入ると呪われると噂の森へ分け入る。そこで出会った妖精のような美しい少女ベラに惹かれていく。が、彼女の正体は。


「私、魔女じゃありません……魔女になれない半人前なんです……」

魔女を脱がせてはならぬ。


きらめく星々の宿る黒い瞳、オーロラを散りばめた黒い髪、満月のような白く透き通る肌。

美しい闇夜の化身、それが魔女。

だが彼女に触れてはならぬ、近づいてもいけない。

闇夜はあなたを捕らえ、引きずり込み、二度と陽の光が射さぬ世界に閉じ込めるだろう。


魔女を脱がせてはならぬ。


魔女は人に非ず。人を憎み、人に災いをなす。悪しき存在、忌まわしき者なり。

彼女が(いか)れば日照りが続き、彼女が泣けば止まない雨になる。彼女の吐息からは毒が零れ、疫病となって世に蔓延(はびこ)る。

その真っ黒いローブの下には、恐ろしい魔法の数々が秘められている。彼女がローブを脱げばこの世界すべてを破壊できるだろう。


魔女を決して脱がせてはならぬ。



 *



 それは『狂乱の夜』と後に呼ばれ、百年以上経った今でも語り継がれる惨劇。(かつ)ての大魔女は人間への怒りをつのらせたあまり、天から石の雨を降らせたのだそうだ。


 闇夜を照らす火柱を背景に、大小様々な石(つぶて)と人々の悲鳴が降り注ぎ、国の中央はまさに地獄の様相であった。石の雨は人間を壊し、壁を壊し、家を壊し、城ですらも容易く壊す。最も巨大な岩石はこの国の山のひとつに直撃し、山頂を削って窪ませカルデラを作った。


 大魔女は恐ろしい力を人間達に見せつけた後、「もう二度と自分に関わるな」と告げ、そのカルデラの奥に消えたという。


 その大魔女の血を引く魔女達は過去の人間への怒りを忘れていない。だからもしも魔女に遭ったなら、すぐさま逃げるか、逆に近づいて両手を抑え、ローブを脱げないようにするのだ。魔女の黒いローブを脱がせるのだけはいけない。恐ろしい魔法を使われてしまうから――――



 ――――エドは幼い頃からそう教えられてきた。彼だけではない。この国の子供たちは皆、親や祖父母にそう聞かされて育つ。そして何も疑わずに成長し、一生のうち一度も魔女に遭う事が無いまま、自分の子や孫に同じ内容を言い伝える。その行為は連綿と続いてゆくのだろう。


 だが、エドはその言い伝えに疑問を持っていた。


(馬鹿馬鹿しい。そんな事、全部が全部本当じゃあない筈だ!)


 太陽の熱がエドの黒い髪や引き締まった体躯をちりりと灼き、彼のイラつきを更に煽る。エドは足を踏み鳴らし街道を進んだ。


(この太陽を操って日照りにしたのも魔女だって? もしもそれが本当なら、彼女達はとっくに俺達人間を飢饉で餓えさせ、病で滅ぼしているに違いない!)


 彼はある時からそう考えていた。だが周りの皆に何を言っても誰もまともには受け取らず、彼は変人扱いをされている。陰では「可哀想に、ショックで頭がおかしくなったのよ。あんなことがあってはね……」と言われる始末。


(俺はおかしくなんてなっていない!)


 彼は今、二つ隣村の更に先にある森へ向かっていた。目的地は村の皆への当て付けもあり、魔女が棲むと言われているカルデラ山の麓、誰もが恐れて足を踏み入れぬ禁忌の森だ。


 今朝、夜も明けきらぬうちに、彼はそっと自分の村を出発した。街道を北西に進み、北隣の村を通り過ぎ、二つ隣の村に到着した時には、太陽は頭の真上に座してギラギラと全てを照りつけていた。水を貰い喉を潤したエドは再び出発し、暫くは街道沿いに歩いていたが、今からわざと街道を外れ木々の合間に足を向けようとしている。


 視線の先には鬱蒼とした森。その木々の頭の先から窪んだ山頂が姿を見せていた。


「魔女の棲み家には絶対に近づいちゃなんねえ。特に若い男など、生き肝を抜かれて殺されるぞ。魔女は男の肝が大好物だって話だからな」

「カルデラは勿論、麓の森にも近寄っちゃ駄目よ。あそこには魔女がまじないをかけているから、立ち入った者は呪われるからねえ」


 道中、隣の村もその隣の村の人間も魔女を恐れてそんな事を言っていた。


 しかし立ち入れば「魔女に呪われる」と言って誰も近づかない禁忌の森。そこにはきっと、まだ誰も刈り取っていない木の実や野草などの恵みがあるのではないか。ここのところ日照りが続いている為に、エドの住む村の皆は新鮮な食物に飢えている。エドはこの森から恵みを手に入れ、村を救いたいと考えていた。それに。


(魔女の呪いなんて存在しない!)


 彼は自分が森から無事に帰る事で「魔女に関する言い伝えには間違いもある」と村の人間に主張するつもりでいたのだ。エドは自分を鼓舞し、足を進めた。


 森に入るとひんやりとした空気が彼の身体を包む。先ほどまで灼熱に曝されていたエドにとって、それは快いものだった。……が、暫く歩いているうちに考えが変わってゆく。


(……まるで、帰れと言われているようじゃないか)


 微かに霧が煙る森をどれだけ進もうとも、木の実も野草も見つからない。獣も鳥の声も聞こえず、似たような景色が続き迷路のようだ。ふと気を抜けば、凸凹とした木の根に足を取られて転びそうになる。稀に射す木漏れ日はぬくもりを与えてくれず、白んで冷えた空気はエドを拒絶しているように思えた。


(やっぱり……魔女の呪い……?)


 彼は歩み続けていた足を止める。首にかけていた紐を手繰り、普段は服の下に隠している大切なお守りを取り出した。それは男性であるエドには少し可愛らしすぎて不似合いな、様々な色の糸を編み上げて作られた、虹色の花の紐飾りだった。


 エドがそれを眺めて佇み、どのくらいの時間が経ったろう。首筋に当たる空気がふわりと柔らかく温かくなった気がして顔を上げると、目の前の白んだ景色が少しずつ色を取り戻していく。森の霧が徐々に晴れていったのだ。


「マミ、もう少しで森を抜けるわ。今日は暑い日になりそうね」

「ミャオン」


 笛が奏でる様な澄んだ声が木々の間を縫い、風に乗って流れてきた。彼はその声に釘付けになり、茂みの向こうへ目を凝らす。暫く待つと一人の娘が現れた。彼女の姿を目にした時、エドは目を見張った。血が逸り、沸き立つようにドキドキと脈を刻む。それなのに身体は凍りついて動けない。


(森の、妖精……?)


 陽光で時折透けるように見えるのは、ふわふわと丸まった麦わら色の髪の毛。その髪がくるむように周りを縁取る卵形の顔には、薔薇色の頬と小さなそばかすがある。ねずみ色のローブから伸びるほっそりとした白い脚につる草で編んだサンダルを履き、その横に一匹の黒猫がピッタリと寄り添っている。


 森の奥に棲む妖精が人に化けて現れたのでは、と思わせる神秘的な雰囲気が彼女に漂っていた。彼女は足元の猫に話しかけているため、立ち尽くしたエドに気づかないまま歩を進めている。と、先に猫が彼に気づいた。黒い四肢を突っ張り尻尾を立て、エドに向かい威嚇の唸り声をあげる。


「フミィーッ!」

「マミ?……あっ?」


 彼女は顔をあげ、漸くエドに気づいた。今しがたまで柔らかかった表情に驚きが、次いで怯えが広がる。恐怖に見開いた瞳は水色に近い青空の色で、それはエドにとって遠い記憶の中にいる人を思い出させる色だった。


「……っ」


 次の瞬間、彼女はくるりと(きびす)を返した。


「待って!」


 逃げ出す少女と猫を追うエド。彼の方が足の早さは上だったが、木の根がそこら中に張り巡らされた森の獣道を少女は跳ぶように駆け、二人の距離は縮まるようで縮まらない。


「待ってくれ、怪しい者じゃないんだ! 俺はただ、食い物を探していただけで……!」


 エドが走りながら息を切らせそう言うと、娘は立ち止まり、少しだけ振り向いて肩越しに質問をした。


「食べ物を? なぜ?」

「村に日照りが続いて、ここなら何かあるんじゃないかと思って」

「……」


 少女は無言で手に持った籠の覆いを取りのける。そこには野苺、山葡萄、どんぐりなど森の恵みがぎっしりと詰まっていた。


「……あ」


 思わず一歩歩み寄ったエドに、少女の厳しい声が飛ぶ。


「動かないで!」

「!」


 素直に足を止めたエドの様子を確認し、彼女は話が少しは通じると判断したようだ。傍らの大きな葉を何枚か摘むと地面に敷き、籠の中身を移した。


「いい、まだ動いては駄目。私が完全に見えなくなったらこれを取っていいわ。でもこれきりよ。もうこの森には来ないで」

「……わかった。ありがとう」


 少女はゆっくり後退りを始めた。エドは約束を守り一歩も動かなかったが、彼女の姿を目に焼き付けたくてじっと見つめていた。だから自分の後方には注意を全く払っていなかったのだ。


「あっ?」


 少女がエドの後ろを見て高い声をあげる。彼も振り返ると、大きな猪がこちらに向かいのそりと動いていた。野苺やどんぐりの匂いに引かれたのだろうか? だが、それにしては野苺の方向よりも真っ直ぐにエドを見ているような……。


 次の瞬間、猪は猛スピードで走り出し、エドに体当たりをした。太い牙が彼の横腹をえぐる。彼の身体は吹っ飛び、木の幹に打ち付けられた際に頭を打った。


「うっ!」

「待って! 猪さん!」


 エドは朦朧としながら熱さと痺れが主張する脇腹に手をやった。ぬるりと生温かい血の感触が指を伝う。ぐらぐらと揺れる視界に映るのは、血走った目で彼を見つめ、とどめの一撃を食らわそうと土をかく猪。彼は自らの死が迫っているのを感じた。


(ああ、俺は……)


 それでもいいか、と思えた。16年前に殺された家族の元へいけるなら。彼は目蓋を閉じかける。


「やめて!」


 狭い視界の中でねずみ色のローブがひらめく。猪とエドの間に少女が割って入ったのだ。エドは意識を失う直前、確かに見た。


 彼女のローブの下に隠された美しい魔法を。

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― 新着の感想 ―
[一言] ごめんなさい。間に合いませんでした。 冒頭の口承文学のような出だしと、最後の引き、グッと心惹かれました。エドはなにを見たのでしょう。そしてなにを見つけていくのでしょう。 派手な物語展開では…
[良い点] おおー!これは気になる。続きどうなる? [一言] 単語一つ一つが吟味され配置されているように感じました。 魔女の『噂』と『実物』のギャップがあればあるほど良さそう。 面白かったです。
[良い点] どきどきしながら読み、惹かれていきました。 こういうお話大好きです! 児童文学を読んだあの頃の記憶を刺激されました。 文章が綺麗だと感じました。 その光景が見えた様でした。 とっても続きが…
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