2-20 ベアーガーデン
これはほんの少し先の未来での話。
仮想VR空間での利用が当たり前になっている世界。
宝島コーポレーションの初代会長が作り出した巨大仮想空間、ReVoltは地球全体の生活インフラ、コミュニケーション、教育の中心となっていた。
制作者であり、初代会長である宝島遊作は死ぬ直前、ReVoltの権利の永久放棄を約束する。これにより、仮想空間の権利はそれを利用する個々人によるものとなった。
しかし、それは仮想空間の支配を奪い合う新たなマネーゲームのはじまりに過ぎなかった。
遊作の孫であり、宝島コーポレーションの現会長である遊人は、仮想空間内での運営権を収集するためのチームを作った。そのチームの監督を任された針山。
針山は、まずは令和中期に作られ拡大し続けたが、その運営が放棄されたベアーガーデンの運営権を奪うために、ゲームの攻略を行うことにする。
僕らの知らない遠い世界、語りかける一匹のネズミ。
「こんにちは、お元気ですか。今日もベアーガーデンはいい天気」
まじめな顔で、きれいな声で、信じきってハキハキと。
ネズミは黒ぶちの眼鏡と灰色のスーツ、目の前のカメラに語り掛けた。
このネズミ、白い毛並み、瞳は宝石。言葉の端々に知性と教養が見える。
彼の名前は、トニー・マウス・マイルス。
この世界の大きな都市、ベアーガーデンの放送局のアナウンサーだ。
どこの家にいようとも、どこの工場で働こうと、誰がどうしたことだとしても、何かあった次の日でも、彼の言葉で朝が始まる。
そう、それこそがベアーガーデン、この物語の舞台である。
「エッフェルン!」
ちょっと大きな咳払い、手元の資料を二度見して、眼鏡をくいっと指で上げ、離して近づけてまた近づけて。ピントが合って、ようやくニッコリと笑うと読み上げた。
「今日もベアーガーデンの工場は元気に稼働、会社の株価も右肩上がり、銀行はお金をスリスリと、資本家のみなさまに届きます。万事が安全、すべてが完璧。素晴らしい朝のために、誇らしげな夕のまたたき、終わるまでが夜のはじまり」
ずいぶんと明るい調子だ。見上げてテレビを見る労働者たちは暗い顔をしているのに、彼には見えないらしい。当然だ、紙を読み上げているだけなんだから。
はあ、と街頭に立つ労働者の一人がため息をついた。
肌の荒れたカバが、消えそうなロウソクの瞬きを見るような目でテレビを見ていた。
トニーは明るい調子で、夢物語のようなステキな国の話をしている。
どこにあるんだろうそんな国、あるならボクに、見せてほしい。
「だれだ! ため息をついたものは!」
制服を着たオオカミが吠える。
朝のこの時間はトニーのニュースを見る時間。そんな時にため息とは。
じろりと労働者をにらみつける。カバの頬にピンクの汗が流れる。
「よく聞くんだ! 今日は市長も出演されるんだぞ!」
オオカミがそういうと、画面が切り替わる。そこには熊がいた。
でっぷりと肥えた熊。スーツからはみ出るほどの肉。
その身体には富が詰まっている。労働者たちの血と汗の浸み込んだ富が。
「デュフヒヒヒ……」
熊は、カメラに向かって舐めるような目で見て笑った。
「みなさん、おはようございます」
「「「おはようございますっ!」」」
町中に、大きな声が響き渡った。
規則正しく、規律正しく、だけどそんなルールなどなく。
誰かがはじめた。誰もがわかっていた。
ここで大声を張り上げなければいけないことを。
「わたくしこそが、ベアーガーデンの市長、ベアーでございます。今日も元気に働きましょう! 本日のノルマは先週の10倍。動かなくなったあの子のぶんまで、隣のあなたが肩代わり、全身全霊ぶん回し、街をみんなで支えあい、これぞ善意の相互社会。わたしはトップ、あなたは代表、みんなの目標、明日の指標」
そう言い切ると、スーツ姿の熊は目を見開いて叫んだ。
「さあ、復唱!」
「「「「本日のノルマは先週の10倍! 動かなくなったあの子のぶんまで! 隣のわたしが肩代わり! 全身全霊ぶん回し! 街をみんなで支えあい! これぞ善意の相互社会! あなたはトップ! わたしは代表! みんなの目標! 明日の指標!」」」」
動かなくなったあの子、その言葉にズキリと胸が痛んだ。
昨日まで一緒に笑っていた、大事な人だった。
決して部品や機械じゃなかった。
アイツらの道具なんかじゃなかった。
苛立ちに近い想いが、頭の中をこだました。
されど、テレビの中の熊は彼ら一人一人の気持ちなど気にもしないように続ける。
だからこそ、苛立ちは沸々と湧きだつ。
今は何時だ。なにをしているんだ。
「今は3時、本日もあなたちは働かなければいけません!」
俺はだれだ、なにしてるんだ。
「あなたたちはこの街の労働者、身を粉にして働くのが使命です!」
俺たちは将来なにになる、この先の未来はどうなっている。
「大事なことはあなたがあなたであることです」
そう俺は俺であるべきなんだ。
誰かがそう考えた、誰もがそう思っていた。
きっとむかしから、ずっと前から。
その卵にはヒビが確かに入っていた。
だから割れるのは必然なんだ。
クラッカーのような、乾いた音が鳴った。
巨大なテレビが、ビルから地面に落ちた。
ガラスとガラスがぶつかり合って、滝のような音が響いた。
「何があった! 誰がやった!」
制服を着た犬が銃を持ち出して、叫んだ。
当然だ、これは反逆だ。
茫然か、これが盤石だったと?
誰もが何もしないと、奴らは安心してたのか?
何かが変わった。力が湧いた。
「だから、俺たちが動き出す時だ!」
大声をあげた誰かの言葉は、ただ単純な掛け声であったが、それゆえに俺たちの心を揺らした。戦え、目の前の敵に対して怒りをぶつける時だ。
悪いやつがいたじゃないか。拳を握り締める時じゃないか。ただ、その苛立ちを目の前にぶつけ、進め!
秩序だったシステムは歯車のゆがんだ時計のよう。震えた秒針が、ありえぬ方向へと向いていく。建物を壊せ、資産家の懐に入ってしまうものなど奪え、目指すはベアーのもとへ。支配者を殺し、我々をあるべき姿に戻すのだ。
反撃ののろしを上げた群衆が都庁に殺到した。ベアーを守る犬たちは怒れる市民たちになすすべもない。
都庁は精圧され、なかで放送を行っていたベアーは群衆の前に引きずり出された。
殺せ、殺せ、殺せ!
群衆の言葉とともに、どこからか戦車がやってきた。
ベアーは戦車に轢かれて、見るも無残な姿に変わった。
こうして、革命はなされたのであった!―――
――――寂れたオフィスの角、5人の男女が椅子にもたれかかっている。
頭にはVRゴーグルをつけていた。
彼らの前には一人の男性が腕を組んでいる。
ぼさぼさの髪、生気のない眼。疲れ切った様子だが、瞳の奥には闘志がある。
首には社員証がかかっており、そこには針山一≪はりやま はじめ≫と書かれていた。
針山は腕時計を確認する。朝の10時、到着した5人がVRゲームを開始してから2時間。そろそろ終わったころ……
「おーい、時間だ! ログアウトしろ!」
針山は両手を叩いて、5人に呼び掛けた。
呼びかけられた5人はゴーグルを外して、針山のほうを見た。
先ほどまで、ゴーグルをつけていた5人。
服装も年齢も多種多様。わかるのは、見るからにそのオフィスには不似合いな人物たちであるということだ。
「よーし、それじゃ、今回のワールドについて説明するぞ! なにか質問はあるか?」
「はい……」
針山の問いに、一人の女性が手を挙げた。
緑色の短く切りそろえた髪、つむじから黒い色が出て、抹茶プリンのような髪の色をしている。
おどおどとした様子。
「わたしぃ、所沢照≪ところざわ てる≫と申しましてぇ。さっき、30分前に来たら、ゴーグル渡されて、このゲームしろ言われたからしたんですけどぉ。え~、動物みたいなのが何か怒りだしてぇ。気づいたら、殺されてたんですよぉ。このゲームなんなんです?」
針山は頭をかきむしり、ため息をついた。
「それについては、2時間前に説明してたんだよ……遅刻しやがって。」
「すいません……そもそも、これは何をするんですか? 」
「あぁ!」
所沢の質問に苛立った様子で返事する針山。
「ほら、私、じつはVtuberの中の人やってまして、ちょっとコゲついちゃって、半年くらい活動休止してるんですけどぉ。その間で、電気代払えなくなっちゃって、それで相談したら、ここでバイトを紹介してもらえたんですが……」
「それもメールに書いてあったろうがぁ! まあいい! もう一度説明する!」
そう言って、針山は5人に向って言った。
「知ってのとおり、宝島コーポレーションの初代会長、宝島遊作≪たからじま ゆうさく≫が仮想空間、ReVolt≪リボルト≫を作り上げた。この仮想空間は、現在ではだれもが生活で利用するインフラとなっている。しかし、遊作は死後、自身の作ったReVoltの権利を永久に放棄した。これにより、仮想空間はそれぞれの空間の製作者、あるいは一定の条件を満たしたプレイヤーに所有権を持つようになった」
バンと、針山はデスクを叩いた。
「もったいない話だよ。すべての空間で利用料及び、広告でも貼れば、会社の利益になるし、宝島コーポレーションは国を超えた巨大企業になれる。もちろん、現社長であり、遊作の孫である遊人社長もそう思っているのだろう。俺たちに仮想空間の権利の買収、収集を行わせることにした」
「それに私たちが集められたことに何の関係が」
「もちろん、あるとも、ここに集められたのは炎上したVtuber、FPSプレイヤー、出所したばかりの暴露系Youtuber、ハッカー、転売屋。各々の特技を生かして、ReVolt内でつくられた仮想空間の現運営から所有権を奪ってもらう」
「ドラゴンボールのフリーザ軍みたいなものか~」
「さて、それでは、さっそくだが今回のワールド、ベアーガーデンについて説明させてもらうぞ」
そう言って、針山は資料を広げた。