2-19 エンディングは終わりじゃない
「乙女ゲームの世界に転生して、攻略対象みんなと仲良くしちゃう愛されヒロイン」を自称していた母が死んだ。
愛人と一緒にいた時に、事故に巻き込まれて。
そして母の葬儀が終わった時、母の愛人の父親が怒鳴り込んできた。
息子が死んだのはあの女のせいだ。賠償金代わりに娘を寄こせ。と。
……貞操を重要視する貴族の社会では、不貞の結果生まれた子供はひどい扱いを受ける。家畜のように連れ去っても、何も思わない者達がいるのも事実。
しかしネルたちの後見人、コラー子爵の対応は異なっていた。
逆ハーヒロインのハーレムルート達成後、逆ハーレムの結果生まれた子供たちとその保護者の話。
貞操観念の強い社会で、「みんなに愛される私、複数の高位貴族の子息をゲットして逆ハーでハッピーエンド」目指してがんばったらどう見られるか。
答。
「あれって、ただの股と頭の緩い阿婆擦よね」
これ以上ないくらい大きなため息とともに吐きだした妹を、
「ちょっとヴィヴィ、言葉がきついわよ」
そう、ネルは窘めた。
「でも、事実でしょ?片手じゃ足りない数の男性の愛人になってて、都合よく遊ばれてて誰にも真剣になってもらえなかったのに、それに気が付かない脳内お花畑だったんだから」
「事実だけど、あれでも私たちの母親よ?」
そう、困ったことに『私は乙女ゲー世界に転生した愛されヒロインなの!』と公言してはばからなかった恥ずかしい女は、ネルたちの母親だった。
その母は今や無事に土の下だ。愛人と観劇に行った帰りに、歩道に突っ込んできた暴れ馬の蹄にかけられて、あっさりこの世を去ってくれていた。
とはいえ騒動のもとが消えたからと言って、母が生み出したトラブルまできれいさっぱり消えてくれるわけではない。
「おかげでまた、巻き込まれてるわね」
母と同じ赤味がかった金髪の妹は、恨めし気にすら見える目だけをネルに向けた。
「死んでからまで迷惑かけないでほしいわ」
「せめて愛人を庇うふりくらいして死んでほしかったね」
養子に出された先から葬儀に駆けつけてきた兄は、なかなか辛辣だった。
「あの人には無理でしょ、『ヒロインちゃん』は庇われて当たり前としか思ってなかったし」
暴走馬車は歩道にいた十人近くの人間をはねて殺傷していたが、巻き込まれて死んだ歩行者には母の愛人も含まれていた。
愛人一人だけなら逃げおおせただろうに、母は迫って来る馬車を見て盛大に悲鳴をあげながら、愛人にがっしりしがみついて全力で引き留めたらしい。おかげで死者が一人増え、息子を失った他家がおかんむりというわけである。
三人がくつろぐ居間の隣では、激怒を装う他家当主と、三人の後見人が会談中だった。
「それにしても、ドラ息子が死んだから代わりにヴィヴィをよこせってのは、筋が通らないよな」
ドアを隔てて隣り合う応接間からは、怒鳴り声が聞こえている。落ち着き払った後見人の声とは対照的に、他家当主はひたすら怒鳴り続けていて、話の内容は筒抜けだった。
若くて美しい娘を手にする機会だととらえ、恫喝しに来ているのだと、よく分かる怒鳴り声だった。
「あの人、年もわきまえずに私に粉をかけに来るスケベオヤジよ。息子が死んだことはただの口実ね」
「死んだ息子はどうでもいいのか?情の無い親だ」
「息子の愛人の娘に手を出そうとしてる人よ?まともな感性なんか、あるわけないじゃない」
「それもそうだな」
情の無い親、というだけならネルたちの母親だってそうだった。
母にとって、子供たちは夫を試すための道具。『私を愛してるなら子供の面倒みるわよね』と言い放ち、書類上の関係に過ぎない夫が自分をないがしろにしていない、と証明させるための何かに過ぎなかった。
血縁上の父親たちだって同じだ。母に書類上の夫が出来てからも複数人で手を出し続け、子が産まれてもしらばくれ、養育費は銅貨一枚すら支払わず、偶然を装って会いに来る事すらしていない。母の書類上の夫、つまり母の監視役をつとめていたコラー子爵に面倒ごとは押し付け、程よく育った娘たちを『おいしく』頂こうとした下衆ばかりだ。
それに比べれば、『妻』が産んだ子供たちにしかるべき神殿で『貞淑者の儀式』を受けさせ、実父たちの庶子に対する権利をすべて放棄させて、ネルたちが利用されないよう後見人に立ってくれたコラー子爵のほうが、よほど父親らしいだろう。
あの男たちと比べるのは、コラー子爵に対して失礼でしかないけれど。
「それにしても、人間としてありえないヤツよね」
「ヴィヴィ、お口が悪いわよ」
「言いたくもなるわよ」
「せめて『ありえないヤツ』じゃなくて、『人間未満の魂をお持ちの方』とでもおっしゃいな?」
「姉さんもキツイわね」
「当たり前でしょう?私はあなたのお姉ちゃんなんですからね?」
諸般の事情で年齢よりも大人びているが、ネルと寄り添うように育ってきた妹だ。その妹に手を出そうとしている祖父と同世代の男など、けしからん相手でしかなかった。
「ああ、終わったようだ」
ガタンと何かをひっくり返す音に、コラー子爵が冷静に『請求額を増やしましょう』と言っている声が続いた。
「うわぁ、お父様、容赦ない」
面と向かって父と呼ぶことは許されていないが、陰で『お父様』と呼ばれている事はコラー子爵も知っているし、ネルたちがそれを咎められたことはない。
「そりゃあ、容赦する必要ないだろ?」
兄は苦笑気味だった。
「お父様にとってはどうなのかしら?あのクソジジイ、政敵ってわけでもないわよね?」
「クソジジイなんて言葉を使うのは、おやめなさいな」
品の無い物言いはたしなめておく必要があるが、妹が言いたいことはよく分かるネルだった。
「たしかに、品性が地の底を這ってるような方ではあるけれど」
「ネルも容赦ないなあ」
「手加減する必要があります?」
「無いな。君らも父上に似たねえ」
「嬉しいわ」
「おっと、終わったようだ」
なにやら賑やかだった応接間が、静かになった。
小間使いが居間に入ってきて、テーブルに一人分の茶器を追加し、ティートローリー上に新しいお湯のポットを乗せる。そしてテーブルに間食用のつまみものの皿を乗せたところで、応接間に続くドアが開いた。
「ご対応ありがとうございました、子爵」
面と向かって話す時には、礼儀を守らねばならない。
度を超えた親しさを示してベタベタするとどう見られるかは、母がどう受け止められていたか考えればすぐ判る。ありていに言えば馬鹿な尻軽女としか見てもらえない。たとえ家庭内であっても、公的には後見人である子爵に対して、馴れ馴れしい真似は慎むべきだった。
「もう心配は要らなくなったよ」
穏やかに微笑んでいるコラー子爵は、温和な紳士にしか見えなかった。
「明日以降、彼らの居場所は王都には無い」
「え、何をなさったんですか」
こういう時に質問するのは大抵、兄の役割だ。うきうきしながら聞いているのだから、嫌がってはいない。
「貸したあれこれを、ちょっと回収すると言っただけさ」
子爵も明らかに面白がっていた。
「金だけですか?」
「そこはもちろん、相手によって異なる。君たちと実父の縁を切らせておいた甲斐があった、とだけ言っておくよ」
「え、また何か捻じ込んできたんですか」
「ああ。特にヴィベカについては、準備しておいて良かったよ」
ネルたち三人は、父親が違う。兄はとある侯爵の息子だし、ネルはさる伯爵家の血を引いていて、さらに問題になるのが妹だった。
「王子殿下も懲りないなあ」
「あの人に理性を期待してはいけないよ。それが許されるお立場だから、苦労して何か身に付けることをなさってこなかった方だ」
「それはまあ判るんですけど、あの方は度を過ごしてませんかね?血のつながった娘に手を出そうとは」
妹の実父は王弟の第二子。王子の位を持つ厄介者だった。
「やらかすのは目に見えてたから、仕込んでおいたんだよ」
「いつからです?」
「ずいぶん前からだねえ」
飄々と言ってのける子爵に、兄が苦笑した。
「……なんでそんなに用意周到なのか、お伺いして良いですか」
「そんなもの、彼らが学園時代から目障りな連中だったからに決まっているだろう?」
「ああ……そういえば、母の妄想を悪化させた人たちだったそうですね」
母が好んで語った、妄想としか思えない話を思い出して、ネルは思わず眉をひそめた。
妹も同じ事を思い出したのか、ひどく渋い顔をした。
「こら、ヴィベカ。変な顔をすると、皺になるぞ。エレアノールも、気持ちは判るがね」
子爵が笑ってネルたちをたしなめた。
「子爵もあの話、苦手だったんですね」
妹はどういう表情をしていいのか分からない様子で、そう言った。
「話そのものよりも、自分が主人公の世界に住んでいると思える能天気さが、おめでたいと思っていたよ。あれじゃあ、レヴィ―伯爵家も傾くわけだ」
母の実家であるレヴィ―伯爵家は、没落の一途をたどっていた。歴史ある家だが、それだけに跡取り息子をたしなめられる人もおらず、放埓な娘を教育できる人もなく、息子も娘もそろって愚かでどうしようもない家と評されて久しい。
「ま、私がある程度はたてなおしたし、あそこの放蕩息子も旅先で亡くなった。娘も今回事故死して、次は女伯爵を立てる許可も取れた。それに伯爵はまだ領地でご存命だから、しばらく時間もある」
穏やかに腹黒い、いつもの様子で子爵は続けた。
「そんなわけだから、ヴィベカは安心して勉強しなさい。掃除は私が引き受けるよ」
「……ありがとうございます」
祖父の跡を継ぐのは、妹だ。
「まだしばらくは頼っていいんだ、今のうちに大人を上手く使いなさい」
チーズのタルトに手を伸ばしながら穏やかに言うこの人は、巌のようにそびえ守る盾になってくれている。やはりこの方は『父』なのだなあ、と妙な事を思いながら、ネルはお茶のカップを手に取った。