2-01 奴隷に転生した俺はにゃんこと公爵令嬢に溺愛されて幸せになります
奴隷の俺が異世界で死んでこの世界に転生してきたと確信したのが15歳の時のこと。
前世での知識を活かして無双できるんじゃないか。そう思ってたが残念、奴隷の立場では実現できることなど何もない。
腹をすかせた俺は夜に猫に今生のことを愚痴りながら前世の話をしていると、クスクスと笑い声が聞こえてきた。
貴族に聞かれたならば反乱分子として処罰を受けるかもしれない。慌ててその場を逃げ出し棲家に辿り着いて一晩怯えて過ごすものの何事も起こらない。
気のせいで良かった。そう思うのもつかの間、翌朝、馬に乗った騎士に襲われて逃げるものの簡単に捕まってしまう。
「俺は幸せに生きたかっただけなんだ!」
叫んでみるものの、騎士たちは無言で反応しない。このまま何らかの罰を受けるのか。そう恐れるものの連れて行かれた場所で待ち受けていたのは公爵令嬢だった。
これは奴隷の俺が公爵令嬢に寵愛されて幸せになる物語。
異世界転生したら貴族や勇者になれるものと思っていたが、現実はそんなに甘くなかった。平民ならまだしも、奴隷に転生って酷くない? ありえなくない? どこの火の鳥の罠?
そんなことを考えるようになったのは最近のこと。異世界転生していると確信したのが、先月の十五歳の誕生日。それまでは変な夢だなぁ。って思っているだけだった。
それが転生前の人生だったと確信したのは、死に際のことを思い出したから。最悪の出来事。工事現場での巻き込まれ事故。バカ現場管理人のミスのせいだ。
そんな悲惨な死に方をしたのだから、転生後は恵まれててもいいはずじゃない? 小一時間ほど愚痴を言っても飽き足らないくらい今の生活の酷いこと辛いこと。一日が雑用で終わる。水汲み、農作業、食事の準備。重労働の肉体作業。夜は奴隷で集められて雑魚寝。プライバシーなどない。優雅な生活はどこにある。それ以前に三食まともに食事ができることすら稀。空腹の日々。守ってくれる両親などいない。ブラックワールドへようこそ。
夏はまだいい。植物が生えている。とは言え、食べることが可能な植物を見分けるのは、簡単ではなかった。デンプンがあれば良い。ヨウ素溶液を使えば調べることができる。中学校で習った知識を覚えていた。けど、ここにはヨウ素溶液がない。
知識はあるけれども使えない。そんな知識が沢山ある。例えば、E=MC^2、エネルギーは物質の質量に光速度の二乗を掛けたもの。転生前に覚えたもっとも美しい物理法則の一つ。けど、何に使える?
化学の世紀を生み出したと呼ばれるハーバーボッシュ法の知識もある。窒素と水素からアンモニアを生産する手法。肥料を作り、農作物の生産性を飛躍的に増加させた人類の叡智。
けど、奴隷ではこの知識は役に立たない。それに加え、化学式がわかったとしても実際にどんな装置を作れば良いのかとかさっぱりだ。こんなことなら、石鹸の作り方でも覚えておけば良かった。もっとも、知識があっても材料を手に入れたり作ったりする時間が無いのだが。
全ての知識が何の役にも立っていない。というわけでもない。趣味だった釣りが魚を捕まえるのに役に立っている。本当は針や糸、竿があれば良いのだが、残念なことにそんなものは俺の手には入らない。ただ、魚が何処に隠れているとか、どうやって捕まえればいいかとかは分かる。
ここら辺は、魚を獲る習慣がないのもありがたい。魚というタンパク質を独占できているお陰で命を繋ぎ止めることができる。もし、奴隷仲間に見つかったら面倒なことになる。間違いなく年上に奪われる。
だから隠れて食べる必要がある。幸いなことに丁度良い薔薇園が近くにある。火の煙も上手く広がらないようにできる。夜ならば見つかることもない。火を使わなければもっと簡単なのだが、幸か不幸か生食の危険性の知識がある。
生き延びるために運良く魚を採れた日はこの場所に来ることにしている。誰にも知られていない俺の隠れ家。……のはずが、とうとう知られてしまった。多分、匂いを消しきれていなかった。人間であれば察知できない程度の匂い。
「にゃあ」
白黒猫が俺にすり寄ってくる。こいつも腹をすかせているのだ。ネズミでも喰ってろ。そう言いたいところだが、魚の頭をあげることにしている。というのもこいつにはいつも救われている。夢で見た昔話を聞いてもらって。
とりあえず、名前をつけた。にゃんこって。そのまんまだが気にする必要はない。本人も魚の頭をひらひらさせて名前を呼ぶと満足そうだ。
愚痴、とかはあまりしない。食事の時は楽しい話がしたい。ってことで、様々な話を聞いてもらっていた。自虐的なのを含めて笑える話を。
★ ★ ★
クスクスクス。
ある夏の満月の晩、いつもと同じように白黒猫と会話をしていると、笑い声が聞こえた。
蚊に刺されないようにと雑草を燻していたのが良くなかったのか。こんな夜中に薔薇園に入っているのが見つかればどんな処罰を受けるか分からない。それだけではない。勝手に魚を獲って食べていたことがバレたらマズい。全てのものは領地様のもの。許可なく採取などすれば死罪。当然、許可が出ることはない。だからと言って食べなければ餓死か栄養失調間違いなし。
急いで逃げ出した。どうなることか心配しながら奴隷小屋に戻って眠った。幸いなことに、夏はみんな勝手に涼しげな場所を探し回って寝ているから、俺の行動を気にする人間は誰もいない。お互いに興味を持つ余裕はない。みんな、自分が生きることで精一杯だ。
一眠りして朝になっていつものように重労働に駆り出される。真っ当な食事など与えられていない。よくわからない穀物と芋類を混ぜた汁物が提供されるが、俺なんかは生存が許される分しか食べることができない。マジで何とかならないか。空腹で死にそうだ。
もし、夜な夜な魚を食べたりしていなければ絶対に餓死している。実際に、奴隷の子供の死亡率はとても高い。五歳まで生きれる子供のほうが少ない。なんとかしたいと思っているが、今の俺の力ではなんともしようもない。
一日が終わると昨晩のことが夢のことのように思えてきた。寧ろ捕まって再転生でもしたほうがマシじゃないか。などと思いながら奴隷小屋に戻ってきて夕食にでもありつこうとしたとき、馬の嘶きが聞こえた。
何事? と思うものの誰も見に行こうなどとはしない。俺も少しでも確実に夕食にありつくために食事担当の奴隷の前に並んでいると、小屋の入り口がガラリと開かれた。
見ると屈強そうな男が二人立っている。鎧は着ていないが帯剣している。ここにいる奴隷らでは束になってかかっても勝ち目はないだろう。
「昨日、薔薇園にいた者はいるか?」
あごひげを生やした年配の男が訊いてくる。が、当然、誰も返答しない。余計なことに巻き込まれたくないのだ。
俺も同じだ。ここで名乗り出るメリットは見当たらない。それより、腹ペコで死にそうだ。さっさと帰ってくれ。そう願っていると、屈強な若いほうの男が一歩前に出る。猫の首根っこを右手で持っている。
「この猫に見覚えのある奴はいるか? 我らも手荒な真似はしたくない。自ら名乗り出ろ」
そう言われれば余計に名乗り出れないではないか。俺はそこから逃げ出そうかどうか迷っているとにゃんこが男の手から飛び降りた。
「おいっ!」
男が大声を出しているうちににゃんこは俺のほうに逃げてくる。このまますり抜けて行ってくれ。そう願うもののにゃんこは俺の足元の裏側に回って隠れる。
「お前か?!」
「違いますッ!」
何が違うのかわからない。けど、否定せずにはいられない。にゃんこを掴んで走りだす。ラグビー選手がタックルを躱す完璧なタイミングで、男の横をすり抜けた。
と思った瞬間に、にゃんこのように首根っこを掴まれる。
「お前か?」
「はい……」
自分が撒いた種だ。自分で責任を取る必要がある。名乗り出るほどの勇気はなかったが捕まったならしらばっくれるわけにもいかない。
「付いてこい」
俺は右手を紐で縛られて、にゃんこは籠に入れられた。首に巻かれて引きずられないだけましだ。そう考えながら馬の歩みに合わせて歩いていくと邸宅の入口に到着をした。このままここで裁きを受けて散々食べた魚の餌にでもされるのかと戦々恐々としていると、一人の女の子が近づいてきた。
可愛らしい女の子だった。俺より少し年上だろうか。午後用のドレスを着ていて大人びた雰囲気を醸し出している。前世の日本にいればグラビアの表紙間違いなしだ。
人生の最期をこの女の子に命じられるならば、老害のおっさんのミスで殺されるより百倍マシだ。もし、もう一度、転生ができるのであれば、次はチート持ちか貴族か石油王の息子でお願いします。
心のなかで願っていると女の子が近づいてきて俺の周りを一周する。クンクンと臭いを嗅いだかと思うと眉を寄せる。
「洗っといて」
「わかりました」
女の子が邸宅に入るや否やガタイの良い若い男に紐を引っ張られる。力づくで引きずられているってわけでは無いから身体的な痛みはないが、精神的には辛い。抵抗する気すら起きない。争ったとしても勝ち目はゼロだ。
俺は邸宅とは別の小さな家に連れ込まれて、ワラワラと現れた若いメイドさんたちに引き渡される。何が起こっているのか理解すら出来ずに髪を切られて髭を剃られて服を脱がされて……洗われた。なお、隣ではにゃんこが綺麗になっていた。
「終わった?」
タオルで拭かれている最中にさっきの女の子が家の中に入ってきて質問をする。
「予想以上にさっぱりしたじゃない」
「ええ、最低限の仕上がりは致しました」
女の子とメイドの会話についていけない。逃げることもできずに裸のまま呆然としていると服をメイドに着させられる。
「うん。悪くない。まあまあじゃない」
女の子は出会った時と同じように俺の周りをグルグルと周るとクンクンと匂いを嗅いだ。
「あの、これは一体……」
「そうね。自己紹介がまだだったわね。私はアンヌよろしくね。あと、あんたの名前はタマにしたから。じゃあ、今から私の婚約が決定する舞踏会をぶっ壊しに行くわよ。死んだと思って頑張ってね」
女の子はニッコリと微笑みながら俺とにゃんこに向かって死刑宣告と同等の命令を言い放った。