2-13 お婆ちゃんから引き継いだのは、皇位継承権三十二位とお爺ちゃん警護官
あらすじ(プロローグ)
北海道に住んでいる母方の祖母は、透き通った青い目が印象的な、いつも微笑んでいる優しい人です。
彼女は、ひと昔前世界を巻き込んだ大きな戦争があった時、欧州の戦渦から逃れるために、生まれ育った国から極東の島国の知り合いを頼って移り住みました。慣れない生活で随分と苦労しましたが、日本人男性と知り合って娘も授かり幸せに暮らしていました。
しかしやがて、その娘は東京の男性と恋に落ち東京で暮らすようになりました。そう、私のお母さんとお父さんです。
お婆ちゃんは、お母さんを病気で亡くして悲しむ私を不憫に思ったのか、自分が亡くなった時にいずれ継承することになる権利を、少しだけ早めに私に譲ってくれたのです。
それが、欧州にある小さな国の三十二番目の皇位継承権とその正当な権利を示す指輪でした。
「アリスちゃん、接客はもうなれてんか? 初めてやろ、バイトって」
大都会の大通りに面したコンビニでも、会社員の帰宅時間を過ぎてしまえば、店に来る客は多くはない。レジの中では店員同士のたわいもない会話が始まる。
「ごめんな、こんな時間までシフト入れちゃて。ホンマ高校生は夜十時以降はダメなんやけど、お父ちゃんが入院してもうたから、この時間帯どう調整してもウチ一人なんよ。やからアリスちゃんが入ってくれて大助かりなんや」
「あ、え、接客はまだちょっと……、でも頑張ります。あ、はい。いえいえ、大丈夫です。どうせ、この裏の通りをまっすぐいった先の公営住宅に帰るだけですから」
『店長代理』の名札を付けた二十代後半と思われる女性と、『アリス』の名札を付けた女子高生と思われる女性がレジの中で小声で会話を続けていた。店員に対する嫌がらせ防止のため、最近の名札は本名をぼかしたり仮の名前を書いたりしている場合が多く、とうぜん『アリス』も仮の名前なのだろう。『アリス』の名札を付けた女性は、自分がアリスであることに慣れていないようで会話への反応は鈍かった。
「ああ、そやった。この裏の公営住宅が住まいなんやった。しかし、どないして公営住宅って都会の裏通りとか、意外な場所にあるんやろ。それに家賃も安いしなあ」
「そうなんです。ちょっと裏通りですけど都会のど真ん中にあるので交通費節約できるし。だから公営住宅って私たち貧乏人にとっては救世主なんです」
両手の指を合わせて、誰にも言えないヒミツを年上のお姉さんに勇気を出して告白したかのように、少しモジモジとする彼女。
「なに言ってんねん。アリスちゃんの通ってる女子高て、ちょー有名なお嬢さま校やあらへんか。昔はやんちゃで鳴らしたウチかて知ってる女子高やで。ご学友のオトンは、みんな医者か大企業の役員とかなんやろ?」
「はい、そうなんです。だから授業料も高くて、普通のサラリーマン家庭には負担で。それで家賃の安い公営住宅に住んだり、こうやって私もアルバイトを始めたのですけど」
店長代理の女性が軽い気持ちで振った話題も、彼女は真面目に返してくる。
「そやなあ、たいへんやなあ。でも、なんでそこまでせなあかんの? 皇位継承権とかを維持するために、お上品にせないけんの?」
「そこら辺はよくわからないんですけど、そんな縛りはないはずなんです。たまたま、憧れていた女子高に願書を出した時、身上書に『皇位継承権三十二位』と書いたら、理事長さん自ら私の通う中学校にいらっしゃって『ぜひ我が校にお越しください。当然、入学試験は免除です』って言って頂けたので、入学試験が免除ならと思って入学したんです」
彼女は下をむいたまま話を続ける。
「まあ、そやろうな。あちらさんから直々に『来てくれ』てな言われたら、そら断われへんものな。しかし、その後が大変だった、ちゅうわけやな。まあ、しかたあらへんよ。ウチだって、沢山バイトの履歴書見てきたけど、『皇位継承権』なんて見た事あらへんもん」
* * *
コンビニ裏の事務所ではバイトの採用面接が行われていた。女子高生が腰かけている机の向かいには、コンビニの制服が全然似合っていない紫メッシュで髪がボサボサ、濃い目な化粧をバッチリこなした二十代後半と思われる女性が電子タバコをくわえながら座っていた。
「で、この履歴書にある『皇位継承権』ってなんや?」
ピンクフレームの眼鏡のうすく色の入ったレンズ越しによくみると、薄いブルーの色素が入った黒目がクオーターを感じさせるぐらいで、黒髪とソバカスが目立つくらいの白い肌の彼女は、日本の女子高のあまり目立たない生徒と変わらないように見えた。
「あのぉ。おば……、お姉さんがコンビニの店長さんなんですか?」
「いや、店長代理って呼んでぇな。ウチのお父ちゃん、ぎっくりで病院いったら、他の病気がぞろぞろ見つかって退院できなくなったんよ。やから、ウチは店長やなくて代理や」
店長代理は、履歴書の職歴欄に記載された不思議な項目に目が留まり、その疑問を投げたはずだった。しかしその質問には、メッシュの彼女をジト目で見て不安になった女子高生が別の質問で返してきたのだ。
「店長代理さんは、なんで関西弁なんですか? 大阪生まれなんですか?」
「ちゃうで。ウチはちゃきちゃきの東京生まれや。でもな、京都・奈良に修学旅行に行った時にな、大阪弁喋ってる女の子がめっちゃ可愛かったんよ。ほんで、大阪弁喋る女の子はめっちゃ可愛く見える! と思ったんや。だから自前で大阪弁勉強したんやで。やから、ほんまもんの大阪弁ちゃうで、雰囲気だけの大阪弁や。そこんとこ、よろしく!」
そこまで質問してやっと納得した女子高生は、履歴書の職歴について語りだした。彼女のお婆さんが欧州の小国の皇族関係者で、直系血族である自分にその権利が引き継がれたということ。履歴書の職歴欄には、公的な資格は全て書き出す旨の記述があったので、何も知らない彼女は英検四級と珠算二級とともに皇位継承権も記載したのだと。
「へー。ほな、もしかしたら。ある日、白馬に乗った王子さまが迎えに来るかも、やなー」
「いえいえ、そんなロマンス小説じゃあるまいし、世間はそんな上手くいかないですよー」
両手をブンブンと大げさに左右に振りながらも、少しほほを染める女子高生。それを見ていた店長代理も、事務室の殺風景な壁に向かって電子タバコの煙をぷかーっと大げさに吹き出した。
「ある朝、自宅前に黒塗りの車が現れてな。『お嬢さまは間違いで平民の家で育てられていました。今日お迎えに上がりました』てな言われるんや。いままでお父ちゃんと思いこんでたハゲおやじは、実は自分の本当の親やなかった。やった、ここから人生逆転劇の始まりや! それが乙女の本懐やろ?」
* * *
あと少しで今日のバイトも終了する時間、若い男性がふらりと入って来た。店長代理は品出しで奥の倉庫に行っており、たまたまレジには彼女一人だけだった。
レジ横に歩いて来た男は、レジでなるべく視線を合わせないようにしていた彼女に、おにぎり1個を差し出して会計を頼んできた。
「ぐへへ、女子高生がこんな時間にバイトしてるなんて、もしかしてお仲間かな? しみったれた指輪なんかしてないで、俺が良い指輪買ってやるから、これから俺と遊びに行こうぜ」
「いやあ! 止めてください。大きな声をだしますよ」
おにぎり代のおつりを渡すために差し出した彼女の手を、その男はいやらしそうに両手で握りしめてから、彼女が付けていた指輪に目をやって低い声でささやいて来る。
「へへ。何言ってやがる。この時間は店長代理の暴走族あがりのババアしかいないの、俺は知ってるんだぜ。女子高生はこんな時間バイトしちゃいけないんだろ? 内緒にしててやるからさ」
男が彼女の両手をしっかりと掴んでなおも執拗に迫っていると、ずいぶん前に来店して、イートインコーナで競馬新聞をずっと読んでいた老人がめんどくさそうにレジの横にやって来た。
「彼女が嫌がっているだろ。三秒以内に手を放せ」
「へへへ。なんだ、じじい、手を離さなかったらどうなるんだ? じじいが俺さまに勝てるとでも思ってるのか?」
上背もあり筋肉隆々な男は、ひ弱そうな老人に向かって大きな態度で威嚇する。すると、突然、老人は腰のあたりから拳銃を取り出して男に向ける。
「これはオモチャじゃないぞ。ほら。いーち、にー、……」
「わ、わかったよ。ほら。離したろ!」
老人の拳銃を見た男は、慌てて女子高生から手を放して両手を上にする。女子高生は慌ててレジから離れ、老人の拳銃をじっと見つめた。
──あれは確かデトニクス。アニメで推しの女の子が非殺傷弾を使ってた拳銃。
彼女から手を離した男は、最初は大人しく両手を上げていた。しかし、老人が彼女の安全を確認しようと彼から目を離した隙に、男はにやりと笑って老人の拳銃を奪おうと一歩を踏み出す。
ドン、ドン。
低くくぐもった銃声が二発店内に響く。
「ヒッ」
目の前で行われた凶行を見て、女子高生はレジ奥の洗い場に向かってあとずさる。銃声に驚いて奥の倉庫から飛び出してくる店長代理と、洗い場に腰を押し付けて真っ青になっている女性に向かって、老人はポケットから取り出した茶色の身分証を高く掲げる。その身分証には、大きく『警視庁』の文字が。
「大丈夫です。ケーサツですから」
「いや、大丈夫って。なんもしてへん男を問答無用で撃っちゃダメちゃいます?」
店長代理は、凶行を目の前にしながら老人に向かって声を上げる。
「いや、大丈夫です。こいつは、外交上の要人を問答無用で拉致しようとしたんですから」
「え、外交上の要人て?」
店長代理は老人に聞き返す。老人は、レジの奥で固まっている女性を指さして答えた。
「何言ってるんですか店長代理、彼女に決まってるじゃないですか。彼女は日本と国交を樹立している国の皇位継承の候補者なんですよ。言わば皇女さまです。さらに、その皇女が嫌がっているのに大事な指輪まで取り上げようとしたのですから、撃たれたって文句は言えません」
老人は、倒れている男をうつ伏せにして揃えた両手首の部分をガムテープでグルグル巻きにする。それが終わると立ち上がってから、女子高生に向かってほほ笑んだ。
「君のお婆さんの護衛の時は、せいぜい、野生の北きつねや、クマ退治だったけどな。こんどは、都会のど真ん中で若者退治だ。これからよろしく頼むよ……」
続く)