2-12 異世界帰りのTS龍人娘と限界社畜のダンジョン配信暮らし
【この作品にはあらすじはありません】
深海のような深い青色をした天井。不思議と光源となっている海中トンネルのような無色透明な壁。
配給されたスマートフォン、そこにインストールされているアプリを立ち上げて俺は声を上げる。
魔力充電式のドローンのカメラを通じて、配信サイトには二本の角を有した黒髪と青色の瞳の、傍目から見ても目を引く少女が写し出される。
「どうもー、ドラコちゃんねるのユーリです。今日はAランクダンジョンのお台場海浜迷宮にやってきました」
〈助かる〉
〈助かる〉
〈なんでAランクをソロで潜れるのに生活費をスパチャに頼ってるんですか?〉
〈現場猫助かる〉
「助かるなー? ほら、ドロップアイテムを日本円に換金するのって資格がいるからさ……」
〈研修受ければ大体受かる試験に受からないの草〉
〈それはD級までで、A級くらいになると机にかじりついてないと無理なんだって〉
〈まあユーリちゃんはD級も受かってないんですけれども〉
「家賃と生活費でカツカツだからね。受講料も案外馬鹿にならないし」
以前はネットカフェ、風呂なしトイレ共用のボロアパート、シェアハウスと保証人が要らない住居に住んでいたのだが……。俺の頭についている角が珍しいのか、やっぱり見た目が良いからなのか襲われかけたのが続いてね。そういった理由でちょっとお高めのアパートに引っ越しをしたのだ。
笑い話にならないが笑わないとやってられない。地球に帰って来るまではもっと殺伐とした場所に居たので、これでも上等な生活をしているほうなのだ。
「じゃあダンジョンアタック始めるよー。まず道中の敵はサクッと処理しながら消耗を避けます」
腰に佩いている剣を抜いてダンジョンの中を歩き始める。
ちなみに武器の類は街中では絶対に取り出せないようになっている。世界の強制力ってやつらしい。
〈モンス瞬殺〉
〈相変わらずなにしてるのかわからんくて笑う〉
〈俺でなきゃ見逃しちゃうね〉
〈まったく見えないんですがこれは〉
そこはね~、経験の差かな~。
この世界のモンスターは倒しても光の粒子になって消えていくからグロくないんだよなあ。剥ぎ取りとかしなくていいし楽ちん楽ちん。
なんなら死亡後四十八時間以内なら蘇生もできるし。……お金は結構かかるけれどね。あと損傷が激しくても無理。
とりま、ダンジョンのボスまで行きましょうか。
▼
俺――天海悠里は異世界に行ったことがある。
中学に入りたてのころ、気がつけばうっそうとした森の中にひとりで放り出されていた。それも、男の身体から龍のような角の生えた女の身体になって。
周囲には誰も知っている人がいない。言葉は通じるけれど知っている場所はなにもない。
子供だからって甘やかされることはなく、むしろどこのコミュニティに属していないから本当にこの世でひとりぼっちだった。
思い出すのも面倒なほどには絶望したし、甘い言葉に騙されて全てを失いそうになったこともある。
そんな中で生き抜くために努力をしたし幸いなことにも俺には荒事の才能があった。
いわゆる中世ファンタジー風の世界でモンスターを討伐したり、まだ見ぬお宝を発見するために旅をする冒険者として生活をしていた。
児童文学の長編シリーズほどの紆余曲折を経て、俺はあの世界でできた友人たちと円満に別れて地球へと帰還したのだ。
帰って来るとまあ驚いたこと驚いたこと。
ファンタジーのファの字もなかったはずの地球は遊戯の神なる一柱によって改変されていたのであった。
曰く、『自分と人を楽しませただけご褒美が貰える世界』とのこと。
遊戯神の改変により、地球にはダンジョンというモンスターが蠢き、尽きない資源が約束された場所が生まれた。
倫理や道徳、法律の範囲内で、『自分と他人を楽しませた』分だけ神が望みを叶えてくれるのらしい。
異世界から帰ってきて戸籍やら行方不明届けやらでてんやわんやになっていたところ、配信業のことを知ったのだ。
そして、スパチャを貰いながら生活環境を少しずつ改善しいまに至る……ってわけ。
今の目標は……秘密だ。
さて、そろそろボスエリアだ。
ボス部屋の扉は閉まっており、どうやら先客がいるようだ。
……っと。
「さっさと逃げるぞ!」
「まだ逃げ遅れたやつが!」
「置いておけ!」
〈行く気満々だな〉
〈それでこそユーリちゃん〉
「未だにちゃん付けはむずがゆいんだよね。じゃあ乱入してきまーす」
〈エリアボスってソロで行けるモンだっけ〉
〈二個下のランクのボスなら行けないこともないかなってくらい〉
〈話変えるけどさ、野営用品の中に石鹸とかあって、それはGPで買えるやつなんだよね〉
〈つまり……どういうことだってばよ〉
〈ユーリちゃん、髪と身体それで洗ってるらしい〉
〈シャン飲もはばかられる極貧〉
〈もっと良い生活して欲しい〉
シャン飲ってなに? ……なに?
凄く業が深い単語が配信画面にちらついた気がするが気にしないでおこう。
扉を開いて進む。ボス部屋は広く、しかし足場は少ない。背後にある扉以外は海水が満ちているからだ。
ボス自体は何度も倒しているし問題はない。
ただボスの巨大イカ――クラーケンの触手には作業服姿の茶髪の女性が巻き取られている。
あっ、首がおかしな方向に曲がってるな……。
『――!』
クラーケンはいくつか触手を落とされてご立腹らしい。俺をみかけると女性はそのままに残りの腕を振るう。
それを難なく避けつつ剣で一つずつ丁寧に切り落としていく。
『――――!』
高音で鳴いているクラーケンだけれど……イカって鳴くのかな。多分、神がなにか弄っているのかもしれない。
ヤツの残った触手に力が入り、女性をこちらに投げてくる。
「よっと」
〈乙〉
〈オツカレー〉
難なく彼女を受け止め、こちらは剣をしまう。
クラーケンと俺の両方に魔力が収束し――
『――!』
「炎刃」
相手から放たれた超圧縮のウォーターレーザーは、俺が同時に放った炎の刃に貫かれた。炎の刃は周囲に発散されつつもクラーケンの頭をきれいに焼き切ってくれた。
悔し泣きのような声とともに、クラーケンは光の粒子となって消えていった。
〈5000円が送られました〉
〈5000円が送られました〉
「みんなスパチャありがとうね~。これで目標に一歩近づいたよ」
〈こっちはいいから早く診てやって〉
〈それにしてもスパチャ限度額が5000円ってのもしょっぱいよね〉
〈神様特権で誰でもスパチャ貰えるようになったんだけどね〉
〈零細だと上限が低いからな。でも初期と比べたらマシでしょ〉
〈上限500円はいまどき子供のおこづかい以下だよ〉
やめろー! 帰還直後の極貧時代を思い出させるなー!
さて、と。
パッと見たところ頸椎がグネっと行っていて消滅一歩手前ってところだ。
祈りや瞑想で使えるようになる神聖術は得意ではない。だがこのまま帰還しても復活の確率は低い。
――迷ってる暇はない。
女性を砂の上に寝かせ、俺は腰に身につけているナイフを取り出す。
――そして迷いなく自分の角を切り取って彼女の胸の上に乗せる。
〈は?〉
〈ちょ〉
〈うわばか〉
ナイフをしまい、両手を組み、目をつぶる。
深い深いここではないどこかと繋がる感覚。
強力な龍や龍人の角を煎じて飲めば超越者になると言われている。
そういった効果はないが、魔力の蓄積場所として角はある。
数年に渡って練り上げてきた魔力が金色の光となって渦を巻く。
沼にとらわれた魂を力尽くで引き上げていく。
顔も分からないはずなのに、深淵の中の女性が安堵の笑みを浮かべたようにも見えて――。
目を開ければ肉体の再生が終わったようで、彼女の胸部の動きが蘇生の成功を告げていた。
◆
わたしは柊メリイ。
いまをときめくダンジョン配信者……ではなくダンジョンの管理をする公務員だ。
前例主義の役所の中ではあるけれど、迷宮課だけはそれが薄い。迷宮課に配属されたときは先輩のご機嫌伺いばかりしなくて済むと大喜びしたものだった。
だけど実際は他部署から異動した上司の言いなり……。
ダンジョンの管理は特殊で、ボスを倒したあとに細々とした掃除をしなければいけないのだけれど、それがまた大変で。
ボスが勝手に消えてくれるわけでもなく、自分の手で片付けなければならないので相応の腕前も要求される。
今回はB級の探索者たちとバッティングしてしまいそこで……ああ、死んだんだった。
こういう時のために二人一組での活動を推奨しているのだけれど、こんなブラック職場に期待はできないなあ。
あーあ、もっとやりたいことやればよかった。
遅すぎる後悔。助けを期待できない以上もうこのままあちら側に行くしかないのだろう。
そう思ったとき――浮遊感に包まれる。しがらみを感じなかった状態から、徹夜ばかりして疲労が取れなかったいつも通りに移行していく。
咳き込むと胸部がちくちくと痛み、目を開ければダンジョン特有の青い蛍光が飛び込んでくる。
「あ、生き返った。……術式完了っと」
大丈夫ですか? と鈴の音のような声音で少女が問いかける。
私の目に飛び込んできたのはひとりの美しい少女。濡羽色の髪、海を思わせる青い瞳。あどけない顔立ちの彼女はこちらをじっと見つめている。
年齢は十六歳ぐらいだろうか、世間擦れのない無垢な瞳でこちらを見ている姿に言いようのない感情を覚えたのだった。