恩
未だ純白の欠片の舞い続ける薄暗い室内。
静けさの戻った小屋の中、唯一聞こえてくる小さな寝息だけだ。
その主の体をそっと抱きかかえて、銀次は顔を覗き込んだ。
「だいぶ顔色が良くなったか。」
来たばかりの時は土気色だった顔には色味が戻り、紫色だった腕も少し赤くなってはいるが、今にも目を覚ましそうに見える。
自然治癒が出来ない世界でここまで回復しているという事は、姿はなくとも桜の精が治療をしてくれているのだろう。
「2人が成仏したおかげで、仁とやらが補充されたということか。」
お美希を胸に抱き、茶卓に残った食事を胃袋の中へ片付けながら、銀次は独りごちた。
「成仏、か・・・。」
最近まで神仏や地獄、成仏といった胡散臭い言葉に馴染みがなかっただけに、未だ舌の上に違和感の残す言葉だった。
死者がなんらかの執着を捨てれば辿り着ける境地、というざっくりとした認識しかなかった現象。
しかし実際その光景を目の当たりにして、銀次は心ひそかに胸打たれてしまっていた。
金太郎、サエとミヨのような一方的に虐げられ、非業の死を遂げたこども達。
彼らが死してなお苦しみ続けなくてはならないのか、そして成仏して辿り着く先が本当に極楽なのかは、仏事に疎い銀次には分からない。
けれど彼らが往来の苦しみから解放され、天に昇っていく姿を見送るのは、何か胸の奥を掴まされるような安堵と感動があった。
「三人だけとは言わず、もっと大勢助けてやりてえ。」
当初は桜の精に回復してもらい、自分達が現世へ戻るまでだけの施しのつもりだった。
しかし火鼠として生まれ、幼い頃から義賊の在り方を見てきた男にとって、人が救われる様を見れば使命感へ火をつけられるのは至極当然で。
目的が手段に流されはじめている事を自覚しながらも、銀次は今後の方針を修正していくことにする。
サエの話では、賽の河原という所にまだまだ沢山の餓鬼たちがいる口ぶりだった。
そこで虐げられている餓鬼達を集め、こちらでどんどん成仏させてやることは出来ないだろうか。
大掛かりなプランを浮かべる銀次の中で、懸念は2つあった。
一つは懸念の要である鬼の存在。
地獄をうろついている鬼の移動速度は、経験した通り人の足で逃げられるようなモノではない。
しかし、銀次には鬼をやり過ごす方法をある程度まで考え付いていた。
それは自身も体験し、桜の精も言っていた―――『鬼は血の匂いを纏っている間は気付かれない』ことだ。
前回は口元の旗をずらしただけで見つかってしまった為、実際どの程度まで気づかれないかは想像の範疇だったが。
自分の血を衣類に纏わせ、被りながら移動すれば、鬼に見つからずに賽の河原まで行けるかもしれない。
しかし、そこからはもう一つの懸念が大きく立ちはだかる。
鬼にバレずに、餓鬼達に大人しくついてきてもらう事が本当に出来るかどうかだ。
ある程度年齢の高い子供なら可能かもしれないが、金太郎のような赤子ともなると指示が通らない。
どんなに隠れながら移動したとしても、帰路の途中で泣きだしてしまえば、すぐに気づかれてしまう可能性が高い。
「となると、年齢が高い子を優先して逃がしてやるしかなくなるのか。まあどちらにせよ今は―――」
自分の体が回復するのを待つしかない。これに尽きる。
鬼に対抗する為の血を作るには、まずは桜の精の力を取り戻し、体の治療をしてもらう。
それには餓鬼を成仏させる必要がある。
そして餓鬼がやってくるのは不定期だ。
堂々巡りにはなるが、結局のところ待つしかないのだ。
「なあ、お美希よ。今しばらくここで過ごすが、辛抱してくれよな。」
胸元のお美希に話しかけながら、余った時間で出来ることを考える。
そういえば、桜の精から借りた力についてはまだよく分かっていない。
次の餓鬼がやってくるまでの余りある時間で、銀次は現状で出来る事を確認していくことにする。
まずは、食べ物を創造する力だが―――
「母乳・・・母乳・・・!ダメだ。全然想像がつかねえ。」
茶碗を手に唸りをあげるが、状況は芳しくない。
母乳を想像しようにも、もっとも馴染みのあった時期―――自分が乳飲み子だった頃の記憶なんて残っていないのだから、当然の結果かも知れない。
しかし、母乳を呼び出せないとなると、美希が目を覚ました時に厄介な事になりそうだ。
「食べ物以外だとどうなるんだ?例えば、布団なんてどうだ?」
以前御勤で打ち入りで押し入った豪商の屋敷で見かけた、上等な羽布団一式。
当時の状況では唾棄すべき財産の権化だった、その絹の手触りと軽さ、温かさを鮮明に思い描く。
すると手元に光の粒が集まり、見覚えのある輪郭が出来上がった。
その輪郭を埋めるように灰色の何かが集まり、次の瞬間には手元に羽毛布団が出来上がっていた。
「す、すげえ...」
目の前で望んだ物が出来上がっていく様子に、改めて衝撃を受ける銀次。
もしこんな力が悪人の手に渡ってしまったとしたら、悪い予感しかしない。
目の前に現れた贅を尽くした羽毛布団は、なんの金銭も費やす事もなく手に入れてしまった物だ。
この力を使って、巨万の富を得ることなど造作もないことは明白だった。
しかし―――
「三人がくれた力を、そんな風には使いたくねえな。」
布団の上にお美希を寝かせてやりながら、率直な気持ちを口にする。
仁、がどういった形を経て、この奇跡へ還元されているかは理解の及ばないところではあったが、その出所は餓鬼達に他ならない。
ようやく極楽への門出を果たした彼らの心付けを、自分の欲の為だけに使いたくはなかった。
それに。
「三人分の仁か。」
仁は有限である、というのは銀次の推論だ。
そうでなければ、桜の木、桜の精がここまで弱り果てる要因が思いつかない。この桜が仁を糧としているとするならば、最初は潤沢にあったそれを徐々に使い果たし、今に至ったと考えるのが自然だ。
どういった事情で今の状況になっているのかは想像の域を出ないが、そういった憂慮もあって銀次は必要なものだけ、創造していくことにする。
まずはお美希の衣食住に関すること。
「お美希や餓鬼達を風呂に入れてやれる大きなタライ、それから櫛、清潔な衣や手ぬぐい。寝かせる為に畳も2畳だけ欲しい。」
乳が用意できない分、衛生に使えるものを多めに用意しておく。
「それからこの壁の壊れた箇所を修繕出来る板と釘、金槌が欲しい。」
この庵で寝泊まりするに当たって、最も問題なのは室温の低さだった。
囲炉裏や七輪などの熱源がないことも問題ではあったが、何よりもボロボロの壁から吹き込む隙間風がひどい。
大工仕事は得意ではなかったが、とにかく冷たい外の隙間風が入り込むのを防ぎたくて、銀次は呼び出した材料を手に片っ端から壁を塞ぎに掛かる。
板が剥がれていたり、歪んでいる部分に板を打ち付けていくと、おおよその隙間風は収まった。しかし、一番問題なのは、壁を突き破って洞を晒している桜の根本部分だった。
隙間風どころか風穴と言っていい規模での破損だったが、桜の精の手前、壁を補修してもいいのか分からない。
それに、よくよく建物を観察して気付いたのだが、小屋そのものが桜の立ち木に隣接した造りになっているのだ。しかし、肝心の桜の幹先が壁にぶち当たった先で折れ、根本側の幹だけが壁にめり込んで残っている。
どうしたものかと考えに考えた結果、銀次は風穴を出来るだけ小さくしたのち、残った隙間にのれんのように布をつけておくことにした。
「風が多少入ってくるが、ないよりはマシだな。」
そうして残りの日中は慣れない大工仕事に費やし、くたくたになるまで作業を続けた銀次は、日暮れと共にお美希の眠る布団の横にもぐりこんだのだった。
*****
暖かい日差しの下、柔らかい草木が風に踊る中、泥に稲穂を埋める。
そんな作業を繰り返して一本の列を仕上げていくと、遠くからお袋の呼ぶ声がした。
『銀次。そろそろ切り上げてご飯にするわよ』
母屋の土間からはいい匂いが漂ってくる。
もう少し作業を進めたかったが、疲れ始めていた体とは別に腹の音も加わってきたところだ。
潮時かとあぜ道に腰を下ろすと、近くで見ていた次郎丸が背中に抱き着いてきた。
『にぃに!!おいらも抱っこして~!』
「すまねえな、お美希を下ろしたら次はお前だからな。」
太ももに頭をゴシゴシとこすり付けて強請る次郎丸の声に、刺激されたのか背中に括り付けたお美希がぐずりだした。
『ふぇ・・・ふぇええん!』
どうやら腹が空いているらしい泣き方に、慌ててあやし始めた。
しかし、それにも構わず次郎丸も抱っこ抱っことグズリだした。
『ずるいよ!お美希ばっかり!抱っこしてよぉお』
「どうしたんだ次郎丸。ヤキモチ妬いてんのか?」
いつもはもう少し聞き分けがいいのに、しつこくごねる次郎丸だ。2つ分の泣き声の中で困り果てながら、この状況に小さな違和感を覚える。
『おぎゃー!おぎゃー!』
『にぃに~!抱っこ~っ。うあああん!』
あやしてもどんどん大きくなる泣き声。
おかしいな。そもそも次郎丸がお美希と一緒にいるなんてことは・・・
『ぼくは死んじゃったから、もうぼくの事はどうでもよくなったの?』
―――!!!
「そんなことはない!!次郎丸、俺は・・・!」
光の差す部屋の中、泣き声が響き渡っている。
けたたましい音量の中、脂汗の滲む銀次は目を覚ました。
「夢、だったのか。」
イヤに現実的な、そして悲しい夢だった。
自分の心を叩き起こす為に、銀次はもう一度鋭利な現実を反芻する。
次郎丸は死んだこと。お美希が生まれる前に毒殺されたのだから、お美希と一緒にいた事などないことを。
頭が、痛かった。
「もし、次郎丸が生きていたら。この現状をあんな風に嫉妬しただろうか。」
意味のない空想をしてしまうのは、貧血のくせに昨日体を動かし過ぎたせいなのだろう。
その証拠に頭にガンガンと泣き声が響―――
「ん?泣き声?」
泣き声の発生源は部屋の外と、自分の隣。
恐る恐る視線を向けた赤子の居場所だった。
「お美希!!」
元気いっぱいに泣き声をあげる大切な妹の姿が、そこにあった。
思わず抱き上げて頬ずりしてしまう銀次に、一瞬驚いたように泣き止むお美希。
「よかった・・・本当に、無事で・・・・っ」
生きて、返ってきてくれた。
桜の精のおかげで、毒が抜けたのだ。
安堵に崩れ落ちた銀次を見て、再び泣き出すお美希。以前は煩わしさを感じていたその泣き声さえ、愛しくてたまらなかった。
まだ2人分の仁しか集めていないにも関わらず、桜の精の奇跡が、ついにお美希を救ってくれたのだ。
「お美希よ。少し我慢してくれな。」
ひとしきりお美希を抱きしめた後、目元を拭った銀次は襷でお美希の体を背中に固定した。
まるで夢の中にいた時のような出立ちのまま体を上下に揺らせば、泣き声が収まる。
「よしよし、ありがとうな。にぃにが頑張るところを、そこで見ててくれ。」
銀次はお美希を背負ったまま外へ向かう。
もう治療が終わったから、と無視して帰るつもりは毛頭なかった。
「この恩は、返させてもらうぜ。」
お美希の泣き声に重ねるように響く、もう一人の赤子の大音量。
桜の精と、更なる餓鬼を救う為。
銀次は光差す門戸を開くのだった。




