マーブルチョコ
「すみません。妻が目を覚ましたので何か飲み物を貰っても?」
「ああ、爺さんーーーじゃなかった、金田さんはもう大丈夫なのか?」
新たな人員を迎えた翌朝、眠ったままのお美希をおぶりながら台所に立っていた銀次は、背後の声に振り返る。
たしか金田太郎と名乗っていた老人に、慌てて敬称を付けながらコップを差し出した。
最近、若者のクセに偉そうだと叱られたばかりだったからだ。
「ええ。僕はもう大丈夫です。でも妻はまだ少し混乱しているようでして。
せめてもう少しだけゆっくりさせてあげたいと思っています。」
昨日より随分体力が回復したらしい太郎が、心配そうに頭を振ったのち銀次の手元に視線を落とす。
そこにはまな板が置かれているが、献立に悩みに悩んだ末、結局未だに食材は置かれていない。
不思議そうな視線に気づいた銀次は、今一番の悩みを共有する。
「今日は新しい来客のためにカンゲイカイを開こうと思ったんだけどな。それっぽい料理が思いつかなくて困ってたとこだったんだ。
じいさ―――じゃなかった、金田さんは何か食いたいモノはないか?」
銀次にとってのご馳走と言えば甘い物だ。団子やプリンは個人的に最高のご馳走だと言える。
しかし数百年先の人間たちにとってのご馳走は甘いものだとは限らないらしい。
北村に団子を振る舞おうかと提案したら、無視された。
団子がダメとなるともう何を作ったらいいのか、と途方に暮れていた所だった。
「歓迎会とは・・・。もしかして我々の為にでしょうか?こちらは救助していただいた上に歓迎だなんて。気を使わなくてもいいんですよ?」
「いや、そうはいかねえ。それにここに来た生者は金田さん達が久しぶりだしな。そろそろ新しい料理も知っておきたいと思っていたんだ。」
「生者?―――そうだった。僕もこの世界のことを色々聞かせてほしいです。その代わりに料理は僕が作りますから。」
太郎の要求はもっともだった。救出して速攻眠ってしまったため、昨日は何も説明できなかったのだ。
料理を作ってくれるという太郎の手伝いをしながら、銀次はこの世界の事やこれまでの出来事をすべて話すことにした。
「大体のことは分かりました。しかし・・・僕たちは元の世界に戻れるんでしょうか。」
すべてを聞き終えた太郎は、流石にショックを受けたようだった。
今までたいした狼狽を見せてこなかったのは年の功というやつなのだろうが、さすがに今回は顔が青ざめている。
妻にどう説明すればと考えているのだろう。
「そればっかりは何とも言えねえな。俺達もまだこうして帰れてねえし・・・いや、落ちてきた場所が分かるならもしかして行けるのかもしれねえ。
太郎さん、最初の場所からずっとチョコを落としてたんだろ?」
「ええ。道を見失わないように、ずっと道しるべにしていましたから。動物に食い荒らされない限りは残っていると思います。」
銀次の知る限り、この世界に鬼と餓鬼以外の動物が来ることは無い。
こちらにやって来る餓鬼が気づいてない限り、それらが無くなることはないだろう。
喜ばしい事実を知ると同時に、銀次は気になることを聞いてみる。
「食い荒らすってことは、コレは食い物なんだよな?どうもそんな見た目には見えなかったんだが。」
奇抜な青や赤い色をした、小さな丸。
ポケットに入った容器を太郎が差し出し、それを逆さまにすると、乾いた音を立てて掌の上に転がってきた。見た目的には毒のあるモノにしか見えないが、太郎が美味しいですよと言うので自分も口に入れた。
それにならって銀次も口の中に放り込んだ。
つるりとした表面は砂糖が塗られているのか、わずかに甘い。確かにおいしいものだが、地味すぎないだろうか。
そう思いながら歯を立てると、口の中の味わいが変わった。
「なんだこりゃ」
カリッと噛み砕くと中から甘くて、香り高い何かが出てくる。
砂糖の甘さだろうか。いや、それにしてはもっとこう、風味が違いすぎる。
うまく説明できない美味に、銀次はただ口を動かすことしかできない。
「うめえなんだこれ!うめえ!クセになりそうだ!」
次から次に現れる極彩色の天国を堪能していると、太郎が諦めた顔をしてこちらを見つめていた。
「マーブルチョコっていうお菓子ですよ。本当に君は過去の世界の人なんですね。。。」
「あ、ああ。すまねえ。あまりにも美味しかったもんでつい。」
日比谷の言うところのジェネレーションギャップというやつか。
新しい時代の技術や味覚に触れると、どうしても興奮してしまう。
今更だが、こんなに便利なものや美味しいものに囲まれてしまって、元の時代に戻れるのだろうかと思えてくる。
そう考えたところで、銀次の脳裏に一つの可能性が思い浮かぶ。
もし太郎が元の時代に戻れる方法があるとすれば。
お美希を連れて行ってもらい、未来で暮らしていくという道だってあるんじゃないだろうか。
そして様々な知識や経験を積んでからここに合流すれば、みんなで楽しく暮らせるのだ。
ずっとここにいて欲しいという気持ちもあったが、心の何処かでそれはできないと薄々感じていた。
それは今も背で眠る、お美希のこの状態が原因だ。
元々お美希はよく寝る子ではあったが、ここ数ヶ月は、とくにおかしい。
一日の大半を寝て過ごし、起きている時間がほとんどない。
ミルクを飲ませるのに苦労する程の状態をみて、最初に違和感を口にしたのは日比谷だった。
「ねえ、この世界って体の成長が止まるんでしょ?でも心だけ―――つまり体や脳が成長しないのに思考や心だけが成長するって、まずいんじゃないかしら。」
ほぼほぼ成長期を終えた銀次と違い、お美希の心身は急成長を遂げるべき時期のまま、無理やり停止させられている。
日比谷の言う脳、という単語の意味が分からずとも、云わんとすることは分かった。
日々起きて、活動し、思考を動かす。
本来ならその刺激が体と脳を成長させ、大きくなっていく。
しかし、刺激だけを受け続け、成長すべき部分が無理やり停止させられてしまったら。
心の成長に体が付いてこれないひずみが、お美希を今も蝕んでいるのだとしたら。
ここ最近まではただの推論ではあったが、それを証明するかのように、お美希の睡眠時間は長くなっていた。
まるで意識を保つことすら、危うくなっているように。
もし太郎のいる時代と隔離世を行き来出来るなら、イシザキのことが片付くまででもいいから、まずお美希だけでもあちらに避難させてやれないだろうか。
まだ確定的なことは一つもないが、そんな願いを話すと、太郎は2つ返事で快諾してくれた。
「ええ、もちろんですよ。実は妻は児童養護施設のオーナーをしてましてね。親御さんがいらっしゃらないということでしたら、こちらで引受けさせていただきます。」
「じどう・・・?ありがてえ!色々世話になるぜ。時々・・・いや、毎日会いに行くかも。」
これまでずっと一緒だった唯一無二の家族と離れるのは正直辛い。けれど、無事生きていくことが一番大事だと銀次は言い聞かせる。
しかし太郎はとんでもない、という風にかぶりを振る。
「何を言ってるんです。銀次くん、あなたも一緒に来るんですよ。」
「え、えぇ?!」
冗談を言っているのかと笑いかけると、ええ、と頷く太郎は至って真面目な表情でこちらを見ている。
「僕たちの時代では君だってまだ子供だ。学校に通う事だってできるし、存分に学び、遊んで、色んなスキルを身につけてからこの場で活躍した方がいいんじゃないかと思いますよ。
どうでしょうか。君がもし希望するなら、妹さんと一緒に僕たちの養子に・・・「ちょっ!ちょっと待ってくれ!」
ーーー学校だって?!アレだ、確か麻理子が通ってた所だ。
同じような歳の子と一緒に、読み書きだけじゃなくて色んな技術を教えて貰える所だ。
それに養子ってなんだ?!子供って事だよな多分。
親父とお袋以外の親?
いいのか?本当に?
そうだ、隔離世の事だってある。イシザキがまた来るかも知れないってのに、俺が抜けるわけには行かないよな?
それに本当に戻って来れるかも分からないし、ここは安易に受けるべきじゃない。
急な太郎の提案に、頭の中をとっちらかしながら、銀次は深呼吸を繰り返す。
断るべきだ、と頭の中で断言しながらも、銀次の心には学校という言葉が何度もこだましていた。
「簡単に決められることではないと思いますが、これも何かの縁です。是非前向きに検討をしてみて下さいね。僕はちょっと千代子とも話をしてきますから。」
「あ、ああ。分かったよ。」
料理の準備を終わらせたらしい太郎は、コップを持って一旦部屋に戻っていく。
その背中をまだフワフワした気持ちで見送りながら、これからの事に思いを馳せる。
イシザキを倒して、隔離世と地獄に安寧が訪れたら。
もし麻理子を呼び戻して、元に戻して一緒に学校に行くことが出来たら。
お美希と一緒に平和な時代を生きる事が出来たら。
たらればを考えても仕方ない、といつもなら切り捨てる類の思考が止まらない。
ずっと澱のように沈んでいた問題が解決するどころか、急に考えもしてなかった未来が見えて、銀次は胸の奥が震えるような感覚に襲われる。
「そういやぁ自分自身のことなんて、久しく考えてなかったしな。」
両親が殺されてからこの世界に逃げ込んで、与えられた権能に従ってずっと働いてきた。
火鼠の教えがそうさせるのもあったが、忙しくしていた方がこれまでの悲劇を、明るくない未来を考えなくて済んだ。
でも、もしこの先に望んでいた未来が訪れてくれるならばーーー
無意識のうちに手元に作り出したマーブルチョコをもう一つ噛み砕きながら、銀次はこれからの事に思いを馳せた。




