北村という男
1981年―――とある九州の集落の地主、北村家に生まれた赤子は待望の男の子だった。
男尊女卑の強い土地柄故、彼の出産には一族だけでなく、二人続いた女児の出産に焦っていた母親にも大きな安堵をもたらした。
秀人という名は、優秀な人間になってもらいたいからという祖父の意見を取り入れて付けられたものだ。
しかし、当の本人はさして優秀ではなかった。
もとい、優秀になれるまで何かを研鑽するような環境が備わっていなかったというのが正しい。
そもそも姉二人と比べて全てに置いて優遇されていた秀人には、努力などしなくても欲しいものは手に入ったし、どんな些細なことでも誰かが褒めてくれた。
そんな環境が自堕落な性格を招いてしまったのだと、のちの秀人は反省するでもなく落胆したものだった。
けれど当時は自分が先祖からの土地を継ぎ、一族を取り纏めて行くのだと老人たちに繰り返し言われ、すっかりその気になってしまっていた。
男であるというアドバンテージと万能感、圧倒的な自己肯定感が無垢な赤子を傲慢な青年に変えていく様を良しとしない者もいた。
秀人に真っ向から反抗したのは、姉二人だった。
いびられ気味だった母親に代わり、おかしいと思った事は真っ向から否定してくる姉達に、秀人は最初怯えていた。
けれど、自分に反論する度に父親達から叱責を受けるようになった姉たちは、徐々に秀人と距離を置くようになる。
そんな姿を見て秀人はほくそ笑んだ。
――――女のクセに、生意気なこと言うからだ。
それから何年も経ち、高校を卒業して家を出ていった姉たちは、東京に行ったまま帰ってこなくなった。
そしてしばらくすると何故か母も出ていった。
のちに共通友人から、仕事がうまくいって母姉三人で楽しく暮らしているらしい、と聞いた。
姉達はこの自分を、弟を見限ったのだと思った。
秀人は都会が羨ましかった。
―――僕は男なのに。あいつらよりも優遇されるべき男なのに。
それなのに自分だけがこの退屈な田舎に取り残され、女である姉たちだけが人生を謳歌しているのが我慢ならなかった。
だから秀人はあっさりと地主を次ぐことを捨て、上京する為に高校の進路を勝手に変更することした。
まだ中学生の秀人には、都会へ行く方法なんてそれぐらいしか思いつかなかったし、金だって父親達が融通してくれると思っていた。
―――姉たちだって近くに弟がやって来れば、住むところだって提供してくれるに違いない。
しかし、現実は甘くなかった。
急な進路変更に気付いた父親達が、急に手のひらを返してきたのだ。
―――自分達を捨てて都会へなど行こうとするなんて。これまで育ててやった恩を忘れたのか。
―――出ていくというならこれまでに与えてやった金をすべて返せ、時間を返せ。
無茶苦茶なことを言っていると思った。
けれどまだ大人の庇護の下でしか生きられない秀人は、涙を飲んでその言葉に従うしかなかった。
時は過ぎて秀人も大人になり、父親の後について仕事をするようになった。
その頃姉達が立て続けに結婚したという知らせを聞き、対抗するように老人達が見合い話をもってくるようになった。
秀人は24を過ぎた所で、紹介される女達はみんな性格が良かった。
けれど皆平凡で――――醜くは無いが美人でもなかった。
秀人は美人と付き合いたかった。
それでこそ東京にいるような、華のある芸能人のような美人だ。
だからテレビに映る綺麗な女優を見るたびに、自分にはふさわしくないという気持ちが沸き起こり、顔写真を見てはカタチだけ見合いの席を持ち、断りまくった。
別にそこまで無理をして、結婚する必要なんてないと思っていたというのもある。
しかし秀人が28になった時、すべてをひっくり返す事が起きた。
九州の多くを壊滅させるほどの、大地震が起きたのである。
たくさんの土地建物が破壊され、多くの人が亡くなった。
北村家もその例に漏れず、老人達は皆死に、父親と秀人だけが残った。
これまで培ってきたすべてが、無に帰した日だった。
すべてを失った父親は、生きる気力も失ってしまっていた。
けれど秀人はそこまでショックを受けていなかった。
―――土地も建物もすべて失った。なら東京に行けるじゃないか。
これまでのしがらみも全部捨てて、新しい土地でやり直してしまえばいい。
ちょうどその時、心配した姉達からも連絡が来ていた。こちらから助けを求めるには絶好のチャンスだった。
土地も建物も未だ権利はすべて父親にあったことを良いことに、秀人は後ろめたさも責任感も父親も、すべてを置いて東京へ向かった。
父親からの連絡は、すべて無視して。
久しぶりに会ったはずだからか、母も姉も秀人のことを心配していた。
家も土地もすべて失うというアドバンテージの大きさに、秀人は内心ほくそ笑んでいた。
そのまま母の住む家に居候させてもらう事にし、暫くは残っていた金を使っては遊んで暮らした。
けれど何ヶ月経っても仕事を始めていない事に気付いた姉に咎められ、嫌々就職活動を始める事にした。
この時秀人は30になっていた。
何の資格も持っていないし、他所で働いた経歴なんてなかった。
正社員の仕事はことごとくお祈りされ、仕方なく近所のレストランやスーパーのアルバイトしかできる仕事がなかった。
やっとの思いで働き始めたアルバイトでも、他のスタッフから見下されることばかりだった。
――――教えてもらうのになんでそんなに偉そうなんです?
――――30になってなんでそんなことも分からないんですか?
仕事内容が分からないから教えろと口を開けば、大学生ほどの、しかも女にそのような口を叩かれる毎日。
最初の職場では怒鳴り返して一週間でクビになった。
次の職場でも、次の次の職場でも似たような事情でうまくいかなくなり、年ばかりを重ねていった。
この頃には秀人も、高すぎる自己肯定感と虚栄心が原因であることを自覚しながら、やっつけ程度にITや簿記の資格を勉強することにした。
――――ああ。何の努力をしなくても金が手に入って、美人にモテて人に持て囃される人生を送ってみたい。
勉強の合間には吸い寄せられるようにWEB小説を読んだ。
秀人が好んだのは、主人公が最初から最強でイケメンで、たくさんの女の子を侍らせてヒーローとなる物語だった。
自分が決して成り得ない幻の姿を、小説上の主人公に投影することで心を保っていた。
不毛にも思えた毎日だったが、35になったその年。
秀人は初めてIT系の会社の正社員として採用される事になった。
闇雲に学習したプログラミングの知識が、ようやく実を結んだらしい。
初めての職種でありデスクワークであるその仕事に、秀人は大いに張り切っていた。
母も姉も褒めてくれた。姉に褒められるのは数十年ぶりだったかもしれない。
そんな気合いの入りようで、秀人は一生懸命に働いた。
『IT土方』などとと陰口を叩かれることもあった。
けれどどんなに怒鳴られても、きつい仕事を言い渡されても我慢した。
せっかく手にした正社員の座をクビにされたくなくて、高飛車な態度も不遜な言葉遣いも徹底的に封印し、そして疲れた時にはWEB小説で気を紛らわした。
恐らく、この三年間は秀人の生涯の中で最も努力をした時期だった。
――――そしてその三年間が、秀人の過労死を呼び込む事になってしまうのだが。
ここ最近、いやもう何ヶ月もずっと、疲れている。
常に肩が頭が、痛くてだるい。
それが今晩はいつも以上に息苦しくて、しんどい。なんだか心臓がバクバクしておかしい。
早く寝ないと明日も早いのに―――。
そんなことを思いながらも気がつくと、秀人は自分が眠っていた部屋の中で浮いていた。
眼下には目を開けたまま横たわっている、自分の姿が見えた。
「俺、もしかして死んだの?」
死んだ瞬間には全く心当たりがなかったから、死んだとは思っていなかった。
何故ならば体の痛みも苦しさも、現在進行系で続いているからだ。
おそらく、幽体離脱かなにかなのだろう。
死んだら苦しみとかからは開放されるのが物語のお約束だからだ。
隣の部屋で眠っている母親を起こすかどうか迷ったが、その上を飛び越えて外へ出た。
体は玄関の扉を透過して、夜の冷たい空気に紛れていく。
思った通り、誰もいない夜道を飛ぶのは爽快だった。
自分が空を飛ぶ特殊能力持ちの主人公であるところ妄想をしながら、この物語の続きを考える。
まずは最強の力を手に入れるところまでを夢想していると、下から誰かが呼ぶ声が聞こえた。
「そこの飛んでる貴方。」
数メートル下、こちらを見上げる男がいた。
幽体離脱した自分が見えるという事は、霊感だとかそういった特殊能力を持っている人なのだろうか。
リアルでそんな能力を持ち合わせていることに驚きつつも、秀人はその男の前に降り立った。
そこにいたのは茶髪の若いイケメンだった。
温かそうな白いコートに身を包み、年齢に似合わない高級品を身に着けている様子に嫉妬感を強めながらも、秀人はとりあえず要件を聞く。
「なんですか。」
「いえ、貴方が実に素晴らしい魂を持っていたのでつい話し掛けてしまいました。よろしければ少しお話をしていきませんか?」
素晴らしい魂、と言われて悪い気になれない秀人は、なんとなく男の話に付き合う事にした。
歩き続ける男の横を飛びながら、じぃっとその横顔を眺める。
線の細い顎はまるで女のようだが、喉仏を震わせて発せられた声は男のそれそのものだ。
「実は僕、神なんです。」
「えっ―――」
「そう、だから貴方の事も視えるし、素晴らしく人生を全うされた貴方に相応のご褒美を差し上げたいとも思ってましてね。」
続けられた男―――否、神様の言葉に秀人は絶句する。
人生を全う、つまり自分が既に死んでいるという宣告と、目の前の男の正体。
想定していなかった答えが浸透するまでに、時間が掛かった。
正真正銘の、神様?
まともな人間が言っていたとしたら、かなりヤバイ発言だ。
けれど突拍子もない発言への疑念とは裏腹に、僅かな期待が期待が込み上げてくる。
嘘だと言ってしまいたい程の状況だったけれど、現在進行で自分自身の存在が嘘のような状態になっているところだ。
もしかすると、もしかするのかも知れない。
絶対に信じられない、という状況ではなかった。
「―――か、かみさまは、俺にどんなご褒美をくれるんです?」
通路の突き当り、扉をくぐった神様についてくるように促され、それに続く。
広がった赤い空に固唾を飲んだ秀人に、神様は優美に笑っていた。
先程までは疎ましかった美しさが妙に神々しく見えて仕方ない。
「貴方の望むものを与えますよ。」
「それなら―――!!」
異世界に転生したい。
ゲームみたいに疲れを知らない丈夫な体と、最強の力。
チートな力で自由に世界を見て回って、あとはかわいいヒロインに囲まれてモテたい。
恥も外聞も捨て思いつくままに欲望をたて並べると、神様は面妖な笑顔で頷きポケットから何かを差し出してきた。
「それならこれがピッタリかな。」
片手の平に収まる程の紫色のひよこだった。
それが眼前に近づいた途端、秀人の意識はフェードアウトした。
目が覚めた時、秀人は見知らぬ岩場にいた。
見渡す限りの赤い空と、眼下には深い谷、所々に隆起した黄色い岩場が広がっている。
まさしく異世界だ。
どうやら願いを叶えてくれたらしい。
念願のスタートにしては随分無骨な始まりだと思った。
そして随分と視線の位置が高い。どうやら元の体より随分タッパのある人間に転生したらしい。
できれば線の細い美男子になって無双したかったけれど、文句ばかりも言っていられない。
既に生前悩まされていた体の痛みも疲れも全く感じなくなっていたし、体も嘘のように軽い。初期アバターとしては十分だった。
これから始まる新しい人生に、ニヤニヤ笑いが抑えられなくなる。
ひとしきり興奮を味わい落ち着いたところで、秀人は異世界転生したらまず言おうと思っていた言葉を口にした。
「ステータス・オープン!!」
大きな声が谷間に反響し、こだまとなって返ってくる。
けれどいつまで経っても、秀人のステータス画面は現れなかった。
「ステータスオープン!・・・別の出し方があるのか。――――ってあれ?」
ステータスの出し方は大抵こういう場合、口で宣言するか指での操作が多い。
だから秀人は宣言を諦めて、手での操作に切り替える事にする。
しかし、手が動かない。
否、手が見えない。
「あ、あ、あれ・・・?俺のからだ・・・」
自分の体を見ようにも首が動かない。
眼下に広がる景色だけが固定され、今自分がどういう状態なのかも分からない。
ただ一つ言えるのは、今の自分は手も足も自由に動かせないという事だった。
「おい!どうなってんだコレ!神様?!かみさまーーーッ!!!」
期待していたのと違う現状に秀人は叫び散らす。
もしかしたらまだ近くにいるだろう神様に向かって助けを求めるつもりだった。
しかし―――
グォオオオオオ・・・・
謎の異音と共に景色が揺さぶられ、秀人の顔面は近くの木の幹と岩肌に激突した。
「あああああぁ!!」
硬い岩肌に叩きつけられた鼻と頬骨が折れ、血が吹き出す。
―――なんだこれ、何が起こってるんだ。
理由もわからないまま制御できない動きに翻弄され、ようやく自分の状況が理解出来たのは自分の体が岩場から落下したときだった。
何もしていないのに勝手に体が岩場から飛んで行き、息も出来ないほどの強風の中で叫ぶ。
けれど、すぐに自分が飛んでいる事に気付いた。
そして、真っ黒な谷底に映った自分の体の影のカタチに、秀人はようやく今の自分の状態が把握出来たのだった。
谷底の岩場に映るのは巨大な鳥の影だった。
自分は鳥にーーーいや、鳥の一部になっている。
場所的に鳥の胸元辺りだろうか。顔面を撫でる強すぎる風に、本来なら開放感を感じるのだろうが、秀人は絶叫に絶叫を重ねていた。
なぜなら、鳥は飛ぶのに慣れていなかった。
不安定な羽ばたきは風を捉えることすら叶わず、秀人の視界は急速に近づく死に断末魔をあげ、たちまち体は谷底の岩場に叩きつけられる。
その下敷きになった秀人は完全に潰れた。
頭蓋も、脳漿すらもぶち撒けて意識を手放したはずだった。
それなのに数分後には激痛を伴いながら頭は再生していた。
「ああああ”あ”ぁ”あ”あ”・・・!」
地獄だった。
頭の悪い鳥は何度も飛ぶ練習をし、その度に失敗を重ねた。
そして漸く飛べるようになっても、それは対して変わらなかった。
上空に飛び立っては、地面にいる黒い人間を狙い、急降下しては激突した。
何千、何万回もの激痛に、秀人は徐々に心を失っていった。
―――イヤダ、イヤダ、コロシテクレ、デモシニタクナイ。
意識も人格すらも失う地獄の日々はいつの間にか終わった。
「ここは、どこでしょうか。」
気がつけば、布団の上に寝かされていた。
まるでこれまでのすべてが、夢だったように。
「ここは俺達の屋敷だ。無事なようで何よりだ。あんた、どうやってここに来たか覚えてるか?」
自分に話しかけてきた少年は、それからつらつらと説明を始めた。
自分が死んでいること、世界のこと、鳥の化け物のこと。
言っている事が一つも分からなかった。
まるでWEB小説の話をしているみたいだ、と思った。
そういえば、前もこんなことがあった。
「体が辛くて・・・明日も仕事なのに。眠れなくて、呼吸が苦しくて。
だから―――疲れを知らない丈夫な体が欲しいって、神に祈ったんです。そして、自由になりたいと。そしたら新しい体をくれるって、ヒヨコを差し出してきて・・・・やっぱりあれは神様じゃなかったのか・・・?」
もうどれくらい前の話か分からない。
けれど、確かにそんな話はした。
自分が物語の小説のように。最強の自分になって、ヒロインに囲まれてチートな力で無双すると。
ぼんやりと思い返して、秀人はふと視線をあげた。
自分を見下ろす少年と、そしてその隣にいる顔に視線が吸い込まれる。
その人は心配そうにこちらを覗き込んでいた。
透けるほどの白い肌はシミ一つない。
真っ黒な髪も瞳も、長い睫毛も、明るい照明を反射するように輝いている。
看護師らしい白い装束はまるで天使のようだった。
その姿も顔貌も、街でたまに見かける美人よりも、テレビで見る女優よりも、遥かに美しかった。
彼女こそ、彼女こそ自分の物語にふさわしいヒロインだ、と秀人は確信していた。
そういえば、この最強の自分にはまだヒロインが用意されていなかった。
ようやく、俺のための世界が作られたか。
遅かったじゃないか。
でもいいや、許してやるよ。
感動的な出会いのシーンに静まりかえる周囲に言葉を落とす。
「・・・もしかして、キミが物語のヒロイン?」
俺の、北村秀人のためだけの世界始まったばかりだ。




