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古桜庵にて待つ  作者: 挿頭 草
第一章:賽の河原
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鋼の巨鳥

猛り狂う巨鳥が突っ込んでくるより先に、軌道から逸れるように大きく横へ飛ぶ。

しかし急速に接近する巨体を躱しきれない事を悟って、着地した先で地面を転がりつづけた。



「ぐ・・・っ!」



けれど機転を効かせたはずの動きでさえ、無造作に舞い散る紫の刃を避けきる事は出来なかったらしい。

若干の痛みを感じた左の脛から血となにかが奪われていくような感覚が走った。


「―――ッ。魂を奪われるってか。」




まるで冷たい氷で足を撫でられたような、おぞましい感覚に身を震わせながら、銀次はなんとか痛みと不快感をやり過ごす。

餓鬼達のように意識を奪われる事が無いのは、生者だからなのだろう。

まだ立っていられる状態からそう推測してみるものの、何度も食らってよい類の攻撃ではない。


視界の端、岩陰に横たわっている老婆がその成れの果てなのだろう。

例え初撃で魂を奪われなかったとしても、刃による傷を幾つも負ってしまえばひとたまりもない。

銀次は痺れに似た気怠さを振り払いながら、もう一度敵の動きを見た。



直前で銀次に突進を躱された巨鳥は、頭から大岩に突っ込んでもがいている。

鋭利な蹴爪を振り回しながら足掻く様子は、一見滑稽だ。



「・・・硬いな。」



しかし攻撃の機会を捉えた銀次が後ろから狙った首筋は何枚もの刃に阻まれ、肉まで通らない。

体の大きさもさることながら、鉄蟻を遥かに凌ぐこの防御力が問題だった。

頭が埋まっている間に何度も刃を叩きつけてはみるものの、首元を狙う不届き者に気付いた巨鳥の足が飛んできて、銀次はその場を飛び退いた。




煙々と湧き上がる砂煙の向こうから血走った視線を向ける巨鳥は、さらなる怒りを滾らせて刃を震わせている。


ーーーこいつは厄介だ。


舌打ちしながら睨み付けた巨鳥の胸元には、先ほども見かけた人の顔が泣いている見えた。

岩石との突進をまともに食らったのか、鼻も頬骨も潰れ、口からは血を吐いている。巨鳥とは対象的に痛々しい姿を見せる人間の顔貌に、苦々しいものを感じながらも銀次は気付く。



「・・・苦しんでる。本体とは頑丈さが違うのか。」



ボコリ、と音を立てて少しずつ回復する様は到底まっとうな人間ではない。

しかし衝撃に対する防御力は人間のように低い。

いざという時は人間の部分を狙えばあるいは――――




「ダメだ。やっぱりそんなこと出来ねぇ。」



口に出す前に浮かんだ葛藤を即座に否定し、再び突進してきた巨体を全力で躱す。

直前で避けた鈎爪は、先ほどよりも余裕がない。

仕返しとばかりに頬と右肘を通り過ぎた刃に、またしても気力を吸われてしまい、銀次は膝をついた。

すれ違いざまに聞こえた人の顔の呟いた言葉が、耳にこびりついて離れない。



『コロシテクレ』



涙を流しながらそんな懇願をする人間にトドメを刺せる程、銀次は大人ではなかった。


けれどこのままではマズい。だが、あの顔は狙いたくない。

次の攻撃が来るまでに幾重にも引き伸ばされた時の中で葛藤し、苦悩する。

どうすれば――――。



血の気を失った頭が巡らせた思考が、一つの記憶に辿り着き、そして――――









黒い水溜りの前で、老人は居た堪れない気持ちで待っていた。



自分を背負ってここまで運んできてくれた、謎の少年が消えてかれこれ10分程だろうか。

それ以降何の音沙汰も無く、事情もよく分からないまま待ちぼうけ状態だ。


別世界だといわれた黒い水面に、自分から踏み込む勇気はなかった。

行ったら最後、戻れなくなる自信があった。



「そもそも、この世界はなんなんでしょうか・・・。」



ただの水溜りが別世界に通じるなど、地球ではあり得ない。

つい数時間前まで歩いていた山道とはまったく異なる礫砂漠は、老人は薄々この場所が自分たちのいるべき世界では無いことに勘付き始めていた。



「天国、いや地獄に近いのかな・・・。」



この歳になると、様々な場で人間の臨死体験を聞くこともある。

死の間際、花畑が見えたり川が見えたり、はたまた死に別れた家族と会ったり。

それらの体験に共通するような、突然死の危険に晒された自覚はなかったが、近い状況なのだろうと考えていた。



自分でも驚くほど、この異常な状況を受け入れられてしまっていた。

確かに妻が姿を消してしまった事は不安だったけれど、何故かあの少年に任せていれば大丈夫だという、漠然とした安心感があったし、もし既に自分が死んでいたとしても、この歳となっては然程死に対して強い恐怖はなかった。



自分の成したいことを成し、愛する伴侶に出会い、子供達も自立した。

仕事も定年を迎えた後で、残りの余生をどう使うか時間を持て余していた所だった。


同じように時間を持て余していた妻の勧めで、一緒に登山を始めた。

特に目的意識もなく高い山を目指す訳でもなく、ただ汗を流して山を登り、その旅路の最後に美しい自然と景色を眺めるのが楽しかった。


その日登ると決めたのも、何の変哲もない山だった。

いつも通りの装備といつも通りの心構え、そして愛する妻との楽しいおしゃべり。

秋口に差し掛かった山はまだまだ暑かったが、それでも素晴らしいロケーションだった。

―――途中までは。




登り始めて二時間、最初の小休止を取ろうとした時だった。

先に岩に腰掛けた妻の横で水筒を取り出した時、妻の声が聞こえた。



「あっ・・・」


続く言葉すら無くしたような、短い叫び。

普段あまり聞かない類の声に視線を上げると、それまでの世界は消え去っていた。


それまで世界を彩っていた瑞々しい命の色は、灰色一色に塗りつぶされ、登るべき斜面すらも無くなっていた。

恐ろしくもあり、どこか懐かしさを感じるような、不思議な光景だった。

全方位見渡しても遠く地平が砂煙に紛れ、座っていなければ自分達がどこから来たのか分からないところだった。



妻の機転で道標を置いていなければ、まっすぐここまでくる事も出来なかったかも知れない。


改めて妻への感謝を胸に浮かべながら、老人はもう一度水溜りへ視線を戻した。

危険の目標として水色のマーブルチョコをもう2つ置いていくと、突如水面が波打った。




「よぉ、たぶん爺さんの嫁さん。見つけたぜ。」



一拍遅れて姿を表したのは、先程助けてくれた少年だった。

しかしその姿は水溜りに消える前の様相と、ずいぶん異なっていた。

短い二本の刀を両手に携え、衣服はボロボロ、体の至る所から流血している。



「おかえ・・・きみ、大丈夫ですか?!血だらけじゃないですか!!は、早く手当を!」



「いやいや、いーんだ。あとちょっとだけここで待っててくれ。・・・よし、そろそろか」



「き、きみ!」



意味のわからない台詞を残し、再び水溜りの世界に戻ってしまった少年に手を伸ばす。

その行動の意味を探りながら、老人は目の前の波紋に近づく。


―――自分を安心させるために妻が見つかったと、それだけを言いに戻ってきてくれたのだろうか。


しかしこの世界の先では、短時間で血だらけになるような不穏な出来事が起きている。

それをまだ小さな少年に任せたまま、ただここで指を咥えて待っている自分はいったい何なのか。


俯瞰して見えた現状に気付いた途端、これまでただ待ちぼうけていた自分に腹立たしくてたまらなくなる。


自分の妻さえ迎えに行けなくて、何が男か。




「千代子、今行くぞ。」



先程まで怖くて仕方なかった目の前の水溜りを睨みつけ、呼吸を整える。

胸中に湧き上がる後悔と自責が未知なる世界への恐怖を消し去り、老人は足を踏み出した。


途端、上下左右回転する赤い景色に体の自由を奪われる。

自分が上を向いているのか下を向いているのか、はたまた寝転がっているのか。

三半規管を滅茶苦茶に揺さぶられ、どこに向かってか分からないまま胃の中身がぶち撒けられる。



「おぇっっく!」



「お、おい!じいさんも来ちまったのか?!待っててって行ったじゃねえか。―――ったく危なかったぜ、あと少し終わるのが遅けりゃ、巻き添え食らってたところだ。」



未だ暗転したままの視界の外で、少年の叱責が飛んでくる。

歳の割にずいぶんと偉そうだが、こちらも妻を見つけてもらってる立場なので何も言えない。

それどころか体調的にもとても文句を言えるような状態ではない。


息も絶え絶えになりながら、ようやく機能し始めた目を動かして辺りの様子を見る。

上に見える赤は空の色、そして地面と少年。その足下に転がっている紫色の大きな山からは白っぽい煙と霧が黙々と生まれている。



「・・・これは、なんですか?」



大きな山には羽が生えていた。鳥のような形をしているが、首の部分がない。

先ほどまでそこに首があったように、グロテスクな断面から大量の煙を吐き出していた。



「こいつは地獄の鬼ってヤツだ。この一帯を支配してたヤツなんだろう。ようやく思い出したんだ。普通の鬼は隔離世には出てこれないって。だから一旦戻って突進を躱したあと、そのままトドメを刺せた。

じいさんの嫁さんを襲ったのもコイツだ。・・・ああ、これから忙しくなるな。」



言っている言葉の殆どの意味が分からなかったが、少年が指差した先、見覚えのあるズボンが見えて老人は慌てて身を起こした。

まだ足元がふらつくが、それどころではない。


「千代子・・・!」



岩場に背を預けたままの妻―――千代子は脚と肩に紫色の何かが刺さっていた。出血が多かったのか土気色の顔をしたまま意識を失っている。

声を掛けても揺すっても、目を覚まさない。その姿に血の気が引く。



「ち、千代子!ダメだ!僕を置いていくな!」



「落ち着けよ!死んじゃいねぇ。取り敢えず仲間を呼んでくるから、今度こそここで待っててくれよ。―――ああ、あとじいさん、名前は?」



恐慌状態に陥って妻の肩を揺らす自分に、少年が諭すように話しかけてくる。

これではどちらが年配者なのか分からない。

ぐらぐらする頭のまま少年の言葉に自分を戒めて、深呼吸を繰り返す。

まだ拳の震えは止まらなかったが、今度は落ち着いて千代子を抱き寄せた。



「金田。金田 太郎です。こちらは妻の千代子。お願いします、助けてください。」




―‐―分かった。



ほんの少しだけ考える素振りを見せた少年は、それだけ言って去っていった。

その言葉を聞いてから、何かが光り、そしてガヤガヤと他の人の声が聞こえ始めるまで、一体どれくらいの時間が経っていたのかも分からない。

歩き続けた疲労と異世界での心労と、何が起きているのか分からない事への不安感と。

押しつぶされそうな気持ちの中で、ただずっと妻の手を握っていた。



『もう大丈夫ですよ。』



気がつけば片手に紫のひよこを乗せた真っ黒な少女が正面に立っていた。

明らかに色合いの違う手に腕を引かれ、困惑しながらも老人は歩く。

後ろを見れば妻は別の黒い男性に運ばれ、白い女性に手当を受けながら歩いていた。

その後ろでは少年が白っぽい中年男性を肩に担いで歩こうとしている。


再び回転し始めた世界に吐き気を堪えていると、また砂漠の世界に戻っていた。来る時にはなかった小さな草花の帯がまるで道しるべのように砂漠に続いていて、老人は自分の目がおかしくなったのかと頭を振った。



「なるほど、如雨露を使ったんだな?これなら迷わなくて済む。」


「でしょ?これから何度も往復するなら、こうした方がいいと思って。」



後ろの方で、少年と女性の会話が聞こえる。

その会話の意味は分からない。というかなぜ少女も男性も黒いのか。女性はやたら白っぽいのか。

そして足元の草は女性が生やしたものらしい。一体どうやって?

何もかも分からないまま歩き続ける不思議な世界で、砂漠に生えた緑の絨毯だけが幾許か心の余裕を取り戻させてくれたような気がした。



そうして歩き続けて数十分。

やがて正面に見えた大きな屋敷に、老人はようやく自分たちが助かったのだと実感するのだった。


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