サンドイッチ
チエミ達が成仏してから、しばらくの日が過ぎた。
静かになった古桜庵では、相変わらずの営みが続いている。
温室の野菜を収穫し、地獄で取った水を緑の嬰児に与え、そして木藤が連れて来る餓鬼を成仏まで世話する。
ほぼ同じといってもいい日々だったが、木藤が地獄に通い続けて二週間目となったその日、ついに木藤は一人で帰ってきた。
その現象が意味するところはつまり―――
『銀次殿、この周辺の餓鬼はすべていなくなったようです。』
古桜庵周辺の地獄にいる餓鬼を、全て成仏させることができたということだ。
ようやく達成された成果に、銀次達は大いに沸いた。
「本当?!どっかに見落としでもしてるんじゃないわよね!?」
木藤の腹巻きにある地図は東西南と幅広く広がっていて、特に鬼の討伐に成功した中央部分、古桜庵の周辺は詳しく網羅されている。
そのため、木藤が餓鬼を取りこぼしているという可能性は低い。
それなのに木藤憎しで疑いの言葉を投げる日比谷に一言申そうとした銀次だったが、彼女の口元に浮かんでいた綻びに閉口する。
どうやらどんなに嬉しくても嫌味を言わずにはいられない性格らしい。
一方、木藤の表情は険しいままだった。
『この周辺の見落としはないかと。しかし、近辺の探索だけに注視してきた為、周辺一里以上先には足を運べておりません。
とくに北方のエリアからは野草が減り、鬼の視界から隠れづらく探索が進んでいないのであります。
その為か―――以前の自分が記入したと見られる地図も、ここで終わっています。』
「つまり、その場所にアイツがいる可能性がある訳か・・・。」
木藤の示す地図では、古桜庵の北側の川の先に広い土地があるようだが記録はそこで途切れている。
不気味に広がったスペースに走り書きでただ一文字、『ー鬼』とだけあるのがなんとも異様だ。
「一鬼ってなんだ?壱番の鬼って意味か?」
『分かりません。自分がどういう意味で書いたのかさえ覚えていなくて・・。』
「・・・それよりこれからどうする?北側に行ってイシザキを倒す、とか・・・どうかなと思うんだけど。」
『自分は東西南の鬼の討伐を行いたいです。そうすれば、その土地の子供達を保護できます。』
今後の方針について二人が意見を述べる。
普段強気な日比谷が控えめに言及する理由はもちろん、行動の主体が銀次と木藤になるからだ。
イシザキが憎いとはいえ、いざ戦闘になれば自分が役に立てないことを自覚しているのだ。
一方の木藤も鬼退治にはあまり自信がないらしく、銀次に伺うような視線を向けている。
そんな二人の意見を吟味しながらも、銀次はあらかじめ決めていた方針を打ち出した。
「イシザキは今はやらない。鬼退治はやるが、その前に母屋の建設と―――ノリコのケアが先だ。」
かつて曇天に覆われていた空は、今は所々に青色の隙間が差し、寒々しい地に幾分の温もりを注いでいる。
しかし、それを見上げる少女の心には一片の光明さえ与えることもできない。
『・・・死にたい。』
少女が呟いた言葉に、深い意味は無い。
ただ生来言い続けてきた言葉が、ついこぼれ落ちてしまっただけに過ぎない。それに少女だって、自らが既に生きていない事は分かりきっていた。
だってそうしたのは自分なのだから。
『なんでいつもこうなんだろ。』
全ての苦しみから逃れる為に選んだ死だった。
―――どうしていつまで経ってもこんな辛い気持ちが続くんだろう。
死ねばもう辛い気持ちが追いかけてくることなんて、ないと思ってたのに。
誰かに突き飛ばされるようにしてやってきた不気味な河原。
そこでは皆一様に不幸だった。
年齢に関係なく、空腹や怪我に苦しみ、理不尽に化け物に痛めつけられた。
けれど、思っていたより辛くはなかった。
苦しんでいるのは、自分だけではなかったから。
それに、最初は痛かったけれど、鉄蟻に魂を奪われている間はまさしく無だった。
苦しみも悲しみも、全てを拭い去るような、完全な無に眠る感覚はノリコが最も欲していたものだった。
ずっと永遠に、あのままでいたかった。
それなのに――――。
「ノリコ、いるか?」
唐突に現れたその男に、ノリコは思わず眉を寄せてしまう。
こんな所に隠れてたのかなどとヘラヘラ笑いながら、バスケットを片手に近づいてくる男の名前はギンジという。ただの偽善者だ。
「最近は和食が多かったからな。これなら舌に合うかなと思って、昼飯はこんなモンを作ってみたんだ。ちょっと感想を聞かせてくれ。」
紙袋を差し出した銀次は得意気な雰囲気の中に、わずかに伺うような意図を感じる。
どうやらご機嫌伺いに来たらしい。
ノリコはこういう接し方をする大人が嫌いだった。
けれど、面と向かって反抗する度胸もないし、そんな教育を受けた覚えもない。だからノリコはささやかに睨みつけるだけで、バスケットを受け取った。
『これはなんですか。』
「サンドイッチという料理らしい。これだけは日比谷が作れるってもんで、ためしに一緒に作ってみたんだ。」
銀次は包みを開けながら、これはがトマトだとかツナだとか説明している。
正直煩わしいと思ったけれど、ここ二日食事を取っていなかった。
食卓に顔を出したくなくて、声を掛けてくる銀次達から逃げ回っていたからだ。
幸か不幸か、この体は食事を取らなくても死なない。ある程度の限界を過ぎると、急速に死んだ直後の空腹状態まで戻ることは、これまでの地獄生活で気づいていた。
だからノリコはその戻りを狙って逃げ回っていたのに、ここの住人はいつもそこかしこにおにぎりなんかを置いていく。
最初は無視できずに口にしてしまっていたが、ここ数日は食べ物を見つけないようにすることでなんとか耐えられていた。
それなのに。
「俺のおすすめはタマゴサンドだな。中のゆで卵を刻むのが面倒でな、かなり苦労したんだがその分味は絶品だ。『なんで・・・』
うん?、と言葉を止める銀次に向かって、ノリコは抑えていた何かが噴き出すのを感じた。
いつもいつも、誰かの思うように動かされて。
こっちの気も知らないで、一方的な偽善を押し付けられて。
自分の気持ちだけ無視されて、勝手に気を使われて。
気付けば年下の子達にまで置いていかれて。
どこまでもみじめで、情けなくて、誰とも話したくないのに。
『・・・なんでほっといてくれないんですかッ!!今更助けなんて頼んでなんかないのに・・ッ!』
色んな怒りや悔しさ、口ではうまく説明できないたくさんの気持ちがごちゃごちゃになって、気がつけばノリコは怒鳴り声をあげていた。
生きてきた中でも出したことの無いような声に、びっくりしたような顔の銀次がこちらを見ている。
思ってる事はだいたい想像が付いた。
大人しそうだと思ってたのに、失望した。
優等生っぽいのに、そうでもなさそうだ、とか。
同じような場面に遭ったことは数え切れないほどある。だから相手の勝手につけた評価を裏切ることなんて、もうどうでもよかった。
ノリコは沸騰した怒りを、溜まりに溜まった勢いのままに吐き出した。
『目なんて覚ましたくなかったのに・・・どうして眠ったままでいさせてくれなかったの?!こんな所なんて来たくなかったのにッ!挙げ句の果てには小さい子達にも置いていかれて!
どうして?!どうして私ばっかりツライ目に合わせるの?!あんた達なんて、大っキライ!
挙げ句の果てにはこんな偽善を押し付けて!あんた達の自己満足に私を巻き込まないでよッ!!』
一度外れた怒りのタガは、眼の前の男だけに飽き足らず全てを憎しみで塗り替えていく。
鉄蟻を討伐して、いい事した気分になってる偽善者も、私の事なんて、なんにも知らない癖に助けた気になってるヤツも。
半分八つ当たりだと分かっていても、ぜんぶが最期の日に話したヤツらと重なってしまって、気づけばノリコは涙を流していた。
思いつく限りの罵詈雑言をぶち撒けて息を切らせてしまったノリコに、なぜか銀次は笑っていた。
困ったように眉を下げて笑う男に、ノリコのボルテージは再び昇りつめていく。
ばかにして、許せない。
そんな恨み言を吐き出そうとした所で、ふいに銀次が立ち上がった。
「以前、同じような事を別の子に言われたことがある。たしかそう、偽善者の原始人、だっけか。」
思い出すように歩きはじめた銀次から、先程までの笑みは嘘のように消えていた。
急に晒された無機質な表情に、ノリコは幾許かの冷静さを取り戻す。
「そいつの家はかなり複雑だったらしくてな。腹に一物も二物も抱えてんのに本人も話したがらねぇし、おまけに俺ぁ察するのに疎くて、全然気づいてやれなかった。だから、結局怒らせちまってな。仲違いしたままサヨナラしちまった。」
『・・・・。』
「今考えても、アイツにどう接してやってれば正解だったかは分からねえ。・・・でもな、何も知らないんじゃ、俺には出来ることしかできねぇ。タラレバで語った所で、俺は学んでからしか行動できないヤツだからな。
今更助けが必要ないってんなら、それでもいい。だが、やってほしいことを教えてくれればそれなりに対応できるんだ。
・・・だからさ、お前の事ももうちょっと教えてくれよ。」
―――教える?教えるって?私のこと聞いてどうするの?
詮索して欲しくない、関わりたくない、一人にして欲しい。
まだ燻っている怒りと要求がぐるぐると頭を回る中、銀次がノリコを引き出そうともう一押ししてくる。
「お前は何がしたい?どうして欲しいんだ?」
『・・・私のことは、放っておいてください。』
促されるようにして放った言葉を、銀次は意外にもすんなりと頷いてくれた。
幾つかの条件を残して。
「いいだろう。ああ、ツライことが嫌だってんなら、ここから出ていく事はオススメしねぇからな。この周辺にはまだ別の鬼がウヨウヨしてるらしくてな、都合よく魂を抜いてネンネさせてもらえるなんて事はねぇ。
あと、メシはちゃんと食え。顔を合わせたくねぇってんなら俺達の前じゃなくてもいい。適当に作って置いておくから食っておけ。俺からは、それだけだ。」
じゃあな、とだけ言い残すと、本当に銀次は背を向けて去っていった。
サンドイッチの入った紙袋を残して。
散々泣き喚いて怒鳴った修羅場が嘘みたいに、突然訪れた静寂にノリコはしばらく動けなかった。
急に気が抜けたというか、疲れたというか。
よく分からない空虚感に苛まれていた。
そして。
思いっ切り泣いたあとの体が訴える欲求に抗えず、ノリコは紙袋に手を伸ばした。
紙袋の中にはコーラとサンドイッチが入っていた。
一番手前にあるのは、銀次が勧めていたタマゴサンドだ。ふわふわのパンの間、溢れんばかりの黄身が詰まっている。
その眩しさに、ノリコは何度も瞬きを重ねてしまう。前に食べたのはもうどれくらいか分からない程なのだ。
マヨネーズの香るそれを一口、二口頬張り。たまらず三口四口・・・・
気づけば全部平らげてしまっていた。
『昔、おかあさんが作ってくれたっけ。』
トマトもツナもBTLもパンくず一つ残さず口に放り込みながら、もう二度と帰ってこない、いつかの幸せを思い出すのだった。




