また会う日まで
照明を落としていたはずの室内は、もはや昼間の如き光に包まれていた。
その光の中心、ニコニコとほほ笑んでいたチエミが来たばかりの赤子達に抱き着く。すると光が体を伝って赤子達まで輝きはじめた。
『何・・・それ。』
ふわりと浮かび上がる二つの小さな体を前に、呆気に取られているノリコがいた。
チエミは彼女にも手を伸ばしたが、光が伝播することはなかった。
その様子を見て言葉を失っていた銀次が、ようやく己の時間を取り戻す。
「―――どうやって。どうして。なんで一斉に成仏、しようとしてるんだよっ」
もう何度も見てきた光は、彼らの成仏が近いことを示している。
銀次の問いは、眠っていた赤子まで、示し合わせたように成仏へ向かおうとすることへの疑問なのだとチエミは解釈し、たどたどしい言葉で説明してくれる。
『じつは、トオル君が満足できたらみんなで行こうって、決めてたの。魂がわかってるから、みんなタイミングが揃うの』
「ちがうんだ。そうじゃない。そうじゃなくて・・・。」
言ってる事は分かってる。
でも伝えたい事はそうじゃない。
でも伝えるべきじゃない。絶対に。
とめどなくせめぎ合う気持ちが溢れそうになって、思わず銀次は視線を背けてしまう。背けたその視線の先、日比谷も愕然とした表情を浮かべているのが見えた。
銀次には日比谷の気持ちが痛いほど分かった。
もちろん、成仏することはすべての餓鬼達が向かうべき目標であり、天国―――極楽浄土へ向かう素晴らしい事だ。
銀次達もこれまで彼らをそこへ送り出すために尽力してきた、つまり最終目標だ。
しかし。
チエミとの付き合いは、ここに来た餓鬼達の中で一番長い。
ある程度割り切ってはいても、そう簡単に気持ちを片付けられるほど、銀次は大人ではなかった。そして突然すぎる別れは日比谷にも、そしてノリコにすら、準備が出来ていなかった。
『これ、なんなんですか?!何が起きてるんですか?!』
怯えたように叫ぶノリコは、成仏の状態の意味が分かっていない。
そしてそれが分からないということは、悲しい事にそれはノリコが、チエミのいう『満足』から遠い事を意味しているに他ならない。
『あの子達は成仏して、ここよりもっといい場所へ行こうとしているんだ。ノリコもいつか、出来るようになる』
『は・・・成仏って。天国?ねえ、これって私、置いていかれてるってことですよね?なんで・・・そんなの・・・そんなこと・・・!!』
説き伏せる木藤の言葉は優しい。
けれど、徐々に顔を歪ませていくノリコは、突然声を荒げると、突然木藤を振り払って外へ出ていってしまった。
戸を叩きつける大きな音の後、木藤が後を追い、辺りには眩しい静寂が戻ってきた。
意図せず起きてしまった諍いにチエミは泣きそうな顔をしていた。
どうやら自分のせいだと思っているらしく、そこはかとなく光も弱まってしまっているように見えて、銀次は無理矢理に感傷を叩き潰した。
「今の話は気にすんな。せっかくなんだ、お前達はそのまま成仏するんだ。」
『でもやっぱりおねえちゃんを置いていったら―――「ノリコは俺達でなんとかする。だから安心しろ。」
その言葉を聞いた途端、先程輝き始めたばかりの赤ん坊が二人、空へ向かっていった。
天から降りる黄金の柱を不安そうに見上げるチエミに、銀次はちょっと意地悪にたたみ掛けた。
「なんだ、俺達を信用してないのか?ノリコにはこれからチエミの知らない楽しい事も美味い料理も、どんどん味あわせてやれるんだぜ。どうだ、悔しいだろ。」
『むー。だいじょうぶだもん。チエミはみんなといっしょだもん』
「ハハハ!わりぃわりぃ、そうだったな!!」
チカとユウカの体が浮かび上がり、崩れ縮みながら空へ吸い込まれていく。
後ろで、日比谷が泣いているのを気取られないように、銀次は大げさに大きな声で笑った。
そうしている間にもどんどん光が強くなってくる。
かろうじてそこにいる事が分かる程度の光の海の中で、足元からシンタのもじもじした声が聞えてきた。
『ありがと、すべりだい、すげぇたのしかった。あとメシ、うまかった。』
「おう、俺もたのしかったぜ。シンタも忘れんなよ。」
ズボンのふくらはぎがギュッと抱きしめられる感覚と、急速にその感覚が消えて、上に昇っていく光の塊が強まる。
後ろの日比谷の膝で抱っこされていたコウメも、シンタに続いていくのが見える。
ぐっと喉元を引き絞って笑っていると、トオルが心配そうに声を掛けてくる。
『だ、だだいじょうぶ?』
「だいじょうぶだ。安心して行ってこい」
『すいそう、えほん、あ、ありがとうござました』
「こちらこそ面白ぇもん創れて楽しかったぜ。ありがとな。」
ペコリ、とお辞儀をして、トオルと手を繋いだタカシが昇っていく。
タカシがバイバイしているのが見えて、負けずに銀次も大きく手を振った。
最後にチエミが立っていた。
チエミ以外の子供達が空へ還ったことで、目を覆う程の光は残っていない。
けれど、銀次はもうチエミの顔を見ることが出来なかった。
『チエミね、生まれ変わったらちゃんと、おとしゃんとおかしゃんとたくさん過ごして、みんなとたくさん遊んで、ちゃんと大人になりたい。』
『それでね、お花の世話をしたり、ねこちゃんを飼ったりしながら、いっぱい勉強するの』
「ああ、そうだな。楽しみだな。」
『にいにはね、チエミたちに色んな事をしてくれたよね。』
「・・・そうだったか?ハハ、そうでもない気がするぜ?」
『ううん、にいにはね、ごはんも遊びもたくさんしてくれたよ。だからチエミもね、色んなことを出来る大人になって、いっぱいかつやくするの。』
そんなことない、と銀次は言いたかった。
ここでの暮らしにはいつだって人手が足りなかったし、遊びに付き合ってやれるのも一日一時間もなかった。毎日やる事が多すぎて、してやりたいと思ってた事も満足に出来ない。反省する事ばかりだった。
チエミは美化しすぎている。
『いっぱい人の役に立って、それから歳をとって、いつかはしんじゃうけど・・・』
『その時はここに、帰ってくるから。忘れてしまうことがあっても、もどってくるから。にぃにを助けにいくから。やくそくね。だから、なかないで。』
「―――分かった。」
指切りげんまん
嘘ついたら針千本 飲ます
指切った
『またね。』
力なく垂れた銀次の小指をそっと放して、チエミが空に昇っていく。
いつもの笑顔で、いつものにぎやかさのまま、何やらよくわからない呪言をうれしそうに唱えながら昇っていく。
もう最後の一本になってしまった光の柱に向かって、銀次は声を振り絞り、叫んだ。
「待ってるからな!この場所で。――――古桜庵で、待ってる。」
この時から、銀次の中で仮の住まいだった古桜庵への意識が変わっていく。
*******
たくさんの魂が昇る。
小さなものも、少し大きめなものも、仲良くじゃれるように飛び立っていく。
飢餓によって亡くなった貧しい農村の子供達。
産まれてすぐに必要な処置が足りずに死んだ赤子達。
彼らは比較的早い段階で成仏の条件を達成していた。
だからそれまでの間、『トオル』と呼ばれたおにいちゃんが満足できるまで、おまけの幸せを享受することが出来て嬉しかった。
けれど、当の本人は違う。
皆の成仏を遅らせてしまう焦りと、思い出そうとしても思い出せない何か。
焦燥の日々に囚われた『トオル』の心は最近まで大変に荒れていた。
しかしそれもようやく達成できた今となっては分かる。
喉につかえた小骨のように、最後まで成仏を邪魔したのは、生来殆ど満たされる事の無かった承認欲求だった。
名のある華族の家に生まれたその男児は、物心ついた時から厳しい規律と教育に囲まれ、押し込められ生きてきた。
算盤、習字、馬術、剣術、基礎学習―――限りなく詰め込まれる学習の中で、唯一克服できないものがあった。
それが会話だった。
教育を取り仕切る講師も、それを依頼する両親も親族も。彼の周りの大人は皆厳しく、誰一人として子供としての会話をさせてくれる人はいなかった。
それが彼の言語能力を著しく後退させてしまったのだ。
―――どうしてそんな基本的な言葉も言えないのか。
―――なぜ普通に話せないのか。
基本的な環境など何一つ与えていないくせに、周りの大人は何故か『普通』の会話能力を彼に求め、罵倒する。
仮に基本的な会話が出来たとしても、次はそれ以上の能力を求めただろう。
そのことにも気づかない。そうして求め、学ばせることが愛情だと、思い込んでいる大人達だった。
彼の心は常に両親に叱られる事に怯えていた。
だから身代金目当ての暴漢にさらわれた時も、どこか余裕でいられた。少しは両親が自分を気にかけてくれるのかと思えば、気持ちが楽だった。
身代金の受け渡し場に現れた警察に、逆上した男に殺される瞬間も、そんなことを考えていた。
―――『痛い』
死んだと思った瞬間に何かに体を攫われ、どこかに投げ出された。
扱いの雑さからして、先程の暴漢がやったのかと思ったけれど、体を縛っていた縄も目隠しもない。
倒れたまま振り返ると、大きな車輪のついた牛舎の形をした化け物が走っていくのが見えた。
もう帰れない、と理解した時。何故か妙な嬉しさが沸いてきた。
けれどそんな高揚感も、別の化け物に襲われる事で、すぐになくなってしまうのだけれど。
古桜庵の大人達はみんな優しかった。
誰も叩いたりしないし、怒鳴ったりなんかもしない。何も言わなくても言いたい事を分かってくれる人たちだった。
とくに、ギンジはだいすきだった。
「人から強制されるのはしんどいからな。トオルが自分で、大人とも話がしてみたいと思える日まで待とうぜ。なぁ、トオル?」
今までこんなことを言ってくれる大人なんて、いなかった。
だからギンジには話をしてみたいと思って、水槽に聞かれたときに話をしてみようと頑張ってみた。
でも、結局いつもどおりうまく話す事ができなくて、怖くてつらくて恥ずかしくて、逃げてしまった。
それでもギンジは怒ったりせずに、その後もいつも通り頭をなでてくれて、話しかけてくれた。
ぼくは自分がいやになった。
やさしくしてもらってるのに、うまく話せない。
それどころか夕飯時の箸すらもうまく使えなくて、ぼくは悔しくて泣いてしまった。
もういやだ。
なんでぼくはうまくできないの。もっとなんでも上手になりたいのに。
そんな想いがあふれて、どうにもならなかった。
けれど。
「なぁ、トオルはトオルのままでいいんだよ。出来ない事があっても、俺達は怒ったりなんてしないぜ。」
ギンジの言葉が、すっと胸に入って何かが解けた感じがした。
出来ないままのぼくでも、いい。
もう一度心の中でとなえたら、何もかもが楽になってそれから大切な事も思い出せた。
出来ないままのぼくでもいい。
でも、やっぱりぼくは、出来るようになりたい。
だから――――
ありがとう、と眼下のギンジと、後ろからくるもう一人の友達に叫んだ。
うまく言えたのかは分からない。
けれど、言えなかったとしても怒るような人たちじゃないからいいんだ。
******
先に昇った友人たちを追いかけて、魂が昇る。
その心はずいぶん前から満たされていた。
否、最初から満たされていて、本来なら直接浄土に行くような魂だった。
とある中流家庭に元気な女児が産まれた。
長年不妊治療をしてきた夫婦だったため、待望の赤ん坊に両親は大層よろこび、可愛がった。
多くの愛を受けた赤ん坊はすくすくと真っ当に育ち、おしゃべり好きな明るい子供になった。
しかし、幸せは急に翳りを見せ始める。
最初は発熱と頭痛だった。
拙い言葉で伝えられた異変は風邪に似たもので、かかりつけ医の数度の診察の後、別の病院を勧められた。
しかし訪れた先での診察結果に、両親は卒倒しそうになる。
『小児がん』
5年生存率が80%とはいえ、医療が発達した現代でも年間300人弱の子供が命を落とす恐ろしい病。
80%の可能性を信じ、治療を始める家族だったが、神は彼らを救うことはなかった。
病状は一気に悪化を辿り、彼女は外に出る事すらままならなくなった。
「元気になったらね、わんちゃんか猫ちゃんをさわりたい」
「さくら組にあがったらね、チューリップを育てられるんだって!」
「いもうとが産まれたら、いっぱい抱っこしてあげたいなー」
叶えられることのない夢を語り続ける子の前で、両親は決して涙を流さず笑顔で肯定しつづけた。
そしてその日はやってきた。
大好きな母の腕の中で、大好きな父に頭を撫でられ、大好きな看護師さんに絵本を読んでもらいながら、彼女はこの世を去った。
「ずーっと、大好きだよ。」
耳元で言われた言葉を胸に上を目指していると、急に何かがぶつかってきた。
そしてごめんなさいを言う間もなく、どこかに投げ出されてしまった。
辺りは夕焼け空で河辺で、さっきまでいた所とは全然ちがう。
それに体が動く。わけが分からないまま歩いていると、自分と似たような子がたくさん蹲っていた。
『どうしたの?だいじょうぶ?』
おともだちになれるかな、と話しかけてみたけど、みんな怯えたように目を反らすだけだ。
それでも諦めずに順番に話しかけていくと、後ろから誰かに突き飛ばされた。
痛い。
『ねえ、お前、何?』
人を突き飛ばしておいて、なんでそんなことを言われなくちゃならないの?
ちょっと怒ってしまいながら振り返ると、半笑いの大きなおにいちゃんがこっちを見ていた。
『人にぶつかったらごめんなさいなんだよ?』
当たり前の事を言ったのに、そのおにいちゃんはまた突き飛ばしてきた。
痛くて悔しくて、泣いてしまう。
すると今度は手に持った何かで首を斬られた。
『あー、うるさいの嫌いだから、黙ってな。これから一言喋る度に1キルするから』
その日から恐怖の日々が始まった。
時折来る大人の男の人以外、実質河原の支配者は彼だった。
おにいちゃんはチエミが口を開くたび―――泣き声を上げる度に斬りつけてきた。
あまりの理不尽さに最初の頃は反抗もしてみたが、その度に倍返しに近いほどいたぶられ徐々に姿を見る前に逃げるようになった。
それでももっと小さな子が逃げ遅れた時は、身代わりをすることもあった。
毎日が地獄のようだった。兵隊さんの姿をした男の人が来るまでは。
男の人はおにいちゃんをぼこぼこにぶちのめした後、安全な所にチエミを一緒に連れていきたいと言ってくれた。
けれど、一緒におにいちゃんも連れていくということが後から分かって、すごく後悔した。
断ろうにも喋れないし、おにいちゃんが近くにいるから怖くて逃げだすこともできない。
そうしているうちに、男の人は灰色の世界にチエミたちを置いていった。
銀次―――にぃにとオヒメサマとマリコねぇちゃんはとてもいい人だった。
けれど、おにいちゃんがそばにいるなんて、怖くてチエミには耐えられなかった。
そうして隙を見て逃げ出したチエミを、にぃには連れ戻しにやってきた。
「俺達が必ず守る」
約束してくれたなら、きっと大丈夫。
なんとなくそう思ったけれど、その通りだった。
その後おにいちゃんが悪い事をして、悪い鬼がいっぱい来た時も、火事になって何もなくなってしまった時も、にぃに達は守ってくれた。
マリコねぇちゃんとオヒメサマとはお別れしてしまったけれど、兵隊さん―――にぃちゃも来てくれて、新しいおともだちもたくさんできた。
おいしいごはんも遊具も、いっぱいつくってくれた。
お花も育てさせてくれた。
いっぱい頭を撫でてくれた。
数えきれないくらい、してもらったことがある。
次はチエミが返してあげなきゃ。
そうして今も胸に残るあの言葉を、今度はあの人達に贈る。
『ずーっと、ずっと、大好き。』
声にならない言葉を残して、小さな魂は空へ消えていった。




