ミドリゴ
土の裂け目から生まれた極光が、世界と視界のすべてを塗りつぶし、誰もが目を覆う。
けれどただ一人、銀次だけが目の前の奇跡から目を離さない。
白一色に染まった景色の中、如雨露から滴る最後の一滴すらも吞み込んで、地から生まれ這い出る何か。
待ちに待ったその命の生誕を、銀次は見逃したくなかった。
迸る光が黄色を経て―――緑に変わり、やがて少しずつ薄らぎ始めたころ。
視界の中心に、丸い何かが浮かんでいるのが見えた。
手のひら程の大きさしかない緑の円だった。それが何か分からないまま、銀次は手を伸ばす。
しかし触れることは出来なかった。それは指先を通り抜け、あらゆる干渉も介さずにそこに浮かび続けていた。
「・・蜥蜴・・・?」
殆ど消え掛かった光の中で、膜の中に見えたものをそう呼称する。
大きさが5センチ程しかない緑色をしたそれは、爬虫類を短く太くしたような体をしていた。
まるでへたくそな粘土をこねくり回したかのような造形に、銀次は眉を寄せる。
全身を丸めて眠る異形の形は、間違いなく今しがた埋めた種から生じたものなのだろうが―――正直、思っていた姿と違う。
オウカノヒメと人間との間の子なら、人か植物どちらの形をしているのだろう―――と銀次は思っていたが、それが蜥蜴となると、今後どういった成長を遂げるのか想像も付かない。
ーーー今は水だけでも大丈夫かも知れないが、大きくなれば昆虫のような食事が必要になったりするのだろうか。
蜥蜴の生態をよく知らない銀次が場当たり的な予想を浮かべていると、光に慣れた日比谷が後ろから歩み出てきた。
「すごい・・・8週目くらいかしら。妖精の赤ちゃんって、人間と同じ胎児になるのね・・・。」
「あぁ・・・?人間と同じだって?」
「そうよ。貴方の時代ではそういう知識はなかったと思うけど、赤ちゃんはみんなお腹の中では最初こんな形をしてるの。それが少しずつ人間の形になって、生まれる頃には赤ちゃんの形になるの。」
俄かに信じがたい知識を口にしながら、日比谷は目の前の胎児とやらをまじまじと眺めている。
一方の銀次は日比谷の言葉からの衝撃で混乱していた。
「え、ええぇーー・・・・。」
赤ちゃんはみんなこんな形。
つまりお美希も銀次も、ここにいる人間も生きていて腹の中にいた頃はこうだった、という事だ。
信じられない言葉に、銀次はそれ以上の台詞が出てこない。
しかし、遥かに文明よ発達した未来の世で常識となっているのなら、間違いなく事実なのだろう。
大きな動揺はあったが、とりあえず言われた知識を無理やり頭の奥に流し込んで、銀次はこれからの事を考える事にする。
「なんにせよ、まだまだ河の水が必要だ。時間を見つけて取りに行くか。」
水の量で成長量が決まるかは不明だが、竹筒一本の量で10週ならばまだまだ大量に持ってくる必要があるはずだ。
とてもじゃないが一往復では足りない量になるだろう。
銀次はまだ見ぬ苦行に想いを馳せながら、頻繁に地獄を詮索している木藤にも助けを求める事を決意する。
『はーい!水やりはチエミがしたい!』
元気よく手をあげたのはチエミだ。
嬉しそうに目を輝かせて立候補する彼女とは裏腹に、隣で袖を掴んでいるトオルはドン引きしているらしい。あからさまに眉尻を下げて泣きそうな顔をしていた。
それはそうだろう、と銀次も思う。
突然光を放ち始める植物なんて、大人でも不気味だと思うのが普通だ。
「おいおい、大丈夫かよ。何が起きるか分からないんだぜ?怖くないのか?」
やる気を見せるチエミの意思を尊重したい所だったが、なにせ地獄桜を育てるなど初めてなのだ。
もちろん普通の植物とは違うはずで、何かの弾みで変な事が起きないか不安だった。
『チエミね、お花も育ててみたかったの。だからお水やり怖くないよ!』
「・・・なら、チエミに任せる。でも、何かあった時の為に俺が観てる所でやってくれ。約束だぞ。」
「私も観たいから一緒にやりましょう。楽しみね」
『やったぁ!!』
『・・・!』
日比谷のフォローもあり、軽い調子で引き受けてしまうチエミと、その耳元になにやら話し掛けているトオルに苦笑いしてしまいながら、銀次は諦めろ、と視線を送った。
どんな説得を試みたって、きっとチエミは折れないだろう。
それに温室が出来てからというもの、チエミは野菜の世話を率先して手伝ってくれる。
よっぽど植物の世話が好きなのか、生きていた時の事情のせいなのかは知れないが、やってみたいというなら任せてやりたい。
ふわりと宙空を漂う緑の蜥蜴を眺めながら、銀次はそう思うのだった。
サクランボを植える会がお開きになり、あとは畑の世話をしたり、子供達の遊び相手になったりしながら時間を過ごした。
ハイハイが止まらないチカは積み木が好きで、よちよち歩きのタカシに積み木のパーツを取られては泣き、その度に日比谷が仲裁に入ってくれている。
シンタはどうやら遊具の無い時代から来たらしく、初めて触れるすべり台とブランコに興奮しっぱなしだった。延々と二つの遊具を往復しては、楽しそうにしている。
ミルクの済んだコウメとお美希とユウカはお昼寝中で、その姿をチエミが愛おしそうに横で眺めてくれていた。
そして銀次は、ノリコの前でスイソウなるものの創造をトオルに、ノリコを通して指示されていた。
『こんな感じで透明で、ある程度自由にできる深さ・・・そう、それぐらいだそうです。横幅もこれくらい、ああ、もうちょっと大きくって。』
ここに来た子供達からは『なんでも作れるおにいさん』のような扱いをされている銀次だが、如何せん完成形の姿は彼らの頭の中にしかない。
鉄蟻の為に作りたい、とノリコを通してトオルから要望を受けた銀次だったが、料理と違い実際に形を創る物質の創造は難易度が上がる。
ある程度正確な形や尺度が必要になるのだが、チエミのように絵を描いて説明してくれるでもなく、ましてや人づてで語られる設計図ほど銀次にとって難しいものはない。
「ええっと、うーん、ちょっと待て?そもそもこれってどうやって使うつもりなんだ?・・・なぁトオル、直接説明してみてくれねぇか?」
想像力の限界に根を上げそうだというのもあるが、そろそろ直接会話してみたいという下心もありながら、銀次は思いっきり眉尻を下げてトオルを見た。
しかし、期待の視線を受けたトオルは何故か目を泳がせ、口を開いたり閉じたりして―――下を向いてしまった。
―――時期尚早だったか。
そう思った銀次がもう一度手元のスイソウに目を落とした時。
『す、すすすいそうに、あああありさんを、を、いいれてあげたい。』
はっきりと空気を震わせて、トオルは言葉を発した。
一所懸命に伝えようとしてくれた姿勢に心が震える程の感動を受けながら、今までなぜ、トオルが喋ろうとしなかったのかも察した。
『吃音』とは。
古い時代では『どもり』と呼ばれるそれを、銀次も目にしたことがあった。
屋敷の近くの村の少年が、どもりせいで他の子供達に揶揄われていたのだ。
本人も努力しているにも関わらず、残酷な子供の悪意の餌食になってしまっている様子に、当時は銀次も胸を痛めていたものだった。
しかし、トオルの場合は少し症状が異なるようだった。
『え、大丈夫?』
驚いた顔を見せるノリコは、これまでトオルの吃音を知らなかったらしい。
直前まで耳元で会話していたにも関わらず、だ。
それはつまり―――
『・・・だいじょうぶ。』
顔をあげたトオルからは、直前までのどもりを感じさせない流暢な言葉が紡がれるのを聞いて、銀次は理解した。
トオルのそれは、大人と話す時にだけ発生するのだと。
「あっ!待てよ!!」
そして、作りかけのスイソウをひっくり返して行ってしまうトオルを、銀次は追いかけることが出来なかった。
「どもり?吃音のことね。それって小さい子にはよくある事だわ。トオル君みたいな3歳ぐらいの子の場合、吃音は十数人に一人はいると言われててね。
半分以上は放っておいても3年以内に治ると言われているの。」
昼食の後、温室で昼寝タイムに入った子供達のそばを離れ、銀次はこっそり日比谷に相談した。
日比谷もトオルが大人と喋りたがらない事を気にしていたようだったが、吃音だったと分かると途端に恰好を崩していた。
銀次が一人しかその症状を知らなかっただけで、多くの患者を診てきた日比谷にはそれだけ吃音はあり触れた特徴だったらしい。
その様子に銀次も安心しながら、一つ気になっていた疑問も共有することにした。
「・・・なるほどな。それじゃあ、話し相手が大人になった時だけ吃音になるのは、どういった事が原因なんだ?」
「吃音は緊張状態にあると発生すると言われているの。逆に、リラックス―――つまり自然な状態では治癒していくから、気を許した相手だと吃音が発生しにくいのよね。
歳が近い子供だと大丈夫で、逆に大人だと緊張するということは―――例えば大人に吃音を厳しく何度も叱責されるような場面が長らくあった。
生前のトオル君は、そういう環境にあったと考えるのが妥当ね。」
あくまで推論でしかないけど、と付け加えた日比谷だったが、その顔貌に浮かんだ深刻な表情に、銀次も眉を顰めるのだった。




